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焦げた砂糖のように取り返しのつかないもの 中



 ――人形劇団と旅を続けていた頃のエレネは、自由を愛する渡り鳥たちに大切に守られていた。


 あの頃は、冬ごもりの時期以外は、長く滞在しても二週間程度で次の興行地に移動するという生活だった。豊穣の祭りが各地で行われている秋などは、暗くなる前に次の宿泊地に移動しなければならないから、馬車は砂煙を上げながら猛スピードで走り続けていた。

 幌の外の世界は飛ぶように背後に流れ去る。時間はいつも駆け足で過ぎてゆく。

 透明人間にでもなったつもりで、目の前の世界を眺めていた。誰の記憶にも残らない。誰の記憶も残さない。そうやって生きていた。

 どこかの街で会ったという人に、別の場所で偶然出会って声をかけられても、いつもエレネの方は覚えていない。曖昧に笑って誤魔化すだけ。そうやって向き合うことから逃げ続けてきた。


 ――ひとり立ちの時を迎えて、村はずれで暮らし始めてから、エレネの生活は一変した。


 いつお客が来てもいいように定休日を設けずにいたということもあるが、エレネは基本的にずっと店にいた。

 毎週、生活必需品を買い足すために村へ行くのと、普段手に入れられない品物を買いに季節の変わり目毎に開かれるマーケット行く以外、外出はしない。だから、すべての用事は徒歩圏内で片付いてしまう。

 

 毎日のように遊びに来るおばあちゃんや、村の人たちは手土産や食材を差し入れてくれし、足りないものがあればアルゴに頼めば届けてくれる。ミディは毎回、高価そうな手土産を持って泊まりに来る……。

 そもそも、最初から生活に必要なものはすべて揃っていた。

 だから、この地に店を構えてから一度も村の『外』へと出たことがなかった。 


 ――要するにエレネは周りから大変甘やかされていたのだ。 


 今、エレネはゆっくりと歩く速度で自分を取り巻く世界を確かめている最中だ。


 空を見上げて、雲の流れる方角と頬に当たる風の向きが逆だと気付いたり、昨日は蕾だった花がもう散っていることに驚いたり、季節が変わる予兆を風の匂いから感じたりすると、伝えたくてたまらなくなる。同じ速度で隣を歩いてくれている青年に。


 今まで我慢して何もかも諦めてきた反動もあると思うのだが、自分でもどうかと思うくらい、今のエレネは貪欲で我が儘で自分勝手だ。それを彼は当たり前のようにすべて受け止めてくれるから……困る。

 甘えたいという気持ちに歯止めがきかなくなりそうで怖いとすら、思う。






 翌朝、同居人の青年は、村へ行って荷馬車を借りてきた。馬車は古い時代に造られた旧街道をのんびりと進む。御者台で手綱を握っている青年は、いつもの軍服姿だ。

 彼は今も呪われたままだ。女性と会話を交わすと相手がひどい頭痛に悩まされる……はずだったのだが、それをエレネが無理矢理歪めたという状態になっている。

 エレネは、祈ることによって青年に湖の神様の加護を与え、さらに呪いがもたらす災厄をすべて引き受けている。


 金の雨はエレネだけでなく、青年の頭上にも常に降り注いでいる。本来ならば二人共、呪いの影響をほとんど受けないはずなのだと、灰色の目をした老神官は言っていた。


『呪いの効果を上げるような仕掛けが、いくつか施されておるようだ。まずはそれを見つけて壊してゆくことから始めねばなるまい。……ゲディンスのエレネ、次の遊戯はすでに始まっている』


 その言葉を思い出すと、不安定に揺れる場所を歩かされているような落ち着かない気持ちになる。


 隣村の村長の手の甲に残っていた痣。『彼女』一体どれだけの人間に助言を与えてきたのだろうか。


 ――人間の命はひとつ。ならば『彼女』はこれまでずっと勝負に勝ち続けてきたということになる。


 顔を隠すためのフード付きのマントを羽織ったエレネは、小さな荷台いっぱいに詰まれた木箱の隙間に座っている……というより嵌まり込んでいるような状態になっていた。

 優しい目をしたずんぐりとした馬と馬車を貸してもらう代わりに、隣村まで荷物を運ぶことになったのだ。

 道があまり良くないため、大きな石を車輪が踏むたびに古い馬車は大きく揺れる。その度にエレネはひやりとする。荷物と一緒に自分までが馬車の外に投げ出されそうな気がして怖いのだ。人形劇団と一緒に旅をしていた頃、エレネは猛スピードで走る馬車の上で平然と眠ったりお喋りをしたりしていたのに……


「エレネさん……顔色悪いですけど、もう少し速度を落としましょうか?」


 振り返った青年が心配そうな顔でエレネに尋ねる。喋ると舌を噛んでしまいそうなのでエレネは無言のまま首を横に振る。あんまりのんびりしていたら、日没までに戻れないかもしれない。


 いつもよりずっと早く流れ去ってゆく景色を見ていると、どこかに何かを置き忘れてきてしまったような、何か大切なものを見落としてしまったかのような……そんな焦燥感が胸に広がってゆく。それを振り払うために、エレネはもう一度しっかりと首を横に振った。


「わかりました。もう少しで多分……多少揺れはマシになると思います」


 その言葉通り、しばらくすると、荷物が転がり落ちそうな程馬車が大きく揺れることはなくなった。エレネはようやく人心地ついて、そろそろと木箱の隙間から身を乗り出し周囲を見渡す。砂に埋もれた石畳の道と、そして……遠くに見える門のような建造物には見覚えがあった。


 これは、雨の神様の神殿へと至る道だ。

 気が遠くなるくらいの長い時間ここに立ち続けていた。

 だから、エレネにはわかるのだ。

 目の前の景色の中には足りないものがある。ここにあるべき人の姿がない。

 花を持って歩いていた……彼女は一体どこにいるのだろう。


 頼まれた荷物を下ろさなければならないため、直進して門には向かわず、左手側に集落が見えてきた辺りで脇道に入る。村に入るとすぐに青年は馬車を停めた。

 御者台から降りた青年がエレネに片手を差し出す。その手を借りながら、そろそろと荷台から御者台に移動し地面に向かって足を伸ばす。ようやく地に足がついたとほっと気が緩んだ途端に、足に力が入らなくなってそのままがくっと膝から崩れ落ちそうになってしまった。青年が抱き留められた途端に、今度は頭痛に襲われエレネは思わず顔を顰める。

 エレネをひょいっと抱え上げて御者台に座らせると、彼はすぐに体を離して数歩後ずさった。


「すみません」


 謝罪の言葉を耳にした瞬間。「どうして謝るんですか!」とエレネは反射的に言い返していた。


 自分の声の刺々しさに驚いて冷静になる……より先に、体の奥から新たな怒りが湧き上がる。ムスッとした顔で両手を膝の上で強く握りしめて子供のように拗ねているエレネをどう扱っていいのかわからないらしく、困り切った顔で青年はまた半歩後退る。……その行動もエレネの怒りに火を注いだ。


 目が吊り上がっているのが自分でもわかる。完全な八つ当たりだとわかっているのに、うまく感情が制御できない。


 久しぶりに馬車に乗ったらとても怖かった。人形劇団と一緒に旅を始めた頃も、もしかしたら同じ恐怖を味わっていたのかもしれないが、そこはもう覚えていない。

 

……とにかく、久しぶりに乗った馬車は本当に怖かったのだ! 荷物と一緒に宙に放り出されるかと思った!! 


 今更がくがくと体が震えはじめてしまう。それを抑え込むためにエレネはじっと体を固くしている。怖くて……腹が立って、悲しくて寂しくてつらい。どんな感情も瞬時に怒りに変化してしまうから、素直に『怖かった』と言えない。


 やり場のない怒りを何かにぶつけないと気がおさまらなくなっている。

 

 諍い事の気配を感じたのか、馬が振り返って、ちらりちらりとエレネと青年を見比べはじめた。


「落ち着くまで休憩しましょう」


「痛いのは我慢できます。でも、そういう風に謝られたり、避けられたりするのは我慢できません。寂しくて、悲しくなります。だからいつも通りにしていて下さい。耐えられないくらい頭が痛くなったら、私が自分から申告して自分から離れます! お願いですから、離れていかないで」


 エレネは怒りに任せて一息に言い切った。無茶を言っている自覚はある。でもこの勢いで伝えておかないと、冷静な時ではうまく言葉にできない気がしたのだ。

 青年は弱り切った表情で、エレネから目を逸らす。そのまま少し考え込んだ後に、エレネに向き直ってしっかりと頷いた。


「……はい」


 彼の方にも言い分はあるに違いないのに、すべてを飲み込んで、エレネの希望を叶える方を選ぶ。

 これではどちらが年上かわからない。


 彼の表情の穏やかさに影響されて、エレネの心から怒りや苛立ちといった負の感情が消えて行く。そうなると、自分の幼稚さが恥ずかしくなった。

 頬を染めて御者台に手を置き、その爪の先を特に意味もなくじっと見つめる。

 一度目を閉じて深く息を吸って、吐いて。もう一度吸って吐く。体の中に残る淀んだ感情を全て吐き出すようなつもりで。


「ごめんなさい。八つ当たりでした。でも……撤回はしません」


 嫌になるくらい可愛げがないなと思う。こういう所だけは老猾な自分が嫌になる。そして、怒りが収まれば今度は意味もなく落ち込むのだから、面倒くさい女だと思われたって仕方がない。

 俯いた顔に影がかかったと思った途端に、エレネの体を熱が包み込む。のろのろと目を上げると、彼の肩越しに『何だ、もう終わり?』というように、馬が尻尾を振って首を前に戻すのが見えた。


 そのままエレネは目を閉じる。


「こうやって、安易に触れることができないように、引き離すのが目的なのでしょうか?」


「実際は、今の方がずっとずっと距離が近いんですけどね……」


 頭の上で青年が微かに呟いて苦笑する気配があった。


「不安になるのは当たり前なんです。エレネさんにとっては、久しぶりの『外』なんですから」


 迷子の子供のような不安げな顔をしているエレネの両肩に手を置いて少し体を離してから、青年は色違いの目を覗き込んで優しく言い聞かせるようにそう告げた。

 軍服の胸元に額を擦りつけて目を閉じる。ずきずき頭が傷み始めるけれど、意識の外に必死で追いやった。泣きたいような気持ちになるのは、もう少しこうしていたいのに、不愉快な呪いがそれを許さないからだ。


『一度村を出て、外の世界を見てきなさい』


 今になってようやく気付いた。あれはエレネに向けての雨の神様からのメッセージでもあったのだ。助言を無視し続けていたのはエレネも同じだった。ほろ苦い後悔が胸に押し寄せる。


 助言は消えてしまったけれど――まだ、間に合うだろうか。


 ようやく気持ちを切り替えて、平常心を取り戻したエレネは周囲を見回した。もうすぐお昼だというのに周囲に人影はない。……が、心の平穏は一分ともたなかった。じわじわと頬が熱をもってゆく。


「昼日中に往来で痴話喧嘩…………」


 エレネは呟いて力なく項垂れる。真昼間の街中で、二人の世界を作り上げてしまっていた……

 あまりの恥ずかしさに目の端に涙が滲むが、ここはとりあえず、誰にも見られていないようだから、それでよしとするべきなのだろう。

 頬に手をあてたまま、念のためもう一度注意深く周囲の様子を確認する。誰か隠れて覗いていたりしない……でほしい。祈るような気持で目を凝らす。一応フードは被っているから顔は見られていないと思うけれど。


 随分と寂れているな、という印象だった。周囲は空き家なのだろうか。もう随分長いこと手入れされていないようで、至る所で石の壁が崩れかけている。


「……エレネさんに話しておくようにと言われたことがあります」


「…………はい」


 青年はエレネから身を離すと、彼もまた周囲に人の気配がないか探るように大きく見渡した。

 何となくこのまま離れるのが惜しくて、エレネは無意識の内にきゅっと軍服の袖口を指先で摘まむ。


「ここは、シィエタイス村と呼ばれています。古い言葉で長男の村という意味だそうです。私たちがお世話になっているのはリャノスタイス村。これは三男の村という意味です。遥か昔、この辺りは大きなひとつの村で、それを兄弟三人でわけという伝承が残っているんですよ。長男が神殿のある非常に大きく栄えたシィエタイス村を取り、次男がその隣の村を取り、三男に残されたのは一番神殿から遠く離れた荒れ地の中のちいさな村だった。各村の村長はその三兄弟の末裔ということになっています。だから、村の名前を名乗るんです。この村の村長は、シィエ村長と呼ばれています。リャノスタイス村の村長はリャノス村長です。村の名前が自分の名前になるという訳です」


 エレネは相槌を打ちながら、遠い昔の景色を思い返してみる。

 村が三分割されたのは、『ヲ』の刺青を腕に掘った男達が歩いていた時代だろうか。神殿へと続く祈りの道を大勢の人が行き交っていた。

 まるで、季節ごとに街道で開かれるマーケットのように賑わっていた。

 ――でもそれも遥か遠い昔のことだ。


「この地を守る神様は……かつては川の神様でもあったんです。毎年氾濫を起こし、その度に神殿は流されていたと記録に残っているようです。だから……今は門しか残っていません」


 文明が栄えるのは大河の畔だ。川は肥沃な土を運ぶ。しかし、今ここに水の気配はないようにエレネには感じられた。……そしてふと思い出す。祈りを捧げる人々に混ざって、土木作業の道具を背負った男たちが行き交うようになり、彼等の姿が消えると同時に、祈りの道を歩く人の姿はぱたりと見られなくなったのだと。


「治水工事が行われて、川の流れが変わったのですね?」


 青年が頷くのを確認して、エレネは空を仰ぐ。人の手によって川の流れは変えられて、この地の神様はひとつ役割を奪われた……と、いうことになるのだろうか。


 ――それはもしかしたら、遊戯に負けた、ということなのかもしれない。


 また背筋がぞわぞわとし始める。エレネがぎゅうっと袖口を持つ手に力を入れたことに気付いた青年が、力を入れすぎて白くなった指先に自由な方の手を重ねた。そのあたたかさにほっとする。


 怖いと感じるのは、それが人間が生きている世界の『外』の出来事だからだ。そこは、このぬくもりが届かない世界。それだけはエレネにもはっきりとわかる。


(ああ、また、『外』だ)


 エレネは小さくため息をつく。アレスは人と神様との狭間の存在だとゲディンスのラウラは言っていた。だから、()()()()()()()。いつか戻れなくなりそうで――


「川の流れと共に、人の流れも変わった。治水工事が終わってしばらくすると、今度は新しい橋と広い街道が造られました。今日通って来たのは旧道の方ですね。今では、長男の村(シィエタイス)に向かう人以外誰も使いません」


 確かに、道中一度も後方から追い抜かれることも、前から来た馬車とすれ違うようなこともなかった、細い道の両端には草が生い茂りすっかり荒れ果てていた

 エレネは、あの白黒の世界で立ち尽くしていた時の、胸にぽっかりと穴があいたような空虚な気持ちを思い出して、俯いて顔を僅かに歪める。


「新しい街道は長男の村(シィエタイス)からは遠く、三男の村(リャノスタイス)からは比較的近い。でも、最も近いのは次男の村であるテトナタイス村です。今はもう『村』ではないですね」


 テトナはこの辺りで一番大きな街の名だ。城主の居城もそこにある。

 川をうしなった長男の村(シィエタイス)では過疎化が進み、街道に近い次男の村(テトナタイス)は街道の恩恵を受けて栄えた。三男の村(リャノスタイス)も宿場として僅かではあるがおこぼれにあずかった。


「そして最近、また人の流れが変わるような出来事が起きた。赤い目をしたアレスが、三男の村(リャノスタイス)の外れに店を開いたんです。どのアレスに助言を読み取ってもらっても料金は一律です。ですから、神様からの助言を正確に読み取ることができる、評判のいいアレスの店があると耳にすれば人々はそこに殺到する」


 エレネは青年の言葉の意味が分からずに、瞬きを繰り返した。エレネの店はお世辞にも儲かっているとは言えない状態だ。店に入りきらない程のお客が訪れるなどということは、かつて一度も……そう、一度もない。


 はっとした顔になって、エレネは顔を上げる。

 

 お店に入って来るお客はいつもひとりだけだった。タイミング悪く同じタイミングでお客が店を訪れて、外で待ってもらわなければならない状況になったことなど一度もなかった。

 常に閑古鳥が鳴いている店だとしても、そんなこと、確率的にあり得るだろうか……?


「もし、誰も何もしなければ、あの審問の時のように、毎日エレネさんの店は大勢の人間に取り囲まれていたでしょうね。――でも、全員が全員、自分がそうしたくてやっていたことなので、エレネさんが気にすることではないです」


 青年はエレネの手をそっと袖から外させると、ふわりと柔らかく笑う。そうしてから彼はエレネの指先を包み込むように優しく握った。指先に触れた熱を自覚した途端にエレネの心臓はどきんと一際大きな音を立てる。そしてすぐに壊れそうな速度で走り始めてしまった。


 締め付けられるような頭痛をどこか遠くに感じている。しかし、このまま心臓が破裂してしまうのではないかとそちらの方が不安で、エレネはただ息を詰めて青い瞳を見つめている事しかできない……

 

 

 


遅くなってしまって、大変申し訳ございません。

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