第九十四話 ぐうたら三男、装備点検で現実を思い出す
遠征準備が進むにつれて、王都の空気は日に日に重くなっていた。
訓練場からは剣戟の音が絶えず響き、研究院の魔導車が資材を運び込み、街全体がひとつの巨大な準備装置のように動いている。
その中心で――。
「なんで俺、こんなところで評価試験受けてるんだろうなぁ」
レイは心底疲れた声を漏らしていた。
◇
王都中央訓練場。
広い石床の上には遠征参加者が整列している。
騎士団員、魔導士、補助工房員、研究院所属の技術者たち。
その中でも異様に浮いているのがレイだった。
「レイ・ゴールド殿、次の装備試験へ」
「はいはい……」
呼ばれるたびに気だるそうに立ち上がる。
机の上には遠征用標準装備が並べられていた。
魔力剣。
結界外套。
魔素耐性ブーツ。
携行式魔導補助器。
「全部地味だなぁ」
「地味でいいんです」
即座にエミリーの声が飛ぶ。
完全に事務官の顔だ。
◇
「では、この剣を」
試験官が一本の魔力剣を差し出す。
王国騎士団標準装備。
魔力伝導率を上げる一般的な設計だ。
レイはそれを受け取り、軽く握る。
「……軽いな」
「良いことです」
「軽すぎて逆に怖いんだけど」
「それは感覚の問題です」
◇
レイは軽く魔力を流し込んだ。
剣身に淡い光が走る。
次の瞬間――。
訓練場の結界壁が、警戒反応を示した。
「……」
「……」
「え?」
試験官が固まる。
周囲も一瞬で静まり返った。
◇
「出力制御をお願いします!」
「いや、今かなり抑えたんだけど?」
「それでこの反応ですか!?」
「俺のせいじゃないだろこれ」
ざわめきが広がる。
エミリーが深いため息をついた。
「またですか」
「またって言うな」
「毎回です」
◇
アリアは壁際で静かに観察していた。
「魔力出力、基準値逸脱」
「だから俺は普通だって」
「基準側が非合理」
「フォローしてるのかディスってるのかどっちだ」
「事実」
淡々とした返答だった。
◇
結局その後の試験はすべて参考記録扱いとなった。
理由は単純。
比較基準が崩壊するため。
「君の魔力は毎回規格外だねぇ」
教授が笑いながら近づいてくる。
「褒めてる?」
「もちろん」
「やめてくれ」
◇
試験後。
レイは訓練場の端で休憩していた。
焼き菓子を片手に、ぼんやりと空を見上げる。
「遠征ってさ」
ぽつりと呟く。
「準備が一番だるいよな」
「本番の方がだるいですよ」
即答はエミリーだった。
「知ってる」
◇
彼女は隣に腰を下ろす。
手元には書類の束。
「未到達地帯、補給は不安定です」
「聞いた」
「魔素環境も変動します」
「聞いた」
「侵食反応もあります」
「それも聞いた」
「……じゃあ逃げますか?」
「逃げられるなら最初から逃げてる」
会話が成立しているようでしていない。
◇
少し離れた場所ではアリアが座っていた。
周囲の喧騒とは距離がある。
「未到達地帯、食文化未確認」
「お前そこ気にするのやめろ」
「重要」
「お前の重要の基準が怖い」
◇
そこへ教授がやってくる。
「いやぁ、いいねぇこの準備期間の空気」
「不安しかないんですが」
「研究者としては最高だよ」
「帰ってください」
「ひどいなぁ」
◇
教授はふと真面目な声になる。
「でもね、レイ君」
「なんだよ」
「今回の遠征は間違いなく転換点になる」
空気が少し変わる。
◇
「未到達地帯は単なる危険区域じゃない」
「古代文明の残骸ではなく、“まだ動いている可能性がある領域”だ」
「動いてる?」
「そう」
教授は静かに続ける。
「つまり、何かが今も機能している」
レイは言葉を失う。
◇
アリアが補足するように呟いた。
「管理機構、部分再起動確認」
「……やっぱりか」
「肯定」
淡々とした事実が重い。
◇
エミリーは資料を閉じる。
「つまり、遠征は調査ではなく」
「干渉になる」
レイが言葉を引き取る。
「嫌な言い方だなそれ」
「でも事実です」
◇
しばらく沈黙が流れた。
遠くで剣の打ち合う音が響く。
誰かの号令。
準備の喧騒。
◇
レイは焼き菓子をもう一口かじる。
「まぁいいか」
「いいんですか?」
「どうせ行くし」
「投げやりですね」
「今さらだろ」
◇
空は夕方へと傾いていた。
赤く染まる訓練場。
整列する人々の影。
遠征の気配は、すでに現実になっている。
◇
レイは小さく息を吐いた。
「ほんと、昼寝してるだけの人生が良かったんだけどなぁ」
その呟きは、夕暮れの喧騒に溶けていった。
だがもう、その願いが叶う場所には――簡単には戻れない。




