綿菓子のように甘くはかないもの 上
「エレネさんが、呪い、ですか?」
金色の髪の騎士は訝し気な表情になった。彼の周囲を取り囲んだ村人たちは何やら真剣な顔で彼の一言一句聞き逃すものかというように身を乗り出している。
ここ最近、『エレネさんの恋人さん』と村人たちから呼ばれ親しまれている青年騎士に関して、少し困った噂が近隣の村や町から聞こえてきているのだ。
「ないですよ」
青年騎士は笑顔で続けた。
「エレネさん、そんな呪いをかけるほど、私に興味ないですから」
村人たちは全員納得したように頷いたが、隣村の村長親子は厳しい表情のままだ。特に息子の方は敵愾心も露わな目を青年に向けている。
その理由に心当たりがある村人たちは内心ため息をついた。彼はエレネが村はずれに店を開いた当初から彼女目当てで店に通い詰めていた。納得がいかないという気持ちが理解できない訳ではないが……相手が悪すぎる。
「審問官の派遣を要請してみてはいかがですか? 呪いが本当に存在するのであれば、放っておくことはできませんからね」
いたって軽い口調で勧めた彼は、全くエレネの事を疑っていない。
「本当にいいのかね?」
探るような目を向けられても、真っ向からその視線を受け止めた上で、余裕の表情で頷いてみせる。恐らく無意識なのだろうが、相手方は気圧されたように僅かに身を引いていた。
彼は見るからに穏やかで優しい雰囲気の青年だが、正真正銘の騎士だ。国を守るために剣を持って戦う人間なのだ。村の有事の際には騎士を頼ることになるのに、隣村の村長親子は明らかに礼節を欠いている。そのことに違和感を覚えた者も少なくなかった。
「構いません。もし、エレネさんが関与しているのであれば、呪いをかけた時点でアレスとしての力を失っています。そういう意味でもあり得ませんね」
青年騎士は最初から最後までにこやかに対応していたが、彼を良く知る者たちは気付いていた。
――青い瞳は全く笑っていなかった。
村の人々の様子がおかしい気がする。エレネはもやもやした気持ちを抱えながら、家路を急いでいた。
同居人が買い出しを担当してくれていたので、エレネが村に行くのは実に一週間ぶりだった。『エレネさんの恋人さん』騒動があって、ちょっと行き辛かったというのもある。その同居人は、明後日には戻りますとエレネに告げて、朝早くに出掛けて行った。
彼が出掛けた後で、野菜を切らしていたのに気付いて買い出しのために村を訪れたのだが……
久々に会う村人たちはどういう訳だが、口数が少なかった。皆一様に口が重く、会話が途切れがちだった。目が合うとさりげなく視線をそらされる。
こちらの質問には答えてくれるのだが、なんとなく、歓迎されていないような……あまりエレネを話したくないというような空気を感じるのだ。
この村の人々は最初からアレスであるエレネに親切で、おせっかいなくらい色々気にかけてくれていたのに……
拒絶されている。それは絶対に気のせいではない。ただ、子供たちだけは、何も変わらずいつも通り笑顔で話しかけてくれたのが唯一の救いだった。
何かしてしまったのだろうか。スープ用の野菜が入った布袋をぎゅうっと抱きしめて、エレネは暗い表情でため息をつく。
いつも遊びに来るマーヤおばあちゃんとモニカおばあちゃんに変わった様子はなかった。だから今日まで全く気付かなかったのだ。今までがあまりに平和で居心地が良かったから、余計に辛い。胸が苦しくてうまく息ができなくなる。
「エレネさん」
知っているような、知らないような声に名前を呼ばれて、慌ててエレネは口許に笑みを浮かべて顔を上げる。店の入り口に立っていたのは、よく店にやってくる青年だった。年はエレネより少し上くらいで、村人にしては身ぎれいな格好をしている。
彼は――毎週のように神様からしるしをもらって店にやってくる。
できれば会いたくない人。でも、来てしまったものは仕方がない。
エレネは、唇の端を持ち上げているだけの笑顔を作って、「申し訳ございません」とまず一言謝罪した。
「お待たせしてしまいましたか? 今開けますね」
努めて明るい声で尋ねる。これはエレネの仕事用の声だ。そして応対するのも、アレスとしての自分だ。全部嘘で塗り固める。まるで見えない鎧を身に纏うように。
さすがに人生二回目にもなれば、この手の人間への対処方法も身についている。
店の鍵を開けて、中で待っていてくれるように伝え、エレネは裏口に回る。
抱え持っていた買い物袋を調理台の上に置いた時に、ふと食器棚の片隅に置かれた小さな瓶に目が引き寄せられた。茎が短くなった淡いピンクのバラの花を見た途端に、息が楽にできるようになる。
『いつも食事を用意してもらっているお礼に』
その言葉と一緒に差し出されたのは、ちいさな一重のバラを集めた、ブーケのような小ぶりの花束だった。
どこにいても可愛らしい花が目に入るようにあちこちに飾った。自分の部屋にも、勿論お店のカウンターの上にも。
優しく名前を呼んでくれる声を思い出す。それだけで勇気をもらえる。だから大丈夫。
心臓の上に手をあてて目を閉じる。気を引き締めて、目を開けて。
もう一度完璧に別の自分を装う。相手に付け入る隙を見せてはいけない。
「今日は何を買いに村まで?」
交わす言葉は本当に必要最低限だ。彼の話にはただ微笑んで頷くだけ。個人的な質問には曖昧に笑って答えない。
エレネはいつものクッションを取り出すと、カウンターの上に置いて手で差し示した。
できるだけ『いつも通り』に行動する。特別な『今日』を作らないようにしなければならない。
彼の手の甲にあるのは、いつもと同じ、隣村を守る雨の神様の紋だ。その紋の見た目はまさにカタカナの『ヲ』であるため、見る度にエレネは懐かしい気持ちになる。
それを表情に出さないように気をつけながら「では、こちらに手を乗せていただけますか?」とカウンターの前に立つ青年に声をかけた。
彼が授かる助言はいつも同じだ。
『一度村を出て、外の世界を見てきなさい』
毎月毎月同じ助言をエレネは彼に伝え続ける。しかし彼はその助言を受け入れ、行動に移すつもりは全くないようだった。
恐らく彼は生まれてから一度も郷里を離れたことがない。別にそれが悪いとはエレネは思わない。生まれた時からの固定概念と価値観の中で生きてゆくと決めたならそうすればいい。それが楽だと思う者もいれば、自由を愛する鳥だと言った人形劇団の団員たちのように、解き放たれたいと願う者もいる。それは生き方の違いだけの話で、どちらかが正しいという訳でもない。
青年は黙ったまま、いつものように熱のこもった瞳でエレネを見つめている。彼は何も言わない。拒絶されプライドが傷つくのが嫌なのだ。それでいて、察して受け入れろとエレネに強要してくる。生まれた時から上に立つ位置にいた者特有の傲慢さで……
こうして向かい合って立っていると、食べすぎて胸やけを起こしたようにな気分になる。ぐいぐいと押し付けられる気持ちがただただ重苦しい。
アレスという、特別な存在であること。あとは多少見た目の好みもあるのだろう。でもそれだけだ。何故なら、彼はエレネの事を自分が見ている世界の中でしか知らない。
きっぱり拒絶できればいいが、相手はお客としてエレネの店に来ている。彼は、これまでもこの先も『安全な立場』を手放す気はない。それが狡さと捉えてしまう辺りからして、感情はすでにマイナスに振れている。
青年がクッションに手を乗せる。
「触れますね」
その瞬間、彼の唇の両端が吊り上がり瞳に喜色が浮かぶ。不快感にエレネの肌が粟立つ。それはもう生理的な嫌悪としか言いようがなかった。
この瞬間のためだけに、彼が神様に助言を求めているのだとしたら……
そんなことを考える自分の方こそが傲慢なのだろうか。
触れたくない。でも、これは仕事。エレネがそう自らに言い聞かせた瞬間に、青年の手の甲から『ヲ』の字のしるしが透明シールが剥がれるように宙に浮きあがり、そのまま空気に溶けるように消え失せてしまった。しるしが消え失せる瞬間にアレスであるエレネに伝わって来たのは、諦念と……寂寥感だった。
ともあれ、これでエレネが青年に触れる理由はなくなった。そのことに心の底から安堵してしまったエレネは、さすがに気まずさを感じて青年の手から目をそらした。
「な……ぜ……どうして……」
茫然とした顔で、彼はしるしが消えた手の甲を見つめている。そう言われても、消えてしまったものは仕方がない。こういうことは稀にあるのだ。
――いわゆる、時間切れというやつだ。
「状況が変わって、この助言は役に立たないということです。たまにあります。改めて祈りを捧げれば、新しい助言が授けられる事でしょう。今の段階で、私がお役に立てることはありませんね」
「なぜ、ですかっ」
顔を上げた男がエレネに詰め寄った。彼は自分の思い通りにならないことがあると、苛立つ気持ちを抑えることができない人間のようだ。エレネはさりげなく身を引いて、相手を刺激しないように慎重に言葉を選ぶ。
「消えてしまった以上、私には何とも……」
「僕の方がずっと長い時間近くにいた。ずっと陰からあなたを守ってきた。それなのに、どうしてっ」
手首を掴もうとした手を思いきり振り払う。パンっという音が室内に響いた。信じられないというような顔で、青年はエレネを見ている。
目の前の青年は、少し怖い思いをさせれば、エレネが怯えて何でも命令に従うとでも思っていたのだろうか。
「どうぞ、お引き取り下さい」
毅然とした態度でエレネは青年に言い放った。
「……後悔、させてやる」
顔を歪めて、ちいさな声で苦し気に捨て台詞を吐いてから青年は店から出て行く。エレネは深いため息をついて、カウンターに両手をついた。
――全部同じだったのかもしれない。
エレネに好意を持っていて、だから店に何度も通った。しかし、エレネは彼の気持ちを受け入れるつもりはなかった……受け入れられない事情もあった。
雨の神様のしるしを持って訪れるあの青年は、ここでいつも何を話していただろうか。
ほとんど記憶に残っていないけれど、自分のことを説明していたように思う。住んでいる場所や年齢、親の職業……そういえば、確か隣村の村長の息子だと言っていた。
エレネが昔住んでいたような大きな街では通用しないかもしれないが、容姿もそれなりに整っている方なのではないだろうか。
見た目が良くて、将来も約束されていて、自由になるお金もある。
黙って立っていても、近隣の村々に住む若い娘たちの方から言い寄ってくる。
すべては親から与えられたものであるから、親の権力の及ぶ狭い世界の中でしか通用しない。言い方を変えれば、狭い世界の中に留まっていれば、ある程度自分の思い通りに生きられる。あの青年はそこをちゃんと理解している。理解した上で選択している。
しかし、エレネがいるのは、彼の世界の外側だ。
だからこそ、雨の神様は『広い視野を持て』という助言を何度も与え続けたのに、彼は結局最後までその助言を、エレネに触れてもらうための手段として使い続けてしまった。
そこにどうしようもない幼稚さを感じてしまうのは、エレネが前の人生を含めれば彼の親より上の年齢になるからなのだろうか。
彼の目に映っている、村はずれにするエレネという名前のアレスは、一体どんな娘なのだろう……
自分より若くて、物珍しい外見の大人しそうな娘。ちょっと優しくすれば簡単に靡くと思っていたのに、全く相手にされなかったから面白くなかった。そんなところだろうか。
――全部同じで全部違う。
会う度に苦手になっていった人と、会う度に心惹かれた人。
「私も、顔が好みだっただけ、なのかもしれない」
無理矢理気持ちを切り替えるために、エレネは声に出して自らに言い聞かせる。絶対にそれもある。そこは……否定しない。
目が合うと幸せそうに笑ってくれる顔が好きだ。慌てて口元を押さえて目を背けている時の、照れた表情も好き。
ゆるく抱き締められると安心する。規則正しい心臓の音よりも、追い立てられるように走っている音を聞く方が好きだ。そういう時はエレネの鼓動も怖いくらい早いから、同じことが嬉しくて、くすぐったいような気持になる。
穏やかで優しくて、いつもエレネを気遣う言葉をくれる人。名前を呼ばれると、それだけで……自然とエレネも笑顔になる。
――彼に、恋をしている。
「後悔なんて、絶対にしない」
閉じたドアに向かって、全世界に宣言するようなつもりでエレネはそう言い切る。
今日の空模様や、庭に遊びに来た小鳥の羽根の色。それから、花の名前。
何か私にお手伝いできることはありませんか? 彼はいつもエレネにそう尋ねた。適当な言い訳をつけて断っても嫌な顔ひとつせず、「何か困ったことがあれば声をかけて下さいね」と優しく微笑んで……
綿菓子のように、軽くて柔らかくて甘い時間だけをくれた人。
いつからかその訪れを心待ちにするようになった。
声を思い出すだけで、今は泣きそうになる。
結局終わらず……すみません……




