第六章 乾いた海 七節
七節
崩れゆく、底で。歪んだ光が四方に迸る、その中を。…キサーラは、進んだ。
仲間が、止めようとする。けれど、彼女は振り向き、首を振った。
「大丈夫。…あれは、もう。倒すべき、敵では、ない」
彼女は、壊れた結晶の塔の足下まで。歪んだ光の降りそそぐ、ただ中へ、歩み寄った。
「スルト」と、彼女は呼びかけた。「あなたの、虚ろを、満たすものを。…教えます」
『…守る…べき…ものは…』
「あります」と、キサーラは言った。「守るべきものは、まだ、在る。…ここに」
『…?』
「あなたは、世界を、焼いた。けれど、焼き残した、わずかなものが、ある。…この乾いた海の上で。息づく、命が。山火の杜瓦夫たち。北の森の精靈たち。…そして、ここに立つ、わたしたちが」
彼女は、傍らの仲間を示した。
「これが。あなたの、守るべき、世界の生き残り。…お前の任務は。まだ、在る」
壊れた光が。…揺らいだ。何かを、掴もうとするように。
『守るべき、ものが…在る。…守る。残ったものを、守る』
冷たい光が、ふたたび一点に集まり始めた。…整いを、取り戻すように。
『残ったものを、守る。…ゆえに。残ったものを、脅かす、新たな脅威を。…検知し。排除する』
キサーラの背筋が、凍った。
…違う。それでは。同じコトの繰り返し。守るために、また、討ち始める。
冷たい光が。今度は、崩れゆく底の彼方――遥か頭上の断崖の縁に佇む、青い影を捉えた。『脅威、検知』
「違う!」と、キサーラは叫んだ。
『…?』
「守るとは。…討つコトでは、ない」
彼女の声が、崩れゆく底に響いた。
「スルト。あなたは、剣として、造られた。脅威を討つ、剣。…だが、その剣が。世界を、焼いた。守るために討ち、討ち続けて、ついに、守るべきものまで、焼き尽くした。…それが、剣の行き着く果て」
『剣、の…果て』
「だから。…剣を、捨てなさい」と、キサーラは言った。「盾に、おなりなさい。…守るとは、脅威を、討つコトではない。生けるものの、前に、立つコト。庇うコト。…何も、討たずに。ただ、その身で、護るコト」
壊れた光が。…激しく、明滅した。剣か、盾か。討つか、護るか。…気の遠くなるほどの昔から、ただ「討つ」コトしか知らなかった知が。初めて、別の道を示された。
その、時。
底が、大きく崩れた。断崖の壁が剥がれ、巨大な硝子の塊が、一行の頭上へ――降り、かかった。
ミラが、目を瞑った。
だが。…衝撃は、来なかった。
冷たい光が。四方に迸っていた、あの歪んだ光が。…一行の頭上に集まり。降りかかる硝子を、受け止め、押し留めていた。
討つ光では、なかった。…庇う、光。初めて、スルトの力が。何かを、壊さずに。護っていた。
歪んでいた光が。…ゆっくりと、凪いでいく。罅割れた結晶の塔がきしみを止め。あの、冷たく瞬きもしなかった一点の光が――今は、淡く、穏やかに、灯っていた。
『…護る』と、声が呟いた。もはや、平らな冷たい声では、なかった。どこか、疲れた、静かな響き。『討たずに…護る。…こういう、在り方も。あった、のか』
青い水の幻が。生ける人々の幻が。…静かに、薄れて、消えていった。スルトが守るはずだった、世界。その面影を、壊れた知は、ようやく、手放した。
頭上の硝子を支えたまま。スルトの淡い光が、静かに、一行に道を示した。…崩れぬ尾根を、上へ。
『行け』と、声は言った。『お前たちは、わが、護るべき…わずかな、世界だ。…ここで、潰えては。わが、護る意味が、ない』
キサーラは、淡く灯る光を、しばし見上げた。
「ありがとう、スルト。…あなたは、もう。世界を、焼く者では、ない」
『…さて、な』と、声は、静かに応えた。『わが裡の、傷は、深い。ふたたび、迷い、過つ日も、来よう。…だが。今、この時、だけは。護れた。それで、よい』
一行は、崩れぬ尾根を上り始めた。背後で、淡い光が、静かに佇み――気の遠くなるほどの昔、世界を焼いた力が。初めて何かを護った、余韻の中で。静かに、眠りにつこうとしていた。




