第九十三話 ぐうたら三男、遠征準備に巻き込まれる
王都は、妙に落ち着かなかった。
復興工事の音が途切れず響き、荷馬車が絶え間なく往来する。
騎士団の鎧が鳴り、研究院の魔導車が石畳を軋ませる。
何かが始まる前の、ざわついた空気。
「……嫌な感じだなぁ」
レイは窓の外を見ながら呟いた。
「気のせいじゃないですよ」
横から即座に返ってくる声。
エミリーだった。
机の上には、遠征準備書類が山のように積まれている。
「未到達地帯遠征ですから」
「知ってるけどさ」
「知ってるなら手伝ってください」
「そこは知らないフリしたいとこだったんだけど」
当然のように却下された。
◇
ここは王都西側・騎士団物資倉庫。
巨大な石造建築の内部には、遠征用物資がぎっしりと並んでいる。
保存食。
結界杭。
予備魔石。
治療薬。
携帯寝具。
そして、やたらと多い魔道具類。
「なんで俺の作ったやつこんなにあるの」
「全部遠征仕様だからです」
「量がおかしい」
「王国規模ですから」
エミリーは淡々と帳簿をめくる。
完全に事務員の顔だった。
◇
「レイ君、来ていたのか」
聞き慣れた声。
振り返ると、アルベルト教授が手を振っていた。
相変わらず軽い雰囲気だが、目の下は少しだけ疲れている。
「生きてたんだ」
「失礼だなぁ」
「最近ずっと研究室から出てこないから」
「研究者だからね」
「便利な言葉だなそれ」
◇
教授は資料束を机へ広げた。
地図。
術式解析。
侵食反応記録。
文字の密度だけで気分が重くなる。
「未到達地帯周辺の最新観測だ」
「聞きたくないやつだこれ」
「まあそう言わずに」
教授は楽しそうに説明を始める。
「侵食反応の拡大」
「古代施設の再起動兆候」
「それと地形変動」
「最後嫌なやつ混ざってない?」
◇
レイは地図を見る。
大陸中央。
未到達地帯。
その周辺に新しい線がいくつも描かれている。
「本来存在しない谷や通路が発生している」
教授は指でなぞる。
「空間が“再構築”されている可能性がある」
「再構築って軽く言うなよ」
「軽く言える内容ではないね」
なのに言うのが教授だった。
◇
「つまり?」
レイが嫌そうに聞く。
「古代文明のシステムがまだ生きている可能性がある」
教授は静かに言った。
「未到達地帯は“管理領域”だったかもしれない」
「管理って何を」
「世界の環境制御だとか、侵食封鎖だとか」
「スケールでかすぎない?」
「古代文明はそういうものだったらしい」
嫌な予感がどんどん強くなる。
◇
その時だった。
「肯定」
アリアが資料の影から現れた。
白い髪。
淡い瞳。
相変わらず感情の薄い声。
「未到達地帯、旧管理通路存在可能性高」
「お前どこから湧いた」
「観測終了」
「説明省くな」
◇
アリアは淡々と続ける。
「管理権限不在期間長期化」
「封鎖機構劣化進行」
「侵食領域拡大傾向」
「つまり?」
「早期接触必要」
「最近そればっかだな」
◇
エミリーが小さく溜息を吐く。
「つまり未到達地帯に行くしかない、ということです」
「結論早いな」
「準備期間もう決まってますし」
レイは天井を見上げた。
「行きたくないんだけどなぁ……」
「行きますよね?」
「行くしかないのが腹立つ」
◇
倉庫内では遠征準備が進んでいた。
騎士たちの掛け声。
魔道具の試験音。
荷積みの音。
すべてが遠征の現実味を増している。
◇
「ちなみにドルーゴ製品、全部実戦投入される」
エミリーが言う。
「保存食、結界補助、携帯魔導具」
「ほぼ俺じゃん」
「はい」
「責任重いなぁ」
「今更ですね」
◇
倉庫の奥。
アリアが魔導機材を観察している。
「魔素構造安定率向上確認」
「それ褒めてる?」
「事実」
相変わらず言葉が短い。
だが、少しだけ変化がある。
以前より“観察”が増えた。
◇
「アリア、お前さ」
レイはふと聞く。
「最近やたら人間の生活見てるよな」
「学習」
「何の」
「日常行動」
「……ふーん」
特に否定もしない。
ただ。
少しだけ、彼女の視線が柔らかくなった気がした。
◇
エミリーが小さく笑う。
「最近人と関わって変わりましたよね」
「誰が?」
「アリアさん」
「……そうか」
◇
倉庫の外では夕暮れが近づいていた。
赤く染まる空。
忙しく動く人々。
遠征準備の喧騒。
そのすべてが、未到達地帯へ向かう流れの一部に見える。
◇
レイは小さく息を吐いた。
「……まあいいか」
「諦め早いですね」
「どうせ逃げられないし」
エミリーは少しだけ優しく笑う。
「レイ様らしいです」
「それ褒めてる?」
「たぶん」
◇
未到達地帯遠征。
世界の中心へ向かう旅。
古代文明の残滓。
侵食の根源。
そして、まだ見ぬ“何か”。
ぐうたら三男は、結局その流れに巻き込まれていくのだった。




