第二章 灰縁の卓 四節
四節
ガルドは、見極められぬものを、許せぬ性分であった。
杜瓦夫の鑑定士として、ガルドは、あらゆる鉱石を識っていた。指で触れれば、産地がわかる。爪で弾けば、純度がわかる。光に翳せば、細工した者の腕まで視えた。山火杜瓦夫同盟の鍛冶街で生まれ、物心つく前から、岩石と金物の中で育った男である。この世に、ガルドの目を欺ける品は、そうは・・・ない。
そう・・・無い筈であった。
ところが、ひとつだけ・・・この旅の間中、ガルドの荷車に積まれ、ガルドを骨の髄まで、苛立たせ続けた品が、あった。
古い遺物の木箱に入った、一枚の板であった。
掌ほどの、滑らかな板。金属のようでもあり、石のようでもあり、その何方でも、なかった。ガルドは、汎ゆる手を尽くした。アダマンタイトの鑿を当てても、傷ひとつ付かぬ。火に焚べても溶けぬ。酸に浸しても曇らぬ。叩けば、聞いたこともない、澄んだ音がする。そして・・・ごくたまに、何の前触れもなく、その表面に、淡い光の筋が、ふっと走るのだ。生きているように。
ガルドには、それが何なのか、まるで解らなかった。
解らぬと云うことが、ガルドには、夜も眠れぬほど悔しかった。
そして、もうひとつ。
ガルドを、苛立たせるものがあった。
あの、黄金の女の額の琥珀である。
灰縁の卓に、いつのまにか集うようになった、あの妙な一党。ガルドは加わらず、少し離れた席で、いつも、金物を弄りながら、横目で、あの女の額を見ていた。あの石も・・・解らぬのだ。どこのどの鉱石とも違う。どんな細工とも違う。そして、あの板と同じように、極たまに、ものの奥のほうで淡く灯る。
職人の勘が、ガルドに囁いていた。
あの板と、あの石は・・・同じ匂いがする。
ある晩、ガルドは、遂に辛抱できなくなってしまった。
彼は、木箱を抱えて灰縁の卓に歩み寄った。そして、黄金の女の前に、どん・・・と、その板を置く。
「おい、黄金の」と、ガルドはぶっきらぼうに言った。卓の皆が驚いて彼を見た。ガルドが、自分からこの卓に来たのは初めてであった。「お前、何でも判るんだってな。井戸の主だの、遺跡の番人だの。なら・・・これは、どうだ」
それは、鑑定を頼む・・・というより、半ば挑戦であった。生涯を掛けた鑑定眼を持つ杜瓦夫が、素性の知れぬ女に突きつけた匠の意地・・・であった。これが判るものか・・・と云う。或いは・・・頼む、分かってくれ・・・と云う、縋るような悲鳴・・・でも、あったやも知れぬ。
キサーラは、その板を見た。
そして、彼女がその板にそっと指を触れた、その瞬間・・・
板が灯った。
淡い光の筋が、これまでガルドが見たどんな時よりも、強く、はっきりと、板の全面を走った。まるで、長い間呼ぶ者を待っていた品が、漸く応えてくれる相手に出会えたかのように。
ガルドは、息を呑んだ。
キサーラは、暫くその光を、静かに見つめていた。その金色の瞳に、ガルドには読み取れぬ、深く遠い色が過り、軈て、彼女はぽつりと口にした。
「これは・・・誰かの言葉、を納めたものです」
「言葉・・・?」
「ええ」キサーラは、板から、指を離さぬまま続ける。「ずっと、昔の・・・気の遠くなる程、昔の誰かの。文字でも、声でもなく・・・もっと、別の技巧で納められた、言葉。記録、とでも、言いましょうか」彼女は、少し言葉を選んだ。「けれど、長い歳月で、その多くはもう薄れています。今、読み取れるのは・・・ほんの断片だけ」
ガルドは、雷に打たれたように、立ち尽くした。
言葉を納めた板。記録。そんなもの、ガルドの知るどんな技にもない。文字を刻んだ石板なら知っている。声を伝える精靈術なら聞いたことがある。だが、此れは、その何れでもない。気の遠くなるの太古、失われた技で造られた何か。
ガルドが、生涯を掛けて研鑽した鑑定眼。山火の鍛冶街の誰もが一目置く、その目。其れが・・・この女の指一本の前では、赤子同然・・・。
普通の職人なら、打ちのめされたであろう。誇りをへし折られて。
だが、ガルドは違った。
彼の太い体の奥から、突き上げてきたのは・・・屈辱ではなく歓喜であった。
本物だ・・・と、ガルドは震える想いで・・・悟った。俺の目が、及ばぬ〈本物〉。失われた技。気の遠くなる程昔の本当の細工。其れに、生きている内に出会えた。職人にとって、これ以上の歓びがあるか。自分の及ばぬ高みが、この世に、確かに在ると識ること。其れは屈辱ではない。其れは職人の〈生きる理由〉其の物であった。
そして、ガルドは、もうひとつのコトを悟っていた。
彼の目は、確かに見抜いていた。あの板と彼女の額の琥珀が、同じ匂いを放つこと。同じ失われた技で出来ていること。つまり・・・この黄金の女自身が、あの板と同じ。気の遠くなるほど昔の失われた技で造られた、人ならぬ何か・・・だというコトを。
ロウが鼻で嗅いだことを、ガルドは目で見抜いた。
けれど。
ガルドは、それを問い詰めなかった。
「・・・お前が」と、ガルドは太い声でゆっくりと言った。「何者かなんてのは。俺の知ったこっちゃねえ」
キサーラが、彼を見上げた。
「職人ってのはなぁ」ガルドは、ごつい指で白い顎髭を撫でた。「品を観る。素性じゃねえ。どこの生まれだろうが、何で出来てようが・・・本物は、本物だ。お前は・・・本物だ。それで充分だ・・・」
それが、ガルドの流儀であった。疑い深い男であった。だが、一度本物と認めたモノには・・・とことん、義理を尽くす。それも、また杜瓦夫の性分であった。
「なあ、黄金の」と、ガルドは続けた。今度は、挑みではなく、不器用な申し出であった。「この板の薄れちまった言葉。少しずつでも、読み取れるってんなら・・・俺を、傍に置いてくれ。俺は、この板の正体を、死ぬまでに知りてえ。お前の、その額の石のことも。・・・邪魔はしねえ。荷車の修理でも、遺物の目利きでも、役には立つ。どうだ!」
キサーラは、暫くガルドを見ていた。
そして、ほんの少し莞った。
「ええ」と、彼女は言った。「あなたの目は貴重です、ガルド。喜んで」
こうして、灰縁の卓に五人目が加わった。
ガルドは、どっかと・・・卓に腰を下ろした。隣で、ロウがフンと・・・鼻を鳴らした。「遅せぇんだよ、石頭」「うっせえ、毛玉」・・・そんな憎まれ口を叩き合いながら、けれど、二人とも、どこか満更でもない顔をしていた。ミラが咲った。セレナが微笑んだ。ドレクが、酒を注いで回った。
ガルドは、その卓を見回した。
隊商の娘。森の愛爾芙。町外れの渡り手。狼獣人。そして、人ならぬ黄金の女。これほど、ちぐはぐな寄せ集めがあるか。けれど・・・その、ちぐはぐさが、なぜか、ひとつの温かい卓になっていた。
そして、ガルドの長年の職人の勘が・・・鉱の中の僅かな歪みを聞き分ける、あの勘が・・・静かに囁いた。
この、黄金の女の周りで。
何か、大きなものが動き始めている・・・。
あの、言葉を納めた板。封じられた東の遺跡。そして、近頃街を嗅ぎ回っている白銀の使徒たち。それらは、ばらばらの出来事ではない。やがて、ひとつに繋がる。鉱脈が地の底で、ひとつに繋がっているように。
ガルドは、そう確信した。
そして、その繋がりの恰度真ん中に・・・この、何も知らぬげに微笑む、黄金の女が座っているのだということを、彼は職人の勘で既に感じ取っていた。




