第六話 ぐうたら三男、怒る
灰喰らいの洞、第四層。
そこは上層とは空気そのものが違っていた。
壁面は黒紫色に変色し、地面には結晶化した魔石が無数に突き出している。
そして何より。
「……濃いですね」
エミリーが眉をひそめた。
呼吸するだけで魔素が肺へ入り込んでくる。
普通の探索者なら長時間滞在するだけで魔素酔いを起こす濃度だ。
「かなり危険域だな」
レイは周囲を見回す。
彼の視界には、魔素の流れが色として見えていた。
通常の魔素は淡い青。
だが今この場所を流れているのは、どす黒く濁った紫色だった。
「完全に汚染されてる」
「やっぱり違法投棄ですか?」
「それだけじゃないな」
レイは地面へしゃがみ込んだ。
岩盤の亀裂。
そこへ不自然な魔法陣が刻まれている。
「これ……現代魔術式?」
「みたいだな」
エミリーが顔をしかめる。
「でもこんな大規模術式、普通の魔術師には……」
「無理」
レイは即答した。
「少なくとも宮廷級」
「面倒な予感しかしませんね」
「わかる」
その時だった。
ゴゴゴゴ……ッ!!
地面が揺れた。
「レイ様!」
「来るぞ」
直後。
岩壁を突き破って巨大な影が現れた。
全長五メートルほどの巨体。
漆黒の外殻。
六本脚。
そして赤黒く脈動する巨大オーブ。
「……うわ」
レイが嫌そうな顔をする。
「鋼鉄蟲の完全変異種か」
魔物は低く咆哮した。
空気が震える。
通常種とは比較にならない圧力。
エミリーが短剣を構える。
「逃げます?」
「いや」
レイは魔物を観察した。
外殻強度。
魔素循環。
オーブ位置。
数秒で解析終了。
「いける」
「その“いける”怖いんですが?」
「大丈夫」
レイは前へ出た。
そして右手を軽く掲げる。
『超振動』
瞬間。
空気が震えた。
見えない衝撃波が一直線に走る。
バギィンッ!!
鋼鉄蟲の外殻が砕け散った。
「ギシャアアアアアッ!?」
魔物が絶叫する。
エミリーが絶句した。
「……は?」
「脆いな」
「いや今の何です!?」
「超音波カッター的な」
「言葉がわかりません」
「古代魔術」
便利な言葉だった。
説明が面倒な時、大体これで済む。
鋼鉄蟲は怒り狂ったように突進する。
地面が砕ける。
だがレイは避けない。
『停止』
ドンッ!!
巨体が空中で静止した。
慣性を無視して止まる。
完全に物理法則を無視していた。
エミリーが遠い目になる。
「だからそれ反則なんですよ……」
「便利だぞ?」
「便利で済ませていい術式じゃないです」
レイは止まった魔物へ近づく。
そして巨大オーブへ触れた。
「……やっぱりか」
「何かわかったんです?」
「これ」
レイはオーブ内部を指差した。
黒い線のようなものが内部を走っている。
「人工術式だ」
「え?」
「誰かが無理矢理変異させてる」
エミリーの表情が険しくなる。
「人体実験……じゃなくて魔物実験ですか」
「たぶんな」
しかもかなり高度。
普通の魔術師では不可能だ。
「ベルモンドだけじゃないな」
「背後に誰かいる?」
「いる」
レイは断言した。
その時。
奥の通路から悲鳴が響いた。
「ぎゃああああっ!!」
エミリーが振り向く。
「探索者!?」
「行くぞ」
二人は走った。
通路を抜けた先。
そこには地獄が広がっていた。
探索者パーティが壊滅していたのだ。
一人は壁に叩きつけられ。
一人は脚を失い。
残る者たちも満身創痍。
そしてその中央には――。
巨大な人型魔物が立っていた。
異様に膨れ上がった筋肉。
黒紫の血管。
そして顔には。
苦悶する人間の面影。
「……人型変異種」
エミリーが息を呑む。
魔物がこちらを向いた。
その目は濁っている。
だが。
一瞬だけ。
涙のようなものが見えた。
「……助け、て」
掠れた声だった。
レイの表情から笑みが消える。
「エミリー」
「はい」
「こいつ作った連中、全員潰す」
その声には。
静かな怒気が宿っていた。




