第四章 白樹の森 四節
四節
光の刃が、振り下ろされた。
白銀の者のひとりが・・・黄金の姿めがけて、踏み込みざま、その刃を薙いだ。月の光をそのまま研ぎ澄ましたような、冷たい、白い、ひと薙ぎ。地上のいかなる獣をも、いかなる民をも、ひと太刀で断ってきた刃であった。
それが・・・キサーラの肩を、捉えた。
捉えて・・・滑った。
刃は、彼女の身を断てなかった。黄金の衣の上を、火花も立てず、ただ、滑り、流れ、空を切った。傷一つ、つかぬ。血の一滴も、零れぬ。
白銀の者が・・・息を、呑んだ。
「・・・何だ?」
キサーラ自身も知らぬ動きで、身が退いていた。
考えるより、疾く。次に来る二の太刀の、その軌を・・・読み、避けていた。三たびめは、来る前に、間合いの外にいた。
塩の果てで、智の守り手から意の交わりに授かった、磨かれざる玉の原石。それが、いま、初めて・・・ひとりでに、転がり出た。どう動けばよいかを、身のほうが先に識っている。そうして、動きながら、寸の間に研いでゆく。一の見切りより、二の見切りが。二より、三が、疾く、無駄がない。
けれど・・・それは、武の昂りでは、なかった。
ただ、里の子らと白銀の刃のあいだに、間に合いたい。その一心の不器用な、疾さ。
彼女は、斬らなかった。ただ、白銀の者の刃を手の甲で逸らし、その身を愛爾芙の里から遠ざけるように、押し、退けた。殺さぬ。傷つけぬ。・・・守る者の剣であった。
白銀の者らの、嗤いが、消えた。
手応えの、ありそうな、獲物・・・と、見たものが。斬っても、斬れぬ。捉えても、零れぬ。退屈は、たちまち苛立ちに変わった。
ひとりが、宙へ手をかざした。
すると、森の闇から・・・先刻まで悲鳴を上げていた、ひとひらの精靈が、引き寄せられ、捻じ曲げられ、白銀の者の意のままに、光る鞭のかたちに凍らされた。
命じられた、憐れな、名残。
その鞭が、愛爾芙の里めがけて、しなった・・・その、刹那。
キサーラの掌が、それに触れた。
アズライールならば、これを、命ずる。・・・キサーラは、解いた。
縛めの結び目を、撫でるように。精靈は、身を震わせ、鞭のかたちを忘れ、光の粒となって梢へ還っていった。礼を遺すように、啼いて。
白銀の者らが・・・今度こそ、言葉を、失った。
「・・・縛るのでは、なく」と、ひとりが掠れた声で言った。「解いた、だと。月の身を、持つ、お前が。なにゆえ、そのような・・・」
その、時。
樹のあわいを裂いて、低い咆え声が奔った。
ロウだった。狼獣人が、牙を剥いて割って入り、キサーラの傍らに身を低くする。遅れて・・・白樹の民の弓が、幾張りも、梢のあわいに現れた。セレナの誰何する声が、夜気を震わせた。
白銀の者らは、顔を見合わせた。
獲物の、はずが。斬れず、屈せず。あまつさえ、地上の塵どもが、牙を剥いて、群れ、寄ってくる。・・・興は、すでに醒めていた。
「興が、醒めた」と、長らしき者が哂った。冷ややかに。けれど、その奥に、ひとすじ、隠しきれぬ戸惑いを滲ませて。「血を、流さぬ、獲物など。狩りの、名折れよ」
白銀の者らは、身を翻し・・・いや、地を蹴るでもなく。ただ、天のほうへ、退いていった。来た時と、同じに。音も、なく。
去りぎわ。長の眼が、もう一度だけ、キサーラを捉えた。
退屈の翳りも。残忍の興も、失せた、その眼には・・・問いだけが、残っていた。同じ星の身を持ちながら。なにゆえ、塵を、守る。お前は、何者だ、と。
その問いを、抱えたまま。白銀は、月の高みへ、還っていった。
森が、息を吹き返した。虫の音。葉ずれ。遠い梟の声。
ロウが、身を起こし、キサーラを視た。金の眼を、正面から。
「・・・お前の動き」と、低く言った。「あれは、地の者の、ものじゃ、ない。・・・だが、構わん。境の者には、境の者が、わかる」
荷車職人のガルドが、遺物を検めるときの、あの細めた眼で、キサーラの手を視ていた。さきほど精靈を解いた、その掌を。何か、言いかけて・・・呑み込んだ。
灯であって、剣では、ない。その手つきには。失われし世の慎みの薫いが、した。
そして、駆けてきた足音が、草を蹴って、キサーラの前で止まった。
ミラだった。息を切らし、顔を蒼くして。それでも、真っ直ぐに手を伸ばし・・・キサーラの掌を、両の手で包んだ。
「無事・・・?」
温もりが、伝わった。さきほどまで精靈を解いていた、その、同じ、掌に。
不思議な、コトだった。白銀の刃にも傷つかなかった、この身が。この温もりにだけは・・・微かに、震えた。
キサーラは、天を仰いだ。
梢のあわいに、蒼い月が懸かっている。あの白銀の者らの降りてきた、高みのほう。・・・月の影は。この奥深い森にまで、手を伸ばしてきている。リナの臥す、この森にまで。
己は、観るために、降りた。だが・・・もう、観るだけでは、いられぬ。
同じ星から降りた者の、もう一つの貌を視たいま。キサーラは、静かに、識った。
・・・分かれ道は、もう、選び終えている。そして、二度と、引き返さぬ、と。




