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喰界 -咆哮する遺骸の記憶-  作者: mutusimo
第1章 変異
11/14

猿型の獣

本日も2話投稿です!

少し遅れて2話目を投稿します!

 泥の中で、足を滑らせる音が響いた。


 ライグは咄嗟に跳ねるように左に身をひねり、地面を転がった。次の瞬間、黒い影が、彼がいた場所を豪快に削っていく。抉られた大地が飛び散り、木々が軋んだ。


 咆哮はなかった。ただ、殺すという意志だけが重く圧し掛かってくる。


 これまでの獣とはまるで違う挙動だった。


 振るう腕に無駄がなく、背筋が奇妙にまっすぐ伸びている。視線が明確に“こちらを狙っている”。


 (やはり、群れの獣とは違う。以前、リーダーが狩った獣の特徴と似ているな。知性があって強い。)


 太刀を構え直す。左腕が痺れ始めていた。まだ完治とはいかなかったようだ。


 猿型の体格は人間の1.5倍ほどだが、四肢のバネと反射速度が異常だ。


 何より、動きが“読みづらい”。本能ではなく、どこか“見てから動いている”ような──。


「チッ……。」


 ライグは歯を食いしばり、懐へ飛び込んだ。太刀が弧を描き、猿型の喉元を襲ったが――。


 腕で受けられた。いや、“受け止められた”。


 硬い。皮膚ではない、何か甲殻に近い質感。太刀が跳ね返され、軌道が逸れる。


 次の瞬間、逆の腕が低い軌道で回り込んできた。


 太刀を戻す暇はない。ライグは肘でガードしながら後方へ飛ぶ。



 刹那、皮膚を裂くような“風圧”が通り過ぎた。


(……速い上に、隙がねぇ。聞いてた通り、硬すぎる。何なんだ、この硬さは。)


 それでも、逃げるという選択肢はなかった。


 この森で、もう戻れる場所はない。進むしか、生きるしかない。


 ライグは太刀を正眼に構え、刃の欠け具合を確認した。


 切っ先は欠け、刃は欠けているところが見つからないほど。


 何体の獣を斬ったか分からない。だが、まだ罅はない。


(お前を倒して、生き延びる。それだけだ……!)


 地を蹴った。視界が揺れる。体が重くなってきた。


 だが、関係ない。喰われてたまるか。


 獣の横腹に滑り込むように回り、腹を狙って突き込む。


 太刀が食い込む――かに思えたが、また弾かれる。


 反射で跳ぶ。すぐさま地面を砕く拳が降ってきた。


 直撃を避けたはずなのに、腹に鈍い衝撃。衝撃波のような打撃。


 獣の拳は、空気を圧縮して叩き込むような“質量の乗った振動”を伴っていた。


 内臓が揺れる。吐き気がこみ上げる。


 それでも足を止めず、後方に逃れながら息を整える。


 (力で押し切るのは無理だ……、タイミングを見ろ、隙を誘え。)


 猿型がゆっくりとこちらを振り返る。目が合った瞬間、獣の口元が微かに吊り上がったように見えた。


 笑った? ──いや、そんな人間らしさではない。


 “愉しんでいる”。それが本能であれ、知性であれ、こいつは戦闘を好んでいる。


 ライグは逆手に太刀を握り直した。


 頼れるのは太刀一本。それと、まだ燃え尽きていない“身体”。


 額から汗が垂れ、視界を曇らせる。


 地面の感触が、ぐにゃりと歪んだ気がした。


(限界は、とうに越えた。何回でも越えて、喰らってやる。)


 それが、喰われた者たちから“託された命”だと、今ならわかる。


「……来いよ。」


 獣が、応えた。


 一瞬の沈黙を挟み、猿型が前傾姿勢を取った。両足の爪が土をえぐり、地を裂きながら突っ込んでくる。


「――ッ!」


 ライグは左へ跳ぶ。間一髪、太刀の柄が猿型の拳をいなす形で滑る。が、それでも勢いを殺しきれず、右前腕の一部が裂けた。皮膚の浅い層ごと、熱を帯びた痛みが駆け抜ける。


 だが、それで終わらせなかった。


 勢いを殺さず、そのまま鋭く回転。太刀の刃を猿型の首へ振るう。


 確かな手応え。しかし、浅く肉を斬っただけ。


 異様な粘りと硬さ。ライグは気づく。


 こいつの体表は、斬れない訳ではない。


 “斬らせないように動いている”のだ。


 明確な防御意識。斬撃の角度に合わせ動き、致命傷を避けている。


 ライグはバックステップし、距離を取りつつ足元の小石を拾い、投げた。


 狙いは目──ではない。“視線”そのものだ。


 飛んできた小石に、猿型が反応する。


 視線が逸れた瞬間、ライグは全身のバネを使って跳び上がる。


 獣の右肩――そこに乗るように踏み込んだ。


 その体勢のまま、太刀を両手で握り、真下へ突き刺す。


 頑丈な皮膚を一点突破するため、重力と体重を全て乗せる。


 手応えはあった。甲高い音とともに、太刀が獣の肩へ深く喰い込む。


「おおおおおッ!!」


 吠えるように、刃を捩じ込む。


 猿型が吼え、地面をのたうち回る。その動きでライグは振り飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。


 肺が圧迫され、息が一瞬止まる。


 が、それでも視線は外さない。


 獣がよろめきながらも、なおも片腕を振りかぶっているのが見えた。


(まだ……倒れてねえ……!)


 ライグは泥の中で片膝をつき、咳き込みながら立ち上がる。


 左肩から血が流れ、肋骨のあたりが妙な角度で痛む。


 それでも、全身の感覚が研ぎ澄まされていく。


 頭が熱い。心臓が怒鳴っている。


 猿型が、咆哮した。


 その声はもはや獣のそれではなかった。


 苦悶か、憎悪か、あるいは“怒りのようなもの”か。頭が割れるような音が、空気を裂く。


 だがライグの心には、恐怖がなかった。


(俺は……もう、喰われねぇ。)


 猿型が跳ぶ。


 鋭い爪が、空を切り裂く。


 ライグも跳んだ。


 すれ違いざま、太刀を掴み、跳んだ勢いのまま引き抜く。


 何かが裂ける音がした。血が飛ぶ。背中が焼けるように痛む。


 それでも、止めない。着地の動作から流れるように回転し猿型の頚部を切り裂く。


 先に地面に倒れ込んだのは、猿型の方だった。


 ライグは膝をつき、ぜえぜえと息を吐いた。


 猿型の体が痙攣し、地面を何度か掻いたあと、完全に動かなくなる。


 静寂が戻る。


 草木のざわめきすら、遠くに感じた。


「……終わった、か。」


 そう呟いた瞬間、腹が鳴り、倒れ込む。


 空腹の音だった。


 地面に転がる獣の死体を見つめながら、ライグはそっと呟いた。


「喰うか、喰われるか、だよな。この世界は。」


 重い体を必死に動かし、猿型の亡骸へと這い寄る。


 その奥で、腹が鳴り続けていた。


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