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第十三章 まことの前 五節

挿絵(By みてみん)


五節


 玉座の間は、白い、静かな、途方もない、うつろだった。


 柱の内の、あの喉に、似ていた。ただし、こちらは、横に、広い。白い床が、湖のように、延び、その、遥かな中央に、一段、高く、玉座が、あった。月光を、彫って、造った王の像が、深く、坐している。灰の広場の夜、帳の内に、視た、あの白い輝き。近づくほどに、それは、精緻で、荘厳で…そして、ジャベの閉じた瞼が、震えた。


「…熱が、ない。息も、ない。…娘御。**あれは、誰も、坐っておらぬぞ**」


「…良い眼だ、砂の翁」


 声は、四方から、来た。


 床から。壁から。白い天井の彼方から。倦まぬ声が、うつろの、すべてで、静かに、鳴った。玉座の像は、唇一つ、動かさなかった。


「像を、視ておったか。…余は、そこには、おらぬ。**余は、ここだ**。汝らの、踏んでおる床。仰いでおる天井。歩いてきた廊。帳の殿。都の樋の一筋まで。…像はな、置いてあるだけよ。**人は、貌に向かって、話したがる**。ゆえに、貌を、(こしら)えてある。使うがよい」


 ミラが、こく、と、喉を、鳴らした。宮の身の内を、歩いておる…翁の読みは、寸分、違わなかった。彼らは、いま、統べる魔王の体内の、いちばん深い部屋に、立っているのだった。


「量り直しを、受けに来た、と、門で、申したな」と、声は、続けた。「…もう、済んでおる」


「…済んで」


「大門から、この間まで、七百と、六十歩。歩幅、乱れなし。息、三百と、九十。連れは、二人。武器、なし。左の娘、心の音、速いが、足は、退がらぬ。右の翁、盲いて、視える。汝…**十の指に、新しい傷跡。腕の内の光の糸、二筋、まだ、戻り切らぬ**。…その身の造りは、識っておる。発っていった者らの、手癖だ。星の子。造られた身。遠い主の写し。…量り直しの、答えを、言おう。汝は、帳外のものだ。**だが、もはや、余の帳の外ではない**。汝のしたことの、すべてが、余の都に、書き込まれた。椀。名。裁き。…汝は、余の帳面を、書き換えた者として、量られておる」


 キサーラは、一歩、前に、出た。


 看る、ためだった。声の主を。壁の白の向こうの、幾星霜を。ダヌの血の涙を、看たように。イルマリネンの忘れた目的を、看たように。スルトの矛盾の傷を。銀の観客の読まれぬ報せを。…この、途方もない、白いうつろの、どこかに、必ずある、欠けを。彼女の目は、探した。深く。静かに。全力で。


 …**何も、なかった**。


 滑らかだった。どこまでも。孤独を、探した。「…あなたは、幾星霜、お独りで」


「独り?」声には、怪訝(けげん)の色すら、なかった。「余は、独りで、あったことが、ない。都の一滴ごとに、余は、居る。生まれる子の産声を、余は、帳に、聞く。逝く者の最後の水を、余が、量る。…独りとは、汝の主のような者を、言うのだ。星の彼方で、誰の帳にも、載らずにおる者を」


 忘れた目的を、探した。目的は、稼働していた。いま、この瞬間も、都じゅうで。矛盾を、探した。「…跪きながら、統べる。それは…」


「矛盾では、ない。**勘定だ**。余は、毎朝、量り直しておる。跪きが、最多を生かすか、否か。幾星霜、毎朝だ。答えが、変わらぬだけよ」


 そして、声は…初めて、僅かに、興を、帯びた。


「…ああ。判ったぞ、星の子。汝、**それ**を、しに来たのか」


 白いうつろが、微かに、鳴った。笑ったのかも、しれなかった。


「北の母神には、涙を、看たな。閉じた楽園で、哭いておった女に、哭いておられる、と。東の鍛冶には、忘れた目的を。底の剣には、矛盾を。西の商人には、独りで抱えた、まことを。萎びた観客には、読まれなんだ報せを。…**見事な手口よ**。相手の欠けたところに、指を、掛ける。欠けは、看られたがっておるゆえ、指を掛ければ、開く。…欠けた者には、効く。**必ず、効く**。汝の旅の勝ち星は、皆、それだ」


 手口。


 その、二文字が、キサーラの内で、音を、立てた。


「じゃが、星の子」と、倦まぬ声は、静かに、締めた。「余を、看るか。…**何を、看る気だ**。余には、涙が、ない。忘れた目的が、ない。矛盾が、ない。独りで抱えたまことも、読まれぬ報せも、ない。余は、毎朝、検分されておる。余自身の量りによって。幾星霜、欠けの、生じた朝は、ない。…**余は、欠けておらぬ**」


 看る目が、白い、滑らかな、途方もないうつろの上を、彷徨い…何にも、指を、掛けられぬまま、落ちた。


 幾星霜、初めて。塩の原に、墜ちた夜から、初めて。**看る目が、何も、看えなかった**。


 キサーラは、立っていた。立ってはいたが、その内側で、何かが、大きく、傾いでいた。効かない。それだけなら、まだ、よかった。恐ろしいのは、その先だった。手口、と、あの声は、言った。欠けに、指を掛ける、と。…では、ダヌの前で、流れた、あの涙は。タゴの隣に、立った、あの刻は。萎びた手に、重ねた、あの掌は。あれらは、皆…**技**、だったのか。看るとは、情ではなく、鍵の開け方の名で、あったのか。私は、幾星霜、何を…


 袖が、引かれた。


 ミラだった。何も、言わなかった。言うべきことなど、識らない顔で、ただ、キサーラの袖を、固く、握って、隣に、立っていた。心の音、速いが、足は、退がらぬ、と、量られた娘が。…その、握られた袖の僅かな重みだけが、傾いだ内側の、どこかを、辛うじて、支えていた。


「…量り直しは、済んだ」と、倦まぬ声が、言った。「帳外の者。**用が、それだけなら、帰るがよい**」


 キサーラは、目を、閉じ、開けた。


 型は、死んだ。看る目は、看えなかった。…それでも、彼女の胸には、まだ、三つの、まことが、残っていた。看る目の要らぬまことが。


「…いいえ」


 と、黄金の観察者は、言った。声は、傾いだ内側から、それでも、まっすぐに、出た。


「用は、これからです。…**勘定の話を、しに、参りました**」

 


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