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第十二章 銀の観客 八節

挿絵(By みてみん)


八節


 銀たちは、その日のうちに、いなくなった。


 戦って、では、ない。裁かれて、でも、ない。頭を、失い、まことの姿を、白日に、晒された者らは、一体、また一体と、白い橋を、渡り、柱の上つ方へ…月へと、還っていった。潰走、と呼ぶには、静かすぎ、退場、と呼ぶには、惨めすぎる、引き際だった。嗤いの面は、最後まで、面を、外さなかった。外さぬまま、去った。あの面の下に、何が、あるのかを、確かめたいと、思う者は、もう、どこにも、いなかった。


 一体だけ、橋を、渡らなかった。


 薄衣の狩人は、盤の隅に、立ち尽くしたまま、同胞らの、退場を、見送り…それから、幾重もの薄衣を、一枚、また一枚と、その場で、解いて、白い砂の上に、落としていった。最後の一枚が、落ちた時、そこに、立っていたのは、ただの、銀色の細い、人の形だった。彼女は、去り際、キサーラの傍らで、足を、止め、視線を、合わせぬまま、言った。


「…セル、と、いった。…**飾る前は**」


 それだけ、言って、歩き去った。どこへ、行くのかは、誰も、識らなかった。彼女自身も、まだ、識らぬようだった。


 白い房は、その夕、閉ざされた。


 嗤う面の連なりは、外され、燃やされも、飾られも、せず、ただ、帳面に、**数えられて**、蔵に、収められた。そして、翌る朝の触れが、都を、静かに、揺らした。倦まぬ声が、いつもの、寸分揺れぬ抑揚で、読み上げたのだ。


 …**第七の垣の上の水は、本日より、量りに、入る**。


 たった、それだけの、一行だった。幾星霜、無かった頁が、在る頁に、変わった。量りの都の革命は、剣でも、火でもなく、帳面の一行で、行われるのだった。無い頁を、探すな、と、告げられた二人の量り手は、根の里の灯りの下で、その触れの写しを、長いこと、視ていたという。


 根の里では、名を、呼び合う声が、絶えなかった。


 二十と四つの影が、帳から、解かれ、灯りの下に、並んだ時…烙印の民の中から、悲鳴のような、名が、幾つも、飛んだ。駆け寄る手。抱きすくめる腕。バルは、人垣を、掻き分け、掻き分け…そして、痩せた、一人の女の前で、棒立ちに、なった。


「…ゼナ」


 女房は、亭主より、先に、泣かなかった。彼女は、量るように、亭主の殴り慣れぬ拳の腫れを、視、それから、静かに、腕を、広げた。バルは、童のように、その肩で、哭いた。…その、すぐ傍らで、帰らぬ名を、待ち続けた家族が、静かに、目を、伏せているのを、ナイラは、視ていた。二十四の頁は、閉じた。七百と十一の頁は…永遠に、閉じない。彼女は、まことの帳面の、その頁たちを、撫でて、呟いた。あんたらの名は、読まれたよ。月の刃の声で、都じゅうにね、と。


 キサーラは、輪の外れに、いた。


 十の指には、ミラの手で、布が、巻かれていた。傷は、もう、塞がりかけている。傷跡は…残るだろう。十本、すべてに。彼女は、その、布の白さを、視ていた。ほどいた指。重ねた手。看えた場所。…胸の帳面が、ひとりでに、開いた。新しい頁に、記すべきことは、判っていた。判っていて、筆が、重かった。


「…ねえ」


 ミラが、隣に、座った。膝を、抱えて。祝いの輪の灯りが、二人の顔に、遠く、揺れていた。


「…後悔、してる?」


 まっすぐな、問いだった。ミラは、いつも、いちばん、難しい問いを、いちばん、単純な形で、訊くのだった。キサーラは、布の巻かれた指を、ゆっくりと、組み、長い、静けさの後に、答えた。


「…いいえ」


 声は、揺れなかった。揺れないことが、彼女自身を、驚かせた。


「もう一度、あの刻が、来ても…私は、ほどきます。あなたを、庇うために。そして、ほどけば、あの方が、剣の届く所へ、行くと、識った上で。…後悔していない。**それが、いちばん、重いのです、ミラ**。手は、汚れていない。誰も、殺していない。なのに、私の内で、何かが、確かに、終わりました。…戻れない場所に、私は、立っています。自分で、選んで」


 ミラは、暫く、黙っていた。それから、布の巻かれた手を、そっと、取った。取って、揺すりも、さすりも、せず、ただ、持った。


「…あたしのために、だったんだよね。それ」


「あなたの、せいでは、ありません」


「せい、じゃなくて」と、ミラは、言った。「**ため**。…重いなら、半分、持つ。あんたが、あたしの鼓動、数えてくれたみたいに。数えられないもんでも…半分こは、できるよ」


 焚き火の向こうから、ジャベの、しわがれた声が、届いた。誰に、言うでもない、独り言の体で。


「…掟を、守ってもな。手の乾かぬ夜が、ある。…それでも、量りは、違えなんだ。爺は、今日の量りを、そう、記すぞ。…**濡れた手で、違えなんだ**、とな」


 キサーラは、目を、閉じた。


 遠い半身の、きこえる、と言った声。渡した先の良い幕だ、と言った声。持ってる、と言う、この手。濡れた手で、違えなかった、と記す翁。…帳面の新しい頁に、彼女は、ようやく、記した。**共犯…負い続けるもの、二行目**。そして、その、すぐ下に、小さく、もう一行。**ただし、独りでは、負わない**。


 夜が、更けていった。


 頭上の見えぬ空で、満ちた月は…今宵から、欠ける。


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