第九十五話 ぐうたら三男、未到達地帯へ出発する
出発当日、王都は朝から異様な静けさに包まれていた。
普段なら市場の喧騒や子供の声が響く時間帯なのに、今日ばかりは違う。
重い馬蹄の音。
整列した騎士団の気配。
そして、空気そのものが少しだけ張り詰めている。
「……ほんとに行くんだなぁ」
レイは欠伸混じりに呟いた。
◇
王都中央門前。
巨大な遠征隊が整列している。
先頭には王国騎士団の精鋭部隊。
その後ろに研究院、支援工房、補給部隊。
さらに魔導車両と荷馬車が連なり、最後尾には結界維持班。
まるで都市がそのまま移動するような規模だった。
「規模おかしくない?」
「未到達地帯遠征ですから」
エミリーは淡々と答える。
既に“ミリーエ”ではなくエミリーとして隣に立っていた。
◇
その横ではアルベルト教授が荷物を確認している。
「いやぁ、遠征っていいねぇ」
「そのテンションやめてください」
「研究機会が増えるんだよ?」
「危険度も増えてます」
「それも含めて楽しいじゃないか」
「楽しむな」
セシリアが横で頭を抱えていた。
「本当にこの人ついてきて大丈夫なんですか……」
「今更だろ」
レイは適当に返した。
◇
少し離れた場所。
アリアは周囲の人間を静かに観察していた。
「個体数過多」
「遠征ってそういうもんだろ」
「効率不明」
「そこは文化だ文化」
「理解困難」
相変わらず辛辣だった。
◇
やがて号令が響く。
「――出発準備完了!」
騎士団長の声。
空気が一段引き締まる。
◇
巨大な門がゆっくりと開かれていく。
その先には、王都の外。
整備された街道が伸びている。
しかしその先は徐々に荒れ、やがて人の手が入らない大地へと変わる。
そしてさらにその奥。
未到達地帯。
地図の空白。
未知の領域。
◇
「ほんとに行くんだなぁ」
レイはもう一度呟いた。
「逃げますか?」
エミリーが小さく聞く。
「今さら無理」
「ですね」
◇
門が完全に開く。
騎士団が一歩踏み出す。
それに続き、研究班、補給部隊が動き始める。
そしてレイたちも。
◇
馬車に乗り込む直前、教授が笑って言った。
「いやぁ、ワクワクするねぇ」
「不安しかないんですが」
「それがいいんじゃないか」
「良くないです」
◇
エミリーは荷物を確認しながら呟く。
「浄水魔道具、問題なし」
「携帯食料、改良版積載済み」
「結界装置、正常起動」
「ドルーゴ製品、全部問題なしです」
「俺の発明品を業務連絡みたいに言うな」
◇
アリアは静かに前方を見ている。
「外縁部魔素濃度、低下傾向」
「いいことなのか?」
「不明」
「だよな」
◇
馬車が動き出す。
石畳を離れ、街道へ。
王都の門が遠ざかる。
人々の姿も小さくなる。
◇
その瞬間だった。
レイは窓の外を見て、少しだけ息を吐く。
「……結局さ」
「はい?」
エミリーが振り向く。
「また面倒事に突っ込んでるよな、俺」
「今さらです」
「だよな」
◇
教授が笑う。
「でも君がいないと成立しない遠征だよ」
「それ褒めてる?」
「もちろん」
「やめてくれ」
◇
馬車は進む。
王都が完全に後ろへ消える頃。
空気が少しだけ変わった。
魔素の密度がわずかに揺らぐ。
そして遠くの地平線に、薄く黒い影が見え始める。
◇
未到達地帯。
人が踏み込むことを拒まれ続けてきた領域。
そこへ向かう列は、もう止まらない。
◇
レイは座席に深くもたれかかった。
「はぁ……昼寝してから行きたかった」
「寝てても連れて行きますよ」
「それはそれで嫌だな」
エミリーは小さく笑う。
◇
馬車は揺れる。
遠征隊は進む。
そして――
世界の空白へ、足を踏み入れ始めた。




