第13話 演劇発表会・前編「化けて、堂々と」
料理部の問題も沈静化し、学園にも平穏が訪れた、らしい。
あれから度々、琴音や美羽が佐藤を訪ねては、あれやこれやと学園での話を語ってくれた。演劇部の練習が佳境に入っていること、体操部の大会が近づいていること、料理部ではどんぐりを植える・植えない論争が巻き起こっていること……。
その中には、佐藤が眉を潜める話も含まれていた。
「あのね、くろちゃんの噂が立ってるんだよ」
琴音が嬉しそうに語り始める。
どうやら、琴音が何気なく話した佐藤の話や、料理部や体操部で噂される黒猫の活躍話に尾ひれが盛大に付きまくり、「願い事を叶える黒猫がどこかの神社にいる」という話が、生徒の中で噂になっているという。
「ここに生徒が押しかけたら大変やろうけん、黙ってるとよね〜」
美羽がニヤニヤとしながら、佐藤を抱っこする。しばらくは琴音と二人、佐藤との時間を独占したいという。悪い気はしない。
「くろちゃん、相談されたら絶対になんとかしてくれそうだから。そしたら大変だと思うから」
琴音は美羽から料理部のことを聞いているようだ。自分だけでなく、美羽の相談も解決してくれたのが佐藤だということ。そんな生徒からのお願いが続くと佐藤が大変だと、心配してくれているようだ。
「でもね、本当に困ったことがあったら、相談するかもしれないから。その時はよろしくね」
そう言って、美羽がちゅ〜るを食べさせてくれる。念願のカジキまぐろ味だ。まぐろ味との違いが分からず、少し残念な気持ちではあるが、美味しいものは美味しい。
「さて、そろそろ帰ろっか。えっと、今月末が発表会だっけ」
「うん、美羽ちゃんも来てくれるでしょ?」
「もちろん! 六時から大学の講堂だったよね」
「そうだよ。みんな張り切っているから楽しみにしてて!」
そう言いながら、佐藤に食べさせたちゅ〜るや猫缶のゴミを手早く片付け、二人は並んで帰っていった。
(そうか、もうすぐ発表会か)
佐藤の中で、一つの思いが灯った。
――――――
その日の夜、佐藤は御神木のウロから降りて、大楠の根元の太助たちの巣を訪ねた。
(太助、ちょっと相談があるんだが)
(おや、旦那。珍しいですね、旦那の方から来るなんて)
太助が、ひょこっと根元から顔を出した。後ろから弥生も、大きなお腹を抱えながらゆっくりと出てくる。
(太助たちは、大学の敷地に住んでたよな。講堂って分かるか)
(はい。あそこには喫茶店がありましたので、何回か入らせてもらいました)
太助たちは、どこにでも潜り込んでいたらしい。
(ってことは、そこに忍び込むのは簡単ってことか)
太助は、ん〜と考え出す。横で聞いていた弥生が言葉を繋ぐ。
(簡単って言いますか、ほら、私達は化け学がありましたので)
太助たちは、人に化けてそっと入り込み、置物などに化け直して時間を過ごし、その後、食事を失敬していたらしい。簡単といえば簡単。ただ、面倒なところだったようだ。
(どうして講堂に忍び込む話なんです?)
(実は……)
佐藤は、少しまわりくどい話になったなと思いながら、演劇発表会が講堂であること、それを見てみたいがどうにか入れないかという相談であることを説明した。猫のままで行けば、ひと騒ぎが起きかねず、琴音達の発表会を邪魔してしまうからだ。
(なるほどですね。うまいこと講堂に入って、そっと見たいと、旦那はおっしゃるわけで)
太助は、うんうんと頷きながら聞いていた。
(お前たち、前は大学の裏に住んでたろう。だから何か知らないかと思ったんだけどな)
太助は、しばらく考えてから、にやりと笑った。
(旦那、それはこっそり入るより、堂々と入った方がいいですぜ)
(堂々と?)
(ええ。コソコソするより、正面から堂々と入る方が、案外バレないもんです)
(……それができたら、苦労はしないんだがな。俺は猫だぞ)
太助は、ますますにやりと笑った。
弥生と顔を見合わせる。
(旦那、忘れてませんか。オレ等がいるじゃないですか)
(……お前たちが、なんだ)
(オレ等が人間に化けて、旦那を連れて、堂々と見に行けばいいんですよ)
佐藤は、一瞬、言葉に詰まった。
(……化けて?)
(そうです。若い夫婦が、飼い猫を抱いて散歩がてら発表会を見に来た。何もおかしいことはないでしょう)
(いや、猫を抱いて演劇発表会に来る人間がいるか?)
(いますよ、きっと。世の中、広いんですから)
(……雑だな)
だが、悪くない案だった。
太助の化け学は確かだ。弥生も、お腹を無理に隠そうとしなければ、輪郭がぶれることはない。むしろ、大きなお腹の妊婦に化ければ、堂々と歩いていても自然だ。
(……お前たち、それでいいのか。化けるのは、それなりに力を使うんだろう)
(いいんですよ。久々に、思いっきり化けてみたいですしね。なあ、弥生)
(……はい。私も、人間の舞台、見てみたいです)
弥生が、そっと言った。
その目に、小さな光が宿っていた。
(……人間の暮らし、ちょっと憧れてたんです。こっそり見るんじゃなくて、堂々と、人間に混じって)
(……そうか)
佐藤は、弥生の言葉を聞きながら、少しだけ胸が温かくなった。
(じゃあ、頼んでいいか)
(任せてくださいよ、旦那)
太助が、胸を張った。
――――――
講堂で舞台を見る算段は、立てることが出来た。
問題は、加藤神社から大学の講堂まで、どう移動するかだった。
昼間に化けたまま長距離を歩くのは、力の消耗が激しい。それに、化けた状態で加藤神社を出ると、田中さんや参拝客に見られる恐れがある。
だからと言って、佐藤が街角を走り抜けるのは「猫が走っている」で済むが、太助たちとなると話が変わってくる。熊本とは言え、市街地をタヌキが走り抜けるのは無理がある。
(夜のうちに、前の住処の近くまで移動しておきましょうか)
太助からの提案で、三匹は発表会の前夜、大学裏の雑木林へ移動することにした。
眠らない熊本市街ではあるが、深夜時間帯になれば、流石に人出は減ってくる。佐藤が先導し、上通りから白川までは危なげなく抜けることが出来た。
佐藤一人なら浮遊して越えられる白川も、さすがに太助と弥生を連れては難しい。近い橋だと大甲橋や明午橋になるが、人の行き来が深夜でも多い。少し遠回りになるが、子飼橋まで行って川を越えた。弥生が身重なので、ゆっくりと、慎重に。
雑木林に着いたのは、あと一時間もすれば夜が明ける頃だった。
かつて太助と弥生が住んでいた、朽ちた百葉箱の前に、三匹は辿り着いた。
(……懐かしいですね、ここ)
太助が、しみじみと言った。
発表会は夕刻。それまで、どうするか。タヌキの格好のままでは目立ってしまう。結局、百葉箱の中でしばらく眠ることになった。
が——。
(……せ、狭いな)
百葉箱は、もともとタヌキ二匹がギリギリ入る広さだ。そこに猫が一匹加わると、完全に定員オーバーだった。
(旦那、もう少し詰めてくださいよ)
(これ以上、どう詰めるんだ。お前の尻尾が顔に当たってるぞ)
(あ、すいません。弥生、もうちょい奥に)
(……これ以上奥に行ったら、壁にめり込みます)
三匹は、ぎゅうぎゅう詰めになって、身を寄せ合った。
弥生のお腹が、佐藤の背中に当たる。太助の尻尾が、佐藤の顔の横でゆらゆら揺れる。
(……まあ、今の時期だから出来ることかもな)
そろそろ冬の訪れも感じる時期。時折、冷たい風も吹くようになってきた。雑木林のこの場所も、明け方の寒さを感じる。三匹で固まっていると、ちょうどよかった。
佐藤は、ふと思った。
人間だった頃、誰かとこんなふうに身を寄せ合って眠ったことが、あっただろうか。
……なかった。三十七年間、ずっと一人だった。
(……猫又になって、こんな経験をするとはな)
太助はすぐに寝たようだ。寝息が聞こえてくる。早い。弥生も、お腹に手を当てたまま、静かに目を閉じている。
佐藤は、しばらく百葉箱の隙間から、枯れ葉散る雑木林を眺めていた。
空には薄っすらと星が見えた。白みを帯び始めた夜空は、ねずみ色に見える。
(……悪くないな、これも)
いつの間にか、佐藤も眠りについていた。
――――――
佐藤が目を覚ますと、太助と弥生はもう起きていた。
(旦那、おはようございます。もう、昼過ぎちゃいました)
外では、学生の声がチラホラと遠くに聞こえる。人が活動している音が、百葉箱にいても感じられる。
太陽の傾きを考えると二時頃か。あと四時間ほどすれば、大学の講堂で演劇発表会が始まる頃合いだ。
太助と弥生は、百葉箱の隙間から、チラホラと見える大学生や教員の姿を見ながら、お互いにブツブツと相談をしている。どうやら、どんな格好に化けるかの相談らしい。
(いえ、学生さんでしたら制服ですからね。形も色も単純ですし、まぁ、どうとでもなるんですが、ほら、人間の夫婦ってなりますとですね)
(派手な格好ですと浮きますし、だからといってオシャレはしたいですから)
どうも弥生は、単に化けるのではなく、年相応のオシャレな装いで観劇をしたいという。年頃らしい女性の考えは、人もタヌキも変わらないものだなと佐藤は思う。
(素朴な疑問だが、聞いてもいいか)
(なんです、旦那?)
(化け学ってそもそも、なんだ?)
自分の猫又のチカラの正体もよく分かっていないが、ムジナの化け学というのも不思議なものだった。素朴な疑問として、太助に聞いてみる。
(旦那も不思議なチカラ、妖力をお持ちですよね。それと基本は一緒だと思いますよ)
太助の話では、そもそも人間も含めた生き物には、霊気、霊力、神気のような、自然界に宿る神秘的な力——自然そのもののエネルギーを感じ取る力、使うことが出来る力があるという。太助たちはその力を、妖力と呼んでいるという。
(あっしも、爺さまに教えて貰った受け売りなんですがね)
だが、段々と自然が削られ、自然そのものの力が弱まり、また、自然界の力を感じずとも生きられる生活に変わり、それらの力は失われつつあるという。ただ——。
(生まれついて、妖力を強く感じられるのが、あっしだったり、弥生だったり、そして旦那だったりってことかと)
(で、その妖力が感じられるのと、化け学ってのは、どういう関係なんだ)
(感じられるチカラを使うには、その使い方を知らなきゃいけない。それをうまいことまとめたのが、化け学ってやつでして)
自然の力、つまり霊力でも何でも、その使い方を知らなければ、単に感じるだけで終わる。その使い方については、種族ごとの門外不出の技として、伝え続けられているそうだ。
(妖力が感じられるタヌキ衆は、一度は爺さまとかに手習いを受けるんですが、向き不向きがありましてですね。で、あっしは、なかなか筋が良かったと。で、ムジナに)
そう自慢げに、太助は語る。そして——。
(っで、弥生は元々、化け学ではなく、手足を使わなくても物を動かせるチカラがありまして)
弥生達の一族にも化け学は伝わっていたが、もう何年も使い手となる者が生まれてこず、廃れていったそうだ。ただ、妖力を感じられるタヌキは稀に生まれ、それぞれ様々なチカラに独自で変換して使っていたという。弥生は、固く閉まったゴミ箱の留め金を外したり、窓の鍵を外したりといった、ちょっと物を動かすチカラとして妖力を使っていた。
(で、筋が良さそうだって思ったんで、あっしの化け学を教えたら、上手く化けられたと)
なるほどな、と思った。
自然にあるチカラを、自分のものとして使う。自分は生まれ変わる際に不思議なチカラを授かったと思っていたが、授かったのはチカラではなく、その使い方だったということか。
(旦那も化け学、やってみます?)
(俺にも出来るのか? ってか、門外不出じゃないのか)
(キツネの奴らには教えられませんが、旦那にはお世話になってますし。それに、旦那はあれでしょ? 猫じゃなくって、猫又でしょ?)
(分かるのか?)
(分かるって言いますか、タヌキが化けることできたらムジナって呼ばれるように、猫も不思議なチカラ持ってたら猫又って言われるんでしょ?)
確かに、どの猫も不思議なチカラが使えたら、猫又だらけだ。そういうものかと、納得する。
(で、猫又って、昔っから化けることが出来るって相場が決まってますでしょ?)
(確かに、怪談話では聞いたことがあるけど……)
(で、どうします、旦那。使えたら便利っちゃ、便利っすよ)
(……やってみる)
まだ公演まで時間はある。百葉箱から二匹はそっと抜け、雑木林の影になるところで、太助と佐藤は向き合って立った。
(あっし達の場合は、自然のチカラを借りる感じで化けます。そのために、こいつが必要でして)
そう言って、ツヤツヤとした緑色の葉っぱを一枚取り出した。
(こういう木の生えた場所で、自然のチカラを溜め込んだ葉っぱを見つけましてですね。そのチカラを借りて、自分の中にある妖力と合わせましてですね……)
そう言いながら、その葉っぱを器用に頭の上に乗せ、くるりと一回転。
薄っすらと霧がかかり、それが晴れると——そこには、二十代半ばほどの、爽やかな青年が立っていた。少し癖のある髪に、優しげな目元。カジュアルなシャツとジーンズ。どこからどう見ても、ごく普通の若者だ。
(い、いつ見ても、上手いもんだな)
佐藤は感心した。前に見た中学生の学ラン姿より、ずっと自然だ。
「へへ、人間の姿はお手の物でしてね」
青年姿の太助が、得意げに言った。声まで若者らしく変わっている。
「あっしの習った化け学でしたら、こうやってチカラを借りながらやるんですが、猫又の旦那でしたら、多分、自分の中にある妖力だけで出来ると思いますよ」
佐藤は、ひとまず自分が浮いたり、物を動かしたり、心の色が見えたりするときに感じる、胸の中を巡るチカラ——妖力を感じてみる。じわっと、感じることが出来る。
このチカラを使えば……。
「旦那、イメージってのが大事っすよ。どんなものに変わりたいか」
太助がアドバイスをくれる。イメージ。とりあえず、自分が生きていた頃の姿を思い浮かべる。三十代半ばの、くたびれた青年……いや、おじさんか。
(よし、やってみる)
イメージは固まった。ただ、何かのきっかけが必要な気がした。とりあえず、太助がしたように、くるりとその場で一回転を試みた。
薄っすらと霧がかかり、それが晴れると——そこには、三十代半ばほどの、おじさんが立っていた。
ただし——、顔は猫。背丈も、猫のサイズのまま。
「旦那は、化けるの向いてませんね」
そう言って、太助は大爆笑をしている。
くっくっく、と可愛らしい笑い声が聞こえる。弥生が、声を殺しながら百葉箱の中で笑っていた。
(に、二度とするもんか〜!)
確かに、怪談話に出てくる猫又達の変身した姿は……どれも猫顔で描かれていた。




