第五章 山火の山脈 六節
六節
幾日かが、過ぎた。
山火の山は――変わり始めていた。
絶え間なかった煙が、晴れ。久しく忘れられていた青い空が、稜線の上に戻ってきた。坑道を灼いていた溶岩の川は、ゆっくりと冷め、固まり。山は、ようやく、その永い熱病から覚めようとしていた。
集落の杜瓦夫たちの咳が。日ごとに、減っていった。
山の心の臓に。
イルマリネンは、なお、いた。けれど――もう、あの狂おしい乱打は、ない。赤く灼けていた巨躯は、火を落とし、静かに、冷めた鉄の色に沈んで。炉の口の双の洞は、もはや爛とは燃えず。ただ、底知れぬ悔いを湛えて、子らを看ていた。
その大きな手が。ひとつ、灯りを鍛えていた。
星を巡らせる車輪では、なかった。海を測る秤でも。…ただ、暗い坑道を照らすための。煤けた家の卓を暖めるための。ささやかな、灯り。気の遠くなるほどの昔に、彼が子らのために打っていたであろう、その原点の品を。一つ、また一つと。今度は、捨てずに。
「…遅すぎた」と、地鳴りの声が呟いた。「失うた子らは、還らぬ。…だが」
彼は、鍛え上げた灯りを、そっと、ヴァイノの前に置いた。
「残った、子らに。せめて、暖かい、灯を」
ヴァイノは。その灯りを押し頂き――そして、傍らのガルドを見た。
「…すまなかった」と、濁った片目を伏せた。「逃げた、と。お前を詰った。…だが、逃げずに残った俺たちは。ただ、親方と一緒に沈んでいくだけ、だった。お前は、外へ出て――灯りを、連れて、帰ってきた」
「よせ」と、ガルドは、ぶっきらぼうに言った。けれど、その声は、湿っていた。「逃げたのは、逃げたんだ。…ただ。帰る場所が、まだ、あって。よかった」
二人の老いた杜瓦夫は。灰の晴れた空の下で。ごつい拳を、ひとつ、突き合わせた。
ミラが、そっと涙をぬぐった。キサーラは、その光景を――守れた者らの姿を、静かに看ていた。
その時、だった。
ロウの耳が、ぴくり、と動いた。牙を、剥き。山の入り口の方角へ、低く唸る。
「…来る」
澄み始めた風に。場違いな、冷たい気配が、混じった。遠く、山の外から。硬い蹄の乾いた音が。こつ、こつ、と。近づいて、くる。
山火の口に。青い影が、立った。
硬い殻に覆われた、異形の騎獣。その背に、青き長髪を流し――ルビーの瞳を冷ややかに光らせた、男。
告死天使アズライール。
ミラが、息を呑んだ。塩の果て、以来の――あの、冷たい美しさ。
アズライールの双眸が。鎮まった山を。固まった溶岩を。そして、火を落とし、静まる、大いなる魔王の姿を――ぐるりと、見渡した。
その顔から、表情が、消えた。
「…三度目だ」と、彼は呟いた。声が、震えていた。怒りか。あるいは、怖れか。「塩の果てで、知の魔王を。北の森で、守りの女神を。そして、ここで――また。封じられし魔王を、お前は、野に、放った」
彼は、騎獣の背から、音もなく降り立った。腰の神器に、手を添えて。
「疑いの余地は、もはや、ない。…お前こそが。地上に、滅びを、撒き歩く者。眠れる破滅を、次々と、呼び覚ます、疫病、そのもの」
その声には。塩の果てで、キサーラの問いに揺らいだ、あの迷いは。…もう、なかった。いや。迷いを捻じ伏せるための、必死の確信だけが、凍りついて、そこに、あった。
「此度は、ナブーの横槍も。逃げ場も、ない。…キサーラ。地上の罪なき民の名において。お前を、討つ」
白銀の神器が。山火の残り火を跳ね返して。…青白く、燃え上がった。
静まったはずの山に。ふたたび、張り詰めた戦の気が。満ちた。




