第五章 山火の山脈 一節
一節
白樹の森を出てから。一行の行く手は、日ごとに、険しく、乾いていった。
はじめは、なだらかな丘と、草の原。やがて、木々は疎らになり、緑は褪せ、地は、赤茶けた岩肌を剥き出しにし始めた。・・・潤いの森から。乾いた、石の国へ。北の慈しみの緑とは、何もかもが逆さまの景色だった。
そして、或る朝。
ミラが、ふと、鼻を押さえた。
「・・・なんだろう、この、匂い」
風に、微かに混じるものがあった。焦げた、石。熱した、鉄。そして、その奥に――何か、生きものの脂を焼いたような、胸の悪くなる臭い。薫るのでは、なく。臭う、のだった。
その臭いに気づいた途端。
ガルドの足取りが、重くなった。
もとより、口数の多い男では、ない。されど、この幾日か。東へ近づくほどに、その無口は、沈黙の質を変えていた。懐かしさ、では、ない。・・・怖じ気に似た、何かだった。
岩の尾根を一つ越えた、その時。
視界が、開けた。
遥か、東の果て。空を衝いてそびえる山々が、あった。・・・いや。山とも呼べぬ、何かだった。峰という峰の頂から、絶え間なく黒い煙が噴き上がり、空の半分を、鈍い灰色に汚していた。その山肌の、ところどころが。夜でも、昼でもなく――内から、赤く。熾火のように、脈打って光っている。
山火。
燃える、山。・・・誰に乞われたわけでもなく。気の遠くなるほどの昔から。山の腹の奥で。燃え続け、掘り続け、造り続けている、何かの――息遣いの証。
山に、近づくにつれ。
空から、灰が降り始めた。雪のように、音もなく。けれど、冷たくはなく、生温い。草は灰を被り、枯れ、川は、油膜のような虹色を浮かべて淀んでいた。・・・生きものの気配が、乏しい。鳥も、啼かぬ。
ガルドが、足を止めた。
灰の降る空の下で。燃える山を見上げて。しばらく、何も言わなかった。
「・・・変わっちゃ、いねえ」と、やがて掠れた声で呟いた。「いや。・・・前より、ひどく、なってる」
彼は、皺深い手で、顔をひと撫でした。
「俺は、逃げたんだ」と、誰にともなく言った。「この山から。煙に咳き込む同胞を、置いて。・・・どうにも、ならねえ、と思った。山の主は、もう、誰の声も聞きやしねえ。止めようとした奴らは、皆、炉の火に呑まれちまった。だから、俺は・・・背を、向けた。遠い国で、失われた技を漁って――いつか、この呪いを解く術が、見つかるんじゃねえかと。そんな言い訳を、抱えて」
キサーラは、ガルドの傍らに立った。
「逃げたのでは、ありません」と、静かに言った。「あなたは、探しに出たのです。そして――帰ってきた。解く術を、連れて」
ガルドが、彼女を見た。
「・・・おまえさんの、あの力か」
「縛めを、解く力。あなたの、失われた技を識る目。・・・二つ、揃えば」と、キサーラは、燃える山を見上げた。「あの山の止まらぬ炉の結び目さえ。あるいは、ほどけるかもしれません」
一同は、灰の降る空の下、燃える山を仰いだ。
北の森で、彼らは、閉じこもった慈愛を看た。・・・ここでは。止まれぬ狂気が、待っている。守る力を閉ざした女神とは、逆に。造る力に呑まれ、おのれを見失った、哀れな何かが。
ドレクが、ぽつりと言った。
「・・・ダヌ様の時は。閉じた扉を、叩いた。今度は」
「今度は」と、ロウが低く、あとを継いだ。「止まらねえもんを、止めに、行く、ってわけか」
誰も、笑わなかった。
生温い灰が、音もなく降り続ける。燃える山は、彼らの近づくのを、拒むでもなく、招くでもなく。ただ、気の遠くなるほどの昔からそうして来たように――黙々と、燃え、掘り、造り続けていた。




