ホセの提案、ジェロニモの仕事
少年捜索から、半年が経った。
メキシコの片田舎の村で、千綿薫、二門治郎、知里川惣藏の三人は、奇妙に平穏な日常を続けていた。
朝はマヌエルの作業場で、村人の自動車を修理した。
昼はホセの蒸留所で、テキーラを少しだけ手伝った。
夕方は村の広場で、子供たちと過ごした。
夜はテキーラを少しだけ飲んで、眠った。
千綿のスペイン語はかなり上達していた。
二門の関西弁は、相変わらず関西弁だった。
知里川は、相変わらず毛皮の中で寡黙だった。
しかし三人は、確実に村の住人になっていた。
*
ある夕方、千綿はマヌエルの作業場で、車のエンジンを直していた。
その日、村に持ち込まれた車は一台だった。
修理時間は、約二時間で終わった。
千綿は油まみれの手を、布で拭きながら二門に言った。
「……二門隊長」
「うん」
「今月、何台直しましたか」
「数えてへんけど、十台くらいか」
「九台です」
「九台か」
「ええ、九台です」
「一日、平均、三分の一台か」
「ええ、三分の一台です」
「ヒマやな」
「ヒマです」
二門は、しばし考えた。
「ワシら、村に泊めてもろて、飯食わせてもろて、それで、一日三分の一台の仕事しとる」
「ええ、そうです」
「これで、ホセさんに対価、払えとるんかな」
「払えていません」
「やっぱりか」
「ええ、明らかにホセさんの厚意で保たれています」
「いつまでも、こんな調子でええんやろか」
「いいえ」
千綿は油まみれの手を、もう一度拭いた。
「ええはずがありません」
*
その夜。
ホセの蒸留所で、千綿はホセに、ぽつりと切り出した。
「ホセさん」
「うん」
「我々、もっと仕事をしたいです」
「仕事か」
「ええ。村の自動車修理だけでは、対価として足りません」
ホセはテキーラを、一杯飲んだ。
それから、しばし千綿の顔を見た。
「……お前ら、ええ性格やな」
「ええ、性格、ですか」
「タダ飯食って、平気でええ顔できへんのが、ええ」
「ええ、その通りです」
ホセは、にやりと笑った。
それから、もう一杯テキーラを注いだ。
「ヒロニモン」
「ええ」
「実はワシ、お前らに相談したいことがあった」
「相談」
「シ。仕事の話や」
千綿は二門と、知里川を見た。
二人ともしばし、テキーラを置いて、ホセの方を向いた。
「……何の仕事ですか」
ホセは、しばし考えた。
それからゆっくり答えた。
「テキーラを運ぶ仕事や」
「運ぶ」
「シ。アメリカに」
千綿は、しばし固まった。
それから、ぽつりと訊いた。
「……輸出、ですか」
「輸出、ちゃう」
「では」
「密輸や」
*
千綿は、しばし何も言わなかった。
二門もしばらく、テキーラを見つめていた。
知里川は毛皮の中で、無言だった。
ホセはテキーラを、もう一杯飲んだ。
「説明する」
「ええ、お願いします」
「アメリカに、ワシのテキーラを欲しがる人間がおる」
「ええ」
「結構な数や」
「ええ」
「正規ルートで輸出しようとすると、関税が馬鹿ほど高い」
「関税、ですか」
「シ。アメリカは、メキシコの酒に重い関税かけとる」
「政策的な理由ですか」
「アメリカの酒を守るためや」
「アメリカ国内産業の保護政策、ですね」
「シ。それや」
ホセは、しばし目を伏せた。
「関税だけならまだ、ええ。問題はそれだけや、ない」
「他にもありますか」
「ある」
「何ですか」
「賄賂や」
「賄賂」
「国境の役人が賄賂、要求する。賄賂出さんと、書類通らへん」
「……それは」
「合法的な輸出ですら、賄賂が必要や。馬鹿げとる」
ホセはテキーラを、一気に飲んだ。
それから、ぽつりと続けた。
「合法的な輸出ですら、賄賂出す。ほな最初から、密輸した方がまだ誠実や」
千綿は、しばし考えた。
「……ホセさん、論理が独特ですね」
「論理、ちゃう」
「ちゃう、ですか」
「感情や」
「ええ、感情ですね」
「論理ありません。感情だけです」
千綿は、ホセの言葉を繰り返した。
初めての乾杯の夜、ホセがテキーラの効能について語った時と、同じ言葉だった。
*
二門が、しばし考えてから、ぽつりと訊いた。
「ホセさん、もう一つ、ええか」
「うん」
「アメリカにテキーラ運んで、何がええんや」
ホセは、しばし二門の顔を見た。
「……ジェロニモ、ええ質問する」
「ええ質問ですか」
「正直、ワシ、儲けたい」
「ええ」
「それから、アメリカに一泡吹かせたい」
「一泡」
「アメリカは、メキシコからいろんなもん奪ってきた」
「歴史的な経緯ですか」
「シ。長い歴史や」
ホセは、もう一杯テキーラを注いだ。
「ワシらがテキーラ密輸する。アメリカの役人、悔しがる。それがええ」
「動機が極めて、感情的ですね」
「感情だけや」
「ええ、感情だけです」
知里川が、毛皮の中からぽつりと言った。
「……ええ感情や」
「お前、感情も『ええ』言うんかい」
「……ええもんはええ」
*
千綿は、しばし考えた。
それから二門と知里川に訊いた。
「……二門隊長、知里川くん」
「うん」
「どう思いますか」
二門はテキーラを見つめた。
「ワシらは軍人として、敗北した」
「ええ」
「メキシコで生き残った」
「ええ」
「メキシコの人らに、世話になっとる」
「ええ」
「メキシコの人らに、恩返しせなあかん」
「ええ」
「ほな、密輸もええんちゃうか」
「ええ、ですか」
「ワシらに、できる仕事や」
「ええ」
「アメリカ本土爆撃には、失敗した」
二門は、にやりと笑った。
「テキーラ密輸なら、できるかもしれん」
千綿は、しばし二門の顔を見た。
それから、ゆっくり頷いた。
「……同じ機体で、別の任務、ですね」
「同じ機体、別の任務や」
「軍命ではなく」
「軍命ちゃう」
「自由意志で」
「自由意志や」
知里川が、毛皮の中からぽつりと言った。
「……ええ任務や」
「お前、密輸も『ええ』言うんかい」
「……生き残るための仕事や」
「ええ言葉やな、それ」
「……ええ言葉や」
*
千綿はホセに向き直った。
そして片手を差し出した。
「ホセさん」
「うん」
「やります」
「やるか」
「ええ、やります」
ホセは満面の笑顔だった。
千綿の手を、力強く握った。
「グラシアス、チワワ!」
「グラシアス、ホセ」
二門も、知里川も、ホセと握手した。
四つのテキーラのグラスが、机の上で合わさった。
「サル!」
「サル、です」
「……サルや」
その夜、四人はいつもより、たくさんテキーラを飲んだ。
明日から、ジェロニモの新しい仕事が始まる。
——同じ機体で。
——別の任務で。
——軍命ではなく、自由意志で。
倉庫の中で、鎗快はメキシコ革命時代の複葉機の隣で、静かに眠っていた。
明日から、また空に上がる。
その時運ぶのは——
——爆弾でも、人助けでもなく。
——テキーラだった。




