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焦げた砂糖のように取り返しのつかないもの 上



 ゆっくりと横に倒れて行く男を、周囲の人間が慌てて支えてカウンターの外に出して床に座らせる。隣村の村長は涙を流しながらも、両手を重ねて強く口を押さえ続けていた。


 ……言葉に出してしまったら取り返しがつかないものを隠しているかのように。


 エレネは奇妙なその痣から目が離せない。

 薄茶色の絵の具をべったりと塗りつけられたようになっている手の甲にはかつて、『彼女』のしるしが浮かび上がっていたのだろうか。陰気な影を背負ってこの店を訪れた人々たちと同じように……


「……村長!」


 立ちはだかる人々を無理矢理押しのけてカウンターに手をついたのは、先日『後悔させてやる』と捨て台詞を吐いて店から去っていた青年だった。


 彼が自分の父親を「村長」と呼んだことが、エレネの中に強い違和感をもたらした。例えば、職人であれば父親の事を師匠と呼ぶ。それと同じ事だとも考えられるのに……何故だろう。そこが妙に引っかかったのだ。


 青年は父親に駆け寄ると、両肩を掴んで小さく揺らし始めた。父親の顔はすでに涙でぐちゃぐちゃだ。それでも絶対に両手を口から外すまいと体を固く強張らせている。

 すうっと灰色の影が動き、引き寄せられるように青年の体に纏わりつくと、親子の体を中心に巻き込むようにしてゆるく渦を巻き始めた。金の雨は灰色の影に弾かれ彼等の体に届かない。


「一体どうされてしまったのですか。あんなのは単なる言いがかりです。誰かがあなたを貶めようとしているだけです。どうか落ち着いて下さい、村長っ!」


 青年が必要以上に声を張って、わざとらしく嘆ききはじめた。


 ――まるで……下手なお芝居を観せられているかのような気分だった。


 そう感じたのはエレネだけではなかったらしく、場の空気が一気に白ける。


 これは何だろう……。何かおかしい。この二人は……気持ちが悪い。


 不審がる周囲の視線に気付いた息子が、はっと顔を上げてきまり悪そうに周囲を見渡す。そして、彼はエレネと目が合った瞬間にしまった! というように慌てて顔を背けた。

 焦った様子で落ち着きなく目をきょろきょろさせて、父親の肩に置いた手を無意味に軽く握ったり開いたりし始める。

 何かを誤魔化すために必死に言い訳を考えている……まさにそんな様子だった。


 ――明らかに、何か隠し事をしている。


「……あなたは……だれ?」


 エレネの口からそんな言葉が零れ落ちる。その言葉に青年は過剰な程の反応を見せた。怯え切った表情で勢いよく立ち上がると、父親の両脇に手を入れて引っ張り上げるようにして無理矢理立たせ、肩を抱えながら店の入り口の扉に向かって引きずるように移動し始める。……罪を犯す瞬間を見咎められ、慌ててその場から逃走しようとしているようにしか見えなかった。


「どけっ。邪魔だ! さっさと道を開けろっ。見世物じゃないんだ。じろじろ見るなっ」


 血走った目で扉の外に立っている見物客たちを睨みつけると、彼は父親に対する時とは別人のような乱暴な口調でいきなり怒鳴りつけた。今にも無差別に殴り掛かろうとするような殺気立った様子だ。


 扉の前に立っていた騎士が、両手を広げて扉の前の人々を庇いながら、ゆっくりと後ろに下がる。その動きに合わせて見物人たちも左右に割れるようにして扉の前から退いた。


 青年は周囲を威嚇するように常に見回しながら、父親を店の外に連れ出す。店から一歩出た途端に、父親の歩みはしっかりし始め、息子の介助を必要としなくなった。……それでも彼は決して口から手を離そうとはしない。


 隣村の村長親子は、一度も振り返ることなく足早に去って行った。


 二人の背中が小さくなるまで、その場の全員が固く口を閉ざしていた。もし何か一言でも発したら、青年は父親をその場に残して駆け戻り、怒りに任せて襲い掛かってくるように思われたのだ。あの目のぎらつきは尋常ではなかった。


「なんだ……あれ? あんな奴じゃなかったのに、一体どうしちまったんだ?」


 どんな大声も届かないくらい二人が遠ざかった頃になって……誰かがぽつりとそんな事を言った。





 おばあちゃんたちを含め、見物客は全員各々の村へと帰って行った。店はいつも通りの静けさを取り戻している。同居人の青年を含めた数人の騎士たちがまだ残ってくれているのだが、彼等はエレネに気を使って、神官たちとの会話が漏れ聞こえない位置に移動していた。

 

 恒の下に置かれたテーブルで、二人の神官は寛いだ様子でエレネが淹れたお茶を飲んでいる。 


 エレネが一人で暮らしていた頃は、テラスに置かれたテーブルには椅子がひとつだけだった。青年がここで一緒に暮すようになってから、向かい合って食事ができるようにひとつ増やされていた。

 庭で育てている香草を数種類ブレンドして作ったお茶は、二人の口に合ったようだ。若い神官はカップの中を覗き込んでお茶の色を確認している。エレネは注文を取りに来た店員のように、テーブルの近くでお盆を胸に抱えて立っていた。


「ゲティンスのエレネは、不特定多数に向けられた呪いを全部自分に向けるように道筋を作ってしまった。それで一気に体に負担がかかって倒れてしまったのだよ。他の女性たちは呪いから解放された訳だから、ここは一旦、『これでよし』としておきなさい」


 エレネは恥ずかしさのあまり木製のお盆をぎゅっと抱きしめて俯く。

 彼を独り占めしたい。その気持ちが強すぎて、他の女性たちにかけられた呪いを引き剝がして自分のものにしてしまった。と、そういうことのようだ。

 その無意識化の行動の根本にあるのは……独占欲と嫉妬心だ。それは決して綺麗な感情ではない。わかっているけれど、呪いを引き受けるという役割を他の誰にも渡したくない。


「根本的には何も解決しておらんのだよ。儂らには呪いを消し去ることはできん。……ただ『この呪いが異国のもの』ということだけは教えておかねばなるまいな。月と潮に関連する呪いで月の満ち欠けで効果が変わる。月が満ちれば強まり、欠ければ弱まる。……消し去れるかどうかはその『赤い瞳』次第ということになる」


 老神官はカップをテーブルの上に置くと、ゆっくりと顔を上げた。意味がわからないという顔をしているエレネの顔をじっと見つめる。


「『灰色の影』は運命を歪めて、ゲディンスのエレネをこの世界から完全に消してしまうつもりだったのだ。それは半分成功したと言える。『緑色の瞳のアレス』は消えてしまったのだから」


 老神官は穏やかな口調で続けた。恐らくはエレネを必要以上に怯えさせないために。

 それでも……改めて告げられた事実が暗く重たすぎて受け止めきれない。エレネの胸の中で不安が急速に膨れ上がってゆく。心臓が嫌な感じに走り始めた。


「寿命は変えられないし、宿命からは逃れられない。しかし、運命というものは絶対ではないのだ。だから、望まない運命を変えるために、我々人間は神々に助言を求める」


 そこで一旦言葉を切って、老神官は一口お茶を飲んだ。いつの間にか若い神官は空のカップをテーブルの上に置いて、野帳を開いて老神官の言葉を記録している。


「暇を持て余している神々は人間たちに助言を与える遊戯をしている。誰かの願いが叶う時、誰かの願いは叶わない。……人間たちは、より良い運命を手に入れるための勝負をさせられているとも言えるかもしれん。それを神々は高い場所から眺めておられる」


 エレネはぎゅうっと心臓を締め付けられるような不快感に思わず顔を顰めた。

 その先に続く言葉を聞きたくない。聞いてしまったら……知ってしまったらもう戻れない。

 できることならば、両手で耳を塞いでこの場にしゃがみ込んでしまいたいとすら思った。


「より良い運命に導くのが助言であるなら、呪いは真逆に作用する。相手を不幸にするために、より悪い運命へと導く。……そういう勝ち方もあるのだと覚えておきなさい」


 老神官はカップの中身を全部飲み干して立ち上がる。若い神官は書き物を続けながらそれに倣った。


「ゲディンスのエレネ。運命は常に揺らいでいる。今のそなたは、『緑の瞳のエレネ』とは異なる運命を選び取った『赤い瞳のエレネ』だ。……しかし、その赤い瞳はいずれ緑に『変わる』かも知れぬ」


 どくんっと、心臓が一際大きく脈打った。エレネは限界まで大きく目を見開いて体を震わせる。

 そして、その時に初めて気付いたのだ。……もう緑色の瞳だった頃の自分を思い出せないことに。

 まるで生まれた時から赤い瞳であったかのように、『赤』であることが当たり前になっていた。


「今私が持っているものすべてが、あの時のように失われるかもしれないと、そういうことなのですね?」


 エレネが震える声で尋ねると、二人の神官はそれぞれ重々しく頷いた。


 ――五年前。

 助言を違えた犯人に仕立て上げられ燭台を投げつけられたあの時に、エレネは一度すべてを失っている。

 もし……同じ事がもう一度起きるのだとしたら。

 そう考えるだけで体の震えが止まらなくなった。しかし、客人たちの前でみっともなく泣く訳にもいかない。ぐっと涙を堪えてエレネは神官たちに深く一礼する。


「御足労いただきありがとうございました」


「金の雨の加護は我らにも降り注いだ。今はとても気分が晴れやかだ。……ゲディンスのエレネのそばには常に光がある。それを見失わないようにな」


 老神官は目を細めて笑う。その声は労わりに満ちていた。


「例えば、私が一年間ひたすら無心に祈りを捧げたとしても、これだけの加護を得られないでしょう。正直妬む気持ちもあるのですよ。でも……光が強い分闇も濃くなる。どうか十分にお気をつけて」


 野帳を閉じた若い神官が、エレネをまっすぐに見つめて平坦な声でそう告げた。あまり表情の変わらない人だが、言葉通りに取れば気遣われているということになる。


「……珍しいな、おまえが自分から声をかけるのは」


 老神官は彼の行動に心底驚いている様子だった。


「お茶が大変美味しかったので」


 表情を変えずに若い神官はそう言って、空になったカップに視線を落とした。そして、そのまま動かなくなった。

 ……そういえば神官たちは、自ら金品を要求してはいけないことになっていたような気がする。その辺りはアレスよりも厳しかったはずだ。お茶くらいなら問題なさそうだが、嗜好品という扱いで禁止されているのかもしれない。


「…………少し持ち帰られますか?」


 気を利かせてエレネがそう言った途端に、若い神官は真顔で大きく頷いた。


 二人には馬車で待っているようにお願いして、エレネは急いで店の奥に移動する。空の瓶を探して手早くお茶を詰め、それを持って庭に出ると、お茶に入っている香草を摘んで小さな花束のようにまとめた。

 馬車の中で待っていてくれれば良かったのに、若い神官はわざわざ外で立って待っていた。

 エレネがお茶の入った瓶と香草の束を手渡すと、彼はほんの微かに笑ってお礼を言った。老神官が皺に埋もれた灰色の目をいっぱいに見開いていたので、相当珍しいことのようだった。






「今は満月に向かっているので、これから呪いの効果はどんどんと強まってゆくということなのでしょうね……」


 窓から見える月を見上げて、同居人の青年がぽつりと呟いた。近寄ろうとするとさりげなく距離を取られる。それがずっと繰り返されている。気遣われているとわかっていてもそれがエレネにはとても寂しい。


「…………拗ねないで下さい」


「拗ねている訳ではないです。怒っているだけです」


 むすっとした声で答えたエレネは、夕食のスープに入れる野菜を調理用のナイフでひたすら刻んでいる。角切りにするつもりがみじん切りになってしまったのは、きっと気持ちが乱れているせいだ。


「エレネさんが辛い思いをするのは、嫌なんです」


 困ったように彼は微笑む。その途端にエレネの中で何かがパンっと音を立てて爆ぜた。


「私は、そうやって距離を取られる方がずっとずっと辛いです!」


 エレネは一旦手を止めてナイフを置き、青年にじっとりと恨みがましい目を向けた。彼は少し気まずそうな表情になって、ふいっと顔を背ける。ややあってから観念したかのようにため息をついた。


「……すみません。少し……嫉妬しました。……拗ねていたのは私の方です」


 想像もしていなかった言葉を返されたエレネは、パチパチと目を瞬く。嫉妬……? 嫉妬する相手は……誰? 考えても……全くわからない。


「エレネさんからお茶を手渡されていた彼に」


 青年は考え込むような目になって「少しじゃないな……すごく」と付け加える。


 エレネは「お茶を渡しただけですよ」という言葉を一旦飲み込む。胸に手を当てて自分の気持ちを確認する。……ほっとした。というのが一番大きい。自分だけが独占欲を抱えている訳ではないとわかったから。

 いつも彼は、嘘偽りない気持ちをエレネに伝えてくれる。だからエレネも素直な気持ちを返すことができる。


「よかった。私だけじゃなかった」


「え?……エレネさん? 何しようと……ええええーっ?」


 捨て身で体当たりを仕掛けたエレネを抱き留めた青年は、弱り切った顔で天井を見上げていた。

 頭が締め付けられるように痛み始めるが、我慢できないほどではない。この先、月が丸くなって行けば、触れるどころか言葉を交わす事さえ困難になるのかもしれない。


 でも、今はまだ大丈夫。


 内心の動揺を表して大きく揺れている青い瞳を、エレネはじーっと見つめる。


「もしも立場が逆だったら……すべての呪いを引き受けてくれますか?」


 冷静さを取り戻した青年は、天井を仰いでしばし思案に暮れたのち、大変苦いものを食べたような顔になってエレネを見下ろした。


「そんな平和な話では終わらないと思います」


 ……またしても、どういう意味かさっぱり分からない。エレネは思わず首を傾げた。一体彼の頭の中ではどんな光景が繰り広げられたというのだろうか。


「…………そうか……私の方で、良かったのか」


 ぼんやりとした声で、ぽつりとそう言ってから、彼はエレネの頬に手をあてて色違いの瞳を覗き込む。そして何やら納得したかのように表情を緩めた。エレネの両肩に手を置いてそっと体を離す。


「我慢できないくらい頭が痛くなる前に、離れて下さいね。……触れられなくてもここにいますから」


 その声は普段通りとても優しい。エレネは素直に体を離して数歩後ろに下がった。


 触れられなくてもここにいる。その言葉にはっとさせられた。 


 ――五年間……だ。


 恋でなかったかもしれないけれど、遠く離れた名前も知らない少年のことをエレネはずっとずっと想い続けていた。五年間毎日毎日、幻となって彼の前に姿を現し続け、あの日出会ったアレスの事を忘れさせなかった。


 ……それこそまさに呪いだ。そうやって彼の心を自分に縛り付けていた。


 エレネは思わずふふっと笑ってしまう。それに比べれば、全く大したことないではないか。


「そうですね、夫婦みたいに毎日一緒にいるから、これが当たり前のようになってしまっていたんですね」


「なっ……え?……あ……」


 青年が再び真っ赤に頬を染めて、慌てて片手で口を塞ぐ。恐らく無意識で勢いよく後退り、調理台に足をぶつけて顔を顰めた。くるりと体を反転させて調理台に両手をついて項垂れている。何故彼がそこまで動揺するのか、やっぱりエレネにはわからない。朝食の準備の時から、彼は少し様子がおかしい気がする。


「…………そう、か。……強制的に引き離されて……かえってよかったのか……」


「え?」


 何かぼそぼそと青年が言ったのだが、あまりよく聞こえなかった。強制的にとか言っていた気がするが、何だろう。


「エレネさん、食事の用意が途中ですね。何か私に手伝えることはありますか?」


 何やらすっきりとした顔で彼はエレネを振り返ると、さりげなく話をすり替えてシャツの袖を捲り始めた。……彼は彼で、何らかの答えに辿り着いたようだった。


 呪いに怯え、未来を憂いているだけでは何も解決しない。

 どうしたって時間は進んでゆくのだから。

 エレネは胸の前でぎゅっと手のひらを握りしめると、努めて平静を装って青年を見上げた。


「……明日、行きたい所があるのですが、初めての場所なので、ひとりで辿り着けるか不安なんです。一緒に行ってくれませんか?」


 エレネがそう頼みごとをしたその時だった――




 どうしたら、わたしはずっとあのひとといっしょにいられますか?

 どうしたら、あのひとのこころはわたしにむいてくれますか?

 あのひとのしあわせのためにわたしにできることは……もう、ここからはなれることだけですか?



 胸が締め付けられるような悲し気な声が聞こえたのだ。


 ――野の花を一輪大切そうに持って走っていた少女が、暗く寂しい場所で膝を抱えてひとりで泣いている。

 

 そんな映像がエレネの頭の中に浮かんで……消えた。



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