第十一章 白い喉 七節
七節
降りは、速かった。
速くて…長かった。同じ、白い喉が、昇りには、道に、見えた。降りには、砂時計に、見えた。誰も、窓を、視なかった。雲海を、抜ける時、一度だけ、ミラが、目を、閉じた。雲の下には、四日目の暮れかけた光と、南の大きな都が、待っていた。
根の門は、内から、開いた。
キサーラが、叩くより、早く。ナイラの声が、白い瞼を、開けたのだ。…帰りの気配くらい、量れるさ、と、後で、彼女は、言った。
開いた門の向こうの、根の里は、変わっていた。
人が、増えていた。皿の列は、倍に、延び、糸の水の下に、器という器が、並べられ、白い床の、あちこちに、見知らぬ、煤けた顔が、身を寄せ合っていた。渠を、伝って、逃げ込んできた者たち。その、痩せた手の甲や、腕や、額に…**新しい印**が、あった。まだ、赤い、焼き痕。ロウの鼻が、それを、嗅ぎ、彼は、低く、長く、唸った。
水を、配って、回っている、小さな影が、あった。ピムだった。数え唄の少年が、椀を、抱えて、烙印の民の間を、歩いていた。掬われた者が、掬う側に、立っていた。…それが、この、灰の日々の中で、唯一の、まっすぐな光だった。
ナイラの報せは、量り手らしく、短く、正確だった。
「烙印、確かめられただけで、六十と、七つ。連れて行かれたのが、二十と、四。行き先は、月の裁き、としか。…年寄りが、二人、検めの晩に、こと切れた。手荒くされたわけじゃない。…**心の臓が、量りに、負けたのさ**」
そして、彼女は、いちばん重い勘定を、いちばん平らな声で、言った。
「…いいかい。この都でね、烙印ってのは、**ゆっくりした、死刑**なんだ。印の者に、水は、下されない。帳面から、消えるんだから。…あたしらが、いなけりゃ。この、根の水が、なけりゃ。あの六十七人は、みんな、十日で、渇いて、終わってた」
その、勘定の途中で、ナイラは、ふと、言葉を、切り、里の奥の一角へ、目を、やった。
「…それとね。あんたに、会わせたい、若いのが、一人、いる」
娘は、皿の列の、いちばん端で、膝を、抱えて、座っていた。
灰色の衣…量り手の衣の成れの果てを、着ていた。右手の甲に、赤い、焼き痕。**量る手に、焼かれた印**。娘は、一行の近づく気配に、顔を、上げ、その、目の下の隈の濃い顔で、まず、ナイラを、視た。
「…あんた」と、ナイラが、言った。「無い頁を、探すな、って…言われたかい」
娘の目が、見開かれた。
「…どうして、それを」
「二十年前に、あたしも、言われた」
元・量り手は、娘の傍らに、どっかと、腰を、下ろした。「ナイラだ。罪状は、量り違え、一杯。…あんたは」
「…サミア。罪状は…」娘は、焼かれた右手を、視下ろした。「…量り違え。印の者に、あたしの、量りから、注いだ。三杯」
「三杯かい」ナイラは、鼻を、鳴らした。「…**あたしの、三倍だ**。大した量り手だよ、あんたは」
サミアの隈の濃い顔が、崩れた。泣くのかと、思われた。泣かなかった。代わりに、彼女は、衣の胸元から、薄い、折り畳んだ紙を、取り出した。三枚。
「…外れ町の水帳の写しです。無い頁の前後の勘定。…第七の垣の上へ、消えてる水の尻尾。焼かれる前に、写しました。それから…」娘は、おのれの、こめかみを、指した。「…**ここへも、写しました**。紙は、燃えるので」
キサーラは、その紙を、両手で、受けた。受けながら、この娘の幾晩を、思った。筆の止まった夜を。糸の締まりから、頁の厚みを、量った指を。…この火の中でさえ、量ることを、やめなかった者が、いた。
地の上へは、日の落ちきる前に、出た。
外れ町は…**静かだった**。
浄めの跡は、燃え広がった跡では、なかった。それが、かえって、恐ろしかった。火は、行儀よく、選んで、燃えていた。辻の祠のあった場所。戸口の椀のあった場所。焦げは、小さく、丸く、必要なだけ。…ただ、匂いが、町を、覆っていた。濡れた灰の匂い。そして、音が、なかった。夕餉の刻だというのに、竈の音も、童の声も、ない。戸は、閉ざされ、閉ざされた戸には、白い、検め済みの、封の印。
一枚の壁の前で、ミラが、足を、止めた。
祠が、あったのだろう。祠は、もう、ない。だが、壁に…**影が、残っていた**。煤が、祠の形に、壁を、焦がし、祠の、あった所だけが、白く、抜けている。無くなったものの形が、無くなったことによって、そこに、在り続けていた。ミラは、長いこと、その、白い影を、視ていた。
人が、出てきたのは、その時だった。
一つの戸が、細く、開き、老いた女が、顔を、覗かせた。覗かせて…黄金の衣を、視た。夕闇の底でも、それは、隠れようが、なかった。老女の目が、見開かれ、口が、動き、声にならぬ声が、洩れ…**戸という戸が、開き始めた**。
人々が、出てきた。烙印を、負った者。封の印の下から。彼らは、走らなかった。叫ばなかった。ただ、静かに、通りへ、出てきて――**跪いた**。
夕闇の灰の通りに、幾十の跪く影。焼かれた手を、合わせる者。深く、額ずく者。そのどれもが、責める目では、なかった。それが…それこそが…どんな罵声よりも、深く、キサーラを、刺した。
彼女は、立っていられなかった。
黄金の観察者は、灰の通りの、真ん中で…**跪き返した**。額ずく人々と、同じ高さまで、身を、低くして。そして、言った。通りの、端まで、届く、静かな声で。
「…私は、御使いでは、ありません」
ざわめきは、なかった。彼女は、続けた。一語ずつ、おのれの内から、剥がすように。
「あの問いを、撒いたのは、私です。皆さんの、信じてくださったものを、訂正もせず、借りたまま、発ったのも、私です。…私は、あなた方を、この火の前に…**置き去りにした者です**」
静けさが、あった。灰の匂いのする、長い、静けさが。
それを、破ったのは、いちばん、手前に、跪いていた、あの老女だった。老女は、顔を、上げ、焼き痕の残る手で、キサーラの衣の裾に、そっと、触れて…嗄れた声で、言った。
「…でも」
たった、それだけの、二文字の、あとに。
「…**来て、くだすった**」
キサーラの内で、何かが、音を、立てた。責められるより、遥かに、深い場所が、裂けた。彼女は、頭を、下げたまま、動けなかった。
その、静けさの中へ…報せは、届いた。人垣の後ろから、若い男が、進み出て、震える声で、告げたのだ。青い髪の審問官さまが、触れを、残された、と。
…**金の目の異端、来たらば、五日目の夕、灰の広場へ、独りで、参れ。申し開きを、聞く**。
キサーラは、ゆっくりと、顔を、上げた。夕闇の向こう。灰の広場の、ある方角を、視た。
「…参ります」
と、彼女は、言った。




