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綿菓子のように甘くはかないもの 中



 気持ちが落ち込みやすく疲れやすい。あの灰色の影に纏わりつかれていた頃に似ている。


 ――名前も思い出せない彼女はもういなのに、どうしてだろう。


 村人たちの態度によそよそしさを感じた日から、すでに二日が経過していた。隣村の雨の神様のしるしを持った青年が去って行った後、お客どころか、毎日のように店に通ってくれていたおばあちゃんたちも訪れない。何かあったのかと心配でたまらないのに、エレネはどうしても村まで様子を見に行くことができないでいる。


 重苦しいため息をついた瞬間、手がふっと軽くなった。青い瞳が心配そうにエレネの顔を覗き込んでいる。鍋は彼の手によって調理台の上に置かれた。

 いつの間に戻って来ていたのだろう。全く気付いていなかった。すでに私服に着替えているから、先に部屋に戻って荷物を片付けた後なのだろうか。


「お鍋を持ったまま考え事をすると危ないですよ。あとはやっておきますから、座っていて下さい」


「大丈夫ですよ?」


 取り繕うように笑ってみるが、青年はゆるく首を横に振った。


「大丈夫そうな感じではないですから……手に触れても?」


 小さく頷くと、大きな手がエレネの右手を包み込む。冷たい、と感じたことに驚いた。普段は彼の手の方があたたかい。


「やっぱり、少し熱があるのかな。……額に触れますね」


 やさしく前髪が払われて、額に手のひらが触れる。冷たさが心地いい。熱があると自覚した途端に、足元がふらついた。何だかこういうのはずるい気がして嫌なのに、それでも支えるように抱きしめられると安心する。ほっと息をついた瞬間……


「いった……」


 頭がぎりっと締め付けられるような鋭い痛みに襲われた。思わず息を詰めて片手でこめかみを押さえる。


「エレネさん、少し離れます。それでその頭痛、治まるかもしれません」


 青年が手を広げて数歩下がり、エレネから距離を取る。すると彼の言う通りに不思議と頭痛が和らいだ。これはなんだろう? エレネはのろのろと顔を上げる。


「やっぱり……」


 青年は少し離れた位置に立ち、申し訳なさそうな表情でエレネを見つめていた。


「今、そういう呪いが、疫病みたいに広がっているみたいなんです。私と言葉を交わした女性たちが、その後ひどい頭痛に悩まされているらしくて」


 呪い……という言葉が耳に届いた途端に、エレネは悪寒を感じて身を震わせた。タイミングからしてこの頭痛も偶然という感じではない。ならば、この倦怠感も呪いによるものなのか……でも一体誰が?


「……言い訳に聞こえるかもしれませんが、言葉を交わすと言っても挨拶程度ですよ? 巡回中なので」


 いかにも恐る恐るといった感じで、彼はそう付け加えた。


「挨拶しただけで頭痛となると、不特定多数を対象とするので、相当強力な呪いということになりますね」


 考え込むような表情になったエレネを見つめて、「ほら……やっぱり私に興味がない」と呟いた青年が苦く笑う。エレネはむっとして彼を見上げた。


「だって、『エレネさん』という恋人がいるのに、お仕事中に会う女性会う女性に声をかけて口説いたりなさらないでしょう?」


 思いがけず強い口調になってしまったことに自分で驚く。だが、彼はもっとびっくりしたようだった。何かを誤魔化すように目を伏せて、彼は少し困ったように笑う。


「……それで、近隣の村の住人達から、エレネさんを疑う声が上がってきているんです」


「……そうですね。普通に考えれば、恋人である私が嫉妬して、呪いをかけたということになりますよね」


 エレネは納得して大きく頷いた。何しろ、『エレネさんの恋人さん』と村人たちに呼ばせているような女なのだ。独占欲の塊だと思われても仕方がない。

 ……それで、村の人々は何となく様子がおかしかったのか。疑われても仕方がない状況とはいえ、辛い。


「私じゃないなら誰なんだろう」


「え……?」


 青年は茫然とした顔でそう言ったきり黙り込み……ややあってからばっと口元を隠して顔を背けた。金の髪から覗く耳が赤い。どうしてそういう反応が返ってくるのかよくわからないエレネは、軽く首を傾げた。


「…………私じゃないですよ?」


 彼がエレネのことを疑うとも思えないが、はっきりと伝えておいた方が彼も安心できるだろうと思ったのだが……


「…………あ、……はい……それはわかってます……村の皆さんも……そこは誰一人疑っていないというか……」


 ぼんやりとした声で返事をした青年は、エレネに向き直ろうとしない。


「…………え……想像していたのと……反応が違う。……何が……あって……こんな……?」


 とか何やらぶつぶつ呟いているが、口元を隠しているためうまく聞き取れない。


 エレネは目を閉じて胸に手をあてた。村人たちがエレネに対して急によそよそしくなったのは、その呪いの件が関わっているに違いない。でも、青年の言葉を信じるならば、彼等はエレネを犯人だと決めつけている訳ではないのだ。

 そのことに、涙が出そうなくらいほっとしている。


「となると、女性限定の呪いということになりますね」


 エレネは軽く首を傾げて青年に歩み寄る。それだけでは特に頭痛がひどくなるということはないし、こうして会話をしていても特に問題はない。

 青年の腕に手を乗せる。びくうっと大袈裟なまでに体を震わせて彼はエレネに向き直った。まだ頬が赤い。しかしエレネはそんな彼の様子に全く頓着することなく、ぎゅっと腕にしがみついてみた。


「うん……まだ大丈夫」


 一人納得して頷く。


「エレネさん……えっと、何しようとし……て……?」


 しどろもどろになりながら、青年は店に続くドアに向かってそう言った。それには答えずに、そのまま体に抱きついてみる。ずきんずきんと頭が傷み始めるが、不意打ちだった先程とは違って警戒していたため、呼吸ができなくなる程ではない。


「……えっと、だ……大丈夫ですか?」


 上ずった声が頭の上から降ってきた。


「……負けない」


 何と戦っているのかわからないが、頭痛に耐えながらもさらにエレネはぎゅうっと青年の体にしがみついた。


「……え……? ……そ……そこで、張り合う必要、ない、と、思うんですが……」


 青年は慌ててエレネの肩に両手を置いて体を離した。どうして彼がそこまで狼狽えるのかエレネにはわからない。


「こ……ここはいったん負けておいて下さい!」


 彼は一目で無理矢理つくったとわかるような微笑みを浮かべていた。


「いやです。……それはなんか、すごくいやです」


 恨めしそうにエレネがそう返すと、ぎこちない笑顔のまま一瞬固まる。……が、すぐにはっとした顔になって、エレネの顔を覗き込んだ。


「…………あ、熱があるせいですね! エレネさん、熱に浮かされてますね?」


 青年が目を合わせるために背をかがめてくれたので、エレネはこつんと額を合わせてみる。


「熱いですか?」


 あまり体温は変わらない気がする。何かよくわからない微かな呻き声のようなものが聞こえたのは気のせいだろうか。肩に置かれていた両手に力が込められ勢いよく体が離れていった。額がすうっと冷える。


「えええええええエレネさん部屋に戻って少し休んでいてください朝食の支度は私がしておくので」


 ぱっと両手を上げるようにしてエレネの肩から手を離すと、青年はかなりの早口でそう言って、調理台の上に置いてあった鍋を持ち上げくるりとエレネに背を向けた。


「大丈夫です。我慢できない程ではないです」


 ずきんずきんと頭が痛んだけれど、エレネは意地になって平気な振りをした。そうしておかないと、彼は気を使って、こうやってエレネから常に距離を取るような気がしたのだ。エレネにはそちらの方が寂しい。二日ぶりに会えたのに。


「…………こんな呪い、いやです」


 呪いというより、嫌がらせだ。拗ねた声で呟いたエレネを振り返った青年は、弱り切った顔をしていた。


「そうですね、一刻も早く何とかしないと」


 くしゃりと乱暴に前髪をかき上げてふいっと不貞腐れたように横を向く。彼がそういう少年っぽい仕草をするのは珍しい。強く目が惹きつけられた……と同時に、顔が熱を持つ。


「……あ……あ、れ?」


 慌てて両手で頬を押さえる。その手もすでに真っ赤だ。


「……え? どうして今?」


 驚いたように目を瞠った青年は、次の瞬間、焦った様子でエレネに尋ねた。


「あ、もしかして、熱が急激に上がってきてるんですかっ?」


 青年の言葉通りに体温が一気に上昇した結果――額に激痛が走った。それはエレネに、五年前燭台を投げつけられた時の状況を思い起こさせた。エレネは小さく悲鳴をあげると、両手で頭を抱え込むようにしてその場に崩れ落ちる。青年の顔から一気に血の気が引いた。


「やっぱり横になって休みましょう。少しだけ頭痛いの我慢して下さいっ」


 乱暴に鍋を調理台に戻すと、床に座り込んで震えているエレネを抱き上げて速足で歩き始める。


 頭が締め付けられるように痛い。拍動性頭痛と言うのだろうか。ズキンズキンと脈打つような頭痛が、どんどんひどくなる。あまりの痛みに涙が出てきた。

 エレネは吐き気を堪えながら、古い記憶がそれ以上浮かび上がってこないように必死に押しとどめる。二度と思い出さないように、記憶の底深くに沈めて蓋をする。


 青年はエレネを店のソファーに横たえると、すぐさま距離を取った。体温が離れて行くさみしさと、頭痛が徐々に弱まってゆくことに対する安堵が交互に押し寄せてきてエレネの頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。


 ――こんなのは、すごく不条理だ。


 少し離れた場所に立った青年は、心配そうな顔でエレネを見つめている、思わず彼に向かって手を伸ばすと、辛そうな顔で首を横に振られた。力なくエレネの腕が落ちる。


「…………すごく、腹が立ちます」


 涙が溢れ出して頬を伝う。ここまでエレネの心を弱らせてかき乱すのだから、これは、大変効果の高い呪いだ。


 ――まさに今のこれが、呪いをかけた者の思惑通りの状況なのだろうか。


「エレネさん……」


「こういうのは、つらい……」


 エレネは幼い子供のように握りしめた両手を目に当てて、親指の付け根で涙を拭う。色々あったから不安で、今は心が弱っていて……だからどうか許して欲しい。


「ごめんなさい。ちょっとやっぱり熱に浮かされているのかも」


 心配をかけたくなくて、エレネは必死になって泣き笑いの表情を浮かべる。


「エレネさんが謝る事なんて何もないです。……お願いですから、無理して笑わないで下さい」 


 その様子を離れた場所から眺めている事しかできない青年は、目を伏せて苦し気な声でそう告げた。


 ――これほどまでに悪意に満ちた呪いをかけたのは、一体誰なのだろう?

 

 まさか、()()が残した置き土産なのだろうか。

 氷を背中に押し当てられたように一気に背筋が冷えた。エレネは咄嗟に胸の前で両手を組む。 

 

 どうか、彼をお守りください。ご加護をお与えください。ただ一心に祈る。

 幻のエレネが青年の背後に出現し、泣きながら彼の背中に頬を寄せる。

 青年が切なげに振り返った途端に、幻覚は幻のように消え失せた。


 その時にエレネは気付く。……これはもうすでに、綺麗なだけの感情ではないのだと。


「…………あなたを独占したい。私のこれも呪い?」

 

 ぼんやりとした目で、エレネは青年を見つめる。彼は見たこともないくらい厳しい表情になって「ちがうっ」と激しい口調で即座に否定した。

 青い瞳の奥に燃えているのは……エレネに対する怒りなのだろうか。体の横で握りしめた拳が小刻みに震えている。

 

 ……ちがう? ほんとうに?


 エレネはゆっくりと目を閉じて自分自身に問いかける。でも……頭が痛くて考えがまとまらない。




 綿菓子が炎に焙られて焦げてゆく。

 甘い匂いが突如変わる――真っ黒で苦い、もう取り返しのつかないものへと……





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