第九十六話 ぐうたら三男、空白地帯の入口で現実を知る
未到達地帯へ続く街道は、王都を離れて三日目にはすでに「街道」と呼べる代物ではなくなっていた。
舗装は途切れ、石は割れ、草が地面を覆い始める。
さらに進めば、木々の密度が増し、空気がどこか重くなる。
そして四日目の朝。
遠征隊は、明確にそれを見た。
「境界線」と呼ぶしかない異様な風景を。
◇
「……ここから先が未到達地帯外縁部です」
先導の騎士が静かに告げる。
目の前には森でも荒野でもない“切れ目”があった。
地面が不自然に沈み込み、そこから先の景色が歪んでいる。
まるで世界そのものが、途中で作るのをやめたかのように。
「見た目からして嫌なやつだなぁ」
レイは欠伸混じりに呟いた。
だが、その目は少しだけ鋭い。
◇
「魔素濃度急上昇」
アリアが短く告げる。
白い髪が風に揺れないのが逆に不自然だった。
「この先、空間構造異常」
「異常って軽く言うな」
「事実」
「だよな」
◇
エミリーが馬車から降り、周囲の地面を確認する。
指先で土をすくい、魔力を薄く流す。
「……普通の地脈じゃありませんね」
「何かわかる?」
「いえ。ただ、流れが“途中で折れている”感じです」
「折れてる?」
「はい。地下構造が自然じゃない」
彼女の声は珍しく硬かった。
◇
その横でアルベルト教授は、完全に目を輝かせていた。
「いやぁ……これはいいねぇ」
「やめろそのテンション」
「明らかに人工構造だよこれは」
「嬉しそうに言うな」
「研究者だからね」
もう聞き飽きた言葉だった。
◇
「……先に進むと?」
レイが騎士に尋ねる。
「以降は未踏領域。地図情報は存在しません」
「つまり?」
「自己責任です」
「だろうな」
淡々とした返答に、逆に現実味が増す。
◇
その時、アリアが少しだけ前へ出た。
「反応あり」
「何の?」
「旧管理系統」
その言葉で空気が変わる。
レイの表情も一瞬だけ真剣になった。
◇
「やっぱり繋がってるのか」
「可能性高い」
「未到達地帯=古代文明の残骸じゃなくて、“動いてる装置”ってことか?」
「肯定」
アリアの声は相変わらず淡々としている。
だが、その内容は重かった。
◇
エミリーが静かに言う。
「つまり、ここは単なる危険地帯ではなく」
「今も稼働している“領域装置”の一部かもしれない、と」
「そういうことだな」
レイは頭を掻いた。
「面倒くさい構造だなぁ……」
◇
教授が横から口を挟む。
「でもね、面白いだろう?」
「全然」
「正直だねぇ」
「危険と面白いは別だから」
◇
やがて遠征隊は進行開始の号令を受ける。
騎士団が前衛を形成し、魔導士が結界を展開。
補給班が慎重に後を追う。
そしてレイたちは中核班として進むことになった。
◇
一歩。
また一歩。
境界を越えた瞬間――
空気が変わった。
◇
「……息が重い」
誰かが呟く。
それは比喩ではなかった。
実際に、魔素密度が高すぎて呼吸に圧がかかるような感覚がある。
「結界強度維持」
エミリーが即座に補助装置を起動する。
魔素が流れ、薄い膜が周囲に展開された。
◇
「ここ、ちょっと嫌だな」
レイがぼそりと呟く。
「同感です」
エミリーも珍しく即答した。
◇
森のように見えるが森ではない。
岩のようで岩ではない。
地面は踏むたびに微かに揺らぎ、どこか“生き物の内部”にいるような錯覚すらある。
「構造が曖昧ですね」
アリアが淡々と観測する。
「現実と非現実の境界が薄い」
「それ怖い表現やめて」
◇
教授は完全に別世界だった。
「いやぁ……最高だねぇこの環境」
「戻れ」
「無理だよこれ」
「即答すな」
◇
進行してしばらく。
遠征隊の先頭が停止した。
前方に、巨大な“裂け目”が見えたためだ。
◇
それは地割れではない。
空間そのものが裂けているように見える。
底は見えない。
奥行きも測れない。
ただ、黒い。
◇
「空間断裂確認」
アリアの声が低くなる。
「これは……」
エミリーが息を呑む。
「自然現象ではありません」
◇
レイは裂け目を見下ろす。
わずかに魔力を流す。
しかし――途中で消える。
「吸われてる?」
「否」
アリアが即座に否定する。
「転送」
「は?」
「別位相へ分岐」
意味がわからない。
◇
教授が小さく笑う。
「なるほど……やっぱりか」
「何がやっぱりなんだよ」
「ここ、単なる地形じゃない」
「施設だよ」
「施設?」
「そう。しかもかなり大規模なね」
◇
レイはため息を吐いた。
「もう嫌な予感しかしないんだけど」
「正解です」
エミリーが即答する。
◇
その時だった。
裂け目の奥から、微かな光が瞬いた。
そして――
何かが“見返した”。
◇
レイの背筋に、冷たいものが走る。
「……今の、見えた?」
「はい」
エミリーの声が低い。
「見えました」
アリアも静かに頷く。
「観測対象接続」
◇
教授は楽しそうに言った。
「歓迎されてるのかもね」
「やめろそういうの」
◇
遠征隊は一時停止したまま、裂け目を見つめている。
誰も動けない。
誰も声を出さない。
ただ、空間の向こう側が“こちらを見ている”感覚だけがある。
◇
レイは小さく息を吐いた。
「……やっぱりさ」
「はい?」
「昼寝してた方が良かったわ」
エミリーは少しだけ笑った。
「今さらですね」
◇
未到達地帯。
それは単なる未知の大地ではない。
すでに“何かが動いている場所”だった。
そして遠征隊は、その心臓部へ向けて足を踏み入れ始めていた。




