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喰界 -咆哮する遺骸の記憶-  作者: mutusimo
第1章 変異
12/14

繋がる先

少し文字数多くなりました。

本日、2話目です。

先に1話投稿しているので、まだの方はそちらを先にご覧ください!

 猿型は、骨と一部の筋肉や消化器官だけになり、肉は一切残されていなかった。異常に発達していた腕などの硬い部位や消化器官が腐臭を放っていた。


 形も名も持たないまま、その最期を閉じていた。


 ライグが青年の目覚めの気配を感じ、火を起こしたとき、脂と血が混ざり合った腐臭が鼻を突いた。青年の負担を軽くするため、自然に火を移し腐臭を誤魔化した。


 後に残ったのは黒焦げの骨だけだった。あれだけの頑強さを持っていた獣が、今はただの“骸”でしかなかった。


 だが、ライグはそのまま放置する気にはなれなかった。


 戦った相手だからこそ、奴の“何か”が残っている気がした。


「……爪、か。」


 靴先でまだ熱を帯びている前足の部分を探る。


 焦げついた骨の奥に、鋭く湾曲した爪が二本、残っていた。


 人の腕であれば簡単に断ち切れそうな長さで、太く、十分な厚みをもっている。


 ライグはそれを抜き取り、麻紐で腰袋にくくりつける。


 そして、牙も一対、時間をかけて頭蓋から抜き取った。


 小刀代わりに使えるだろう。太刀はもうボロボロで、研ぎ直す余地もない。


 刃が欠けた部分を即席の砥石で研ぎ、どうにか延命してきたが、そろそろ限界だ。


「小刀以外にも……使えるかもな。」


 独りごちるように呟きながら、ライグはきらりと光る物を見つけ、骨の隙間に手を差し入れた。


 そして、奥の内臓の残滓――炭と泥のような黒い粘土の中から、硬質な異物を指先で感じた。


「……なんだ、これは。」


 取り出したそれは、黒い歪な球体だった。


 直径は拳より一回り小さく、滑らかな表面は艶を持ち、触れると微かに“脈打つ”ような感触があった。


 脈動……まるで、何かの生きた器官のようだった。


「こんな……石みたいなもん、内臓に?」


 ライグは眉をひそめた。


 今まで何体も獣を狩ってきたが、解体はせずに放置してきたため、一度も見たことがなかった。


 燃え尽きた内臓の中に、唯一焦げずに残っていた不自然な“核”。


「獣の中に……これまでにもあったのか?」


 使い道も正体も分からない。


 だが、何かの役に立つかもしれない。そう思って、腰の袋にそっと収めた。


 残った骨が風にさらされて徐々に崩れていく。


 その傍らに残された、たった数片の“証”。


 それは、これからの生き方を決める道具になるのかもしれなかった。


 煙の匂いは消えつつあり、風が吹くたび、焦げた骨の臭いが微かに鼻をついた。


 ライグは小さな洞穴の中へ戻り、青年の目覚めを待つ。


 石壁に寄りかかり、ゆっくりと呼吸をしながら、ようやく訪れた静寂を味わっていた。体はほぼ回復している――少なくとも、動ける。左腕の感覚も戻っていた。


 だが、血が足りない。全身がまだ、どこか薄く、冷えていた。


 目を閉じれば、あの猿型の咆哮が思い出される。


 人のように動き、人のように“楽しみ”、だが人の何倍もの力で襲い掛かる、それはまさに喰らうために進化した獣だった。


「……あれも、最初は、ただの猿だったのか……。」


 ぽつりと、誰にでもなく呟く。


 横で寝かせていた青年の体が小さく動いた。


 額の汗はひいており、呼吸も穏やかになっている。


 ライグは近づき、そっと様子を伺う。青年のまぶたがゆっくりと開いた。


「……あんた……生きてたのか……?」


「こっちのセリフだ。出会って三日寝てたんだぞ。」


 声は掠れていたが、意識ははっきりしているようだった。


 近くの川で汲んでおいた水を差し出すと、震える指でそれを受け取り、ごくごくと喉を鳴らして飲み干す。


「ここ……どこだ……。」


「獣の群れから少し離れた洞窟の中だ。……周りに獣はいない。安心してくれ。」


 ライグは薪を組んだ火に新たな枝をくべた。火は小さく、しかし確かに燃えている。


 青年は火を見つめ、ぼそりと呟いた。


「……アイツを、やったのか。」


「ああ。……ギリギリだったけどな。」


「……嘘みてぇだな。あれ、脅威度……A相当だよな。」


 ライグは少しだけ目を細めた。


「そうだな……。初めて単独で討伐したよ。」


「よく生き残れたな。本当に感謝してる。」


 青年は体を起こそうとするが、すぐに咳き込んだ。


 ライグが支えると、肩を借りながらゆっくりと姿勢を整える。


「……元々は、脅威度Cの猿型だったんだ。群れを作る知性も、武器に反応する直感も、あの種は持たなかったのに。いつの日か、人を、何十人も喰うと変わる。思考が混じる。感覚が混じる。言葉は喋れねぇが、人間の“味”を覚えると……戦いそのものを“遊び”にしやがる。」


「俺の村も、そんな奴に襲われた。」


「そうか……。それは災難だったな。」


「奴と目が合った時、こちらの“反応”を試してた。武器の動き、足運び……。感情を読むような顔をしていた。」


 ライグは、あの狂気じみた瞳を思い出す。


 見られていた。喰うためではなく、“試すため”に。


「うちの村のリーダーが、十年前に同じような個体を仕留めたって話がある。あのときは一対一だった。……相討ちに近かったそうだが、どうにか首を落としたってな。」


 ライグは炎を見つめた。燃え尽きた猿型の残骸――あの“進化”の果てにある、名もなき存在の末路が、そこに重なる。


「……そう言えば、あんたの村は、どこにある。」


「西の方角だ。巡回と補給のために出てたんだよ。そしたら、奴に襲われて……その後は、あんたが拾ってくれた。」


「西か……前に、うちの村が村民を受け入れたことがある。そいつも巡回中に仲間が襲われて、遭難して偶々うちの村の近くにいたんだ。」


「……そうか。受け入れてくれて、ありがとうな。」


 青年――カイルは、少しだけ微笑んだ。


 ふと、洞窟の外から、ひゅう、と乾いた風が吹き込んだ。


 焦げた骨の匂いを、風がさらっていく。


「……ここに、いつまでもいるわけにはいかないな。俺は、村に戻る。」


 ライグはうなずいた。


「……俺も一緒にいいか?……もう、どこにも帰る場所がないんだ。」


 カイルは快く了承してくれた。一人で帰還することに少し不安もあっただろう。


 火が消えるころには、青空が広がっていた。


 ライグは立ち上がった。全身をぐっと伸ばし、肩を軽く回す。


 痛みはほとんどなかった。裂傷は癒え、左腕に残っていた痺れも消えている。


 体は軽い。だが、その軽さの底に、うっすらとした“飢え”が残っていた。何かが足りない。血か、熱か、あるいは別の“何か”か。


 三日前、猿型を倒したあとのことは、もう思い出したくなかった。


 それでも――自分の内側が、“それ”を欲していることは否定できなかった。


 喰らったことで、何が変わったのか。


 ライグは手を握りしめ、そして開いた。


 指の感覚が鋭い。目に映る色が濃い。音の輪郭が研ぎ澄まされている。


 喰らえば、体は修復される。筋肉は厚みを増し、神経は反応を取り戻す。


 そして、力は明らかに“増す”。


 喰った直後は顕著だ。全身に熱が巡り、異様な感覚とともに動きが研ぎ澄まされる。だが、その効果は一日ほどで緩やかに落ち着いていく。


 それでも、元に戻るわけではない。


 完全に“戻る”ことは、もうないのだ。


 つまり――喰うことで、人は強くなる。だが、それは“人”のままではいられない変化だ。


 ライグは深く息を吐いた。


 それでも、生き残るためには、選ばなければならない。


「……そろそろ、出るか。」


 カイルが支えを借りながら立ち上がる。


 まだ完全とは言えないが、歩ける程度には回復していた。


「……お前の村は、無事なのか。」


「ああ、無事さ。ここ数日で何もなければな。」


 カイルの目には、まだ不安が残っていた。


 ライグはかつての自分を見ているようで、胸の奥がかすかに痛んだ。


「村には装備も揃ってる。もし、太刀があれば譲るよ。それじゃあ、いつ折れるか分からないだろ。」


「すまんな。助かる。正直、限界だったんだ。」


「俺のは、西の断層帯の外れにあってな、森を越えて半日の距離だ。途中で群れと鉢合わせなきゃ、日が暮れる前には辿り着ける。住んでるのは三十人くらいだ。」


「三十……それはまた、ずいぶん少ないな。」


「でも、その分、全員が顔見知りでさ。子供が泣けば誰かが飛んでくるし、魚が獲れすぎたら隣に分ける。……そういう場所だった。」


 カイルの声が、ふとやわらいだ。


「村はな、滝の奥にあるんだ。崖の上から落ちる大きな滝。それを潜った鍾乳洞の中に、天然の空間が広がってて……そこに、みんなで棲んでる。」


「……鍾乳洞?」


「そう。昔の記録じゃ、あれは自然にできた空洞だって言われてる。今も奥の方にはまだ誰も入ったことのない深層があるって言われてるけど、実際には危なくて近づけない。」


 ライグは目を細めて、足元の湿った落葉を見つめながら聞いていた。


「水が豊富なんだ。川もあるし、岩の間から湧き水も出てる。だから、飲み水には困らないし、魚もよく獲れる。食料の大半は魚と山菜。肉は滅多に食べない。」


「ほう。それはまた良い環境だな。」


 ライグは火の残り灰を足で崩し、背負い袋を拾った。


 中には簡易の保存食、水筒等が入っており、数日であれば凌げる。


 抜き身のままの太刀を、仕方なく腰に吊るした。


 背中の傷跡が時折、ぴくりと疼くが、それはむしろ“生きている”実感に思えた。


「そういや、お前の名前、まだ聞いてなかったな」


「……ライグ。元々は東の村にいた。もう、村はないがな。」


「ライグ……そっか。助けてくれて、ありがとう」


 感謝の言葉に、ライグはわずかに頷いた。


 それ以上の言葉は、必要なかった。


 洞窟を出ると、乾燥した空気が二人を包み込む。


 空には雲がかかり、太陽が僅かに顔を出している。


 風が吹き抜け、木々がわずかに揺れた。


 ライグはその光景を見つめ、静かに歩き出した。


 生きる者として、繋ぐための旅路。


 その一歩が、静かに、確かに踏み出された。

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