第百十八話 ぐうたら三男、謎の老人と会う
停止した巨大蜘蛛の巨体から、白い蒸気がゆっくり噴き出していた。
侵食結晶は砕け散り、床へ黒い砂のように崩れている。
先ほどまでの禍々しさは薄れていた。
だが。
代わりに別方向で不穏だった。
『搬入管理個体、機能再起動』
機械音声が静かに響く。
巨大蜘蛛の光眼が再点灯した。
今度は赤ではない。
青白い光。
敵意は感じない。
だがサイズがサイズである。
怖いものは怖い。
「……動いた」
セシリアが警戒を強める。
騎士達も武器を構えた。
だが。
巨大蜘蛛は攻撃してこなかった。
むしろ。
ゆっくりその場で脚を折り畳み、待機姿勢のような状態になる。
『管理者認証確認』
『旧搬入区画管理機、命令待機へ移行します』
地下空間が静まり返った。
レイは数秒黙る。
そして。
「増えた……」
問題が。
また増えた。
教授だけが少し興奮している。
「いや待てこれは凄いぞ!」
「古代管理個体の正常復旧だ!」
「歴史的発見だよ!」
「俺は歴史より睡眠が欲しい」
本気だった。
エミリーが苦笑する。
アリアは淡々と巨大蜘蛛を観察していた。
「敵性反応消失確認」
「現在は非戦闘状態」
「つまり?」
「たぶん大丈夫」
「“たぶん”が怖い」
レイは深くため息を吐いた。
その時。
青白い光球が巨大蜘蛛周囲を飛行する。
『搬入管理個体状態確認』
『損傷率四十六パーセント』
『修復推奨』
レイが嫌そうな顔をする。
「まさかとは思うけど」
『管理者による維持管理義務が発生します』
「やっぱりぃ!」
レイの叫びが地下へ響いた。
セシリアが頭を押さえる。
「また管理対象増えましたね……」
「嫌だ」
「お気持ちは理解します」
「理解だけ!?」
理解だけだった。
解決はしない。
巨大蜘蛛――いや、搬入管理機は静かに待機している。
改めて見ると異様だった。
巨大機械蜘蛛。
古代炉心搭載。
しかも今後味方側。
絵面がかなり怖い。
教授は真顔で呟く。
「これ、復興作業に使えるな」
全員が教授を見る。
「え?」
「元々搬入管理機だろう?」
「つまり超重量物運搬用だ」
「地下都市資材搬出にも使える可能性がある」
レイが少し固まる。
「……働かせるの?」
「むしろ本来用途だね」
教授は当然みたいに言った。
巨大蜘蛛は静かに待機している。
妙に従順だった。
『作業命令を受領可能です』
「ほんとに働く気だこれ」
レイは若干引いた。
だが。
セシリアは逆に真面目な顔になる。
「実際、有効かもしれません」
「避難区復旧には資材不足が深刻です」
「地下都市資材利用が可能なら大きい」
「うわぁ……」
話が領地運営になってきた。
嫌な流れだった。
だが。
必要なのも事実である。
故郷を取り戻すには、人手も物資も足りない。
使えるものは使うしかない。
「……ほんと領主って休めないな」
レイがぼやく。
エミリーが少し笑った。
「でも、少し進みましたよ」
「ん?」
「壊すだけじゃなくて」
「取り戻せるものも増えてます」
その言葉に。
レイは少しだけ周囲を見る。
崩壊した地下搬入区画。
侵食結晶。
暗い地下。
だが。
停止していた古代施設が、少しずつ動き始めている。
壊れた故郷の中にも、まだ使えるものが残っている。
取り戻せるものがある。
それは少しだけ――希望だった。
その時。
巨大蜘蛛が静かに動く。
『管理者へ報告』
「ん?」
『搬入区画深部に未回収物資反応を確認』
レイの顔が死んだ。
「また増えた」
『加えて』
光球が続ける。
『生体反応も確認しています』
空気が変わる。
セシリアが眉をひそめる。
「生体反応?」
「避難民の取り残し……?」
教授は首を振った。
「いや」
「こんな深部で生存は難しい」
「じゃあ何」
数秒沈黙。
そして。
光球が静かに答える。
『未確認です』
レイは無言になった。
嫌な予感しかしない。
地下搬入区画のさらに奥。
暗い通路の先から、冷たい風が静かに吹き込んできていた。
地下搬入区画の奥は、異様に静かだった。
戦闘音が消えたせいだけではない。
空気そのものが沈んでいる。
冷たい。
重い。
侵食濃度とは少し違う、“古い地下施設”特有の気配だった。
レイ達は慎重に通路を進む。
巨大蜘蛛――搬入管理機も後方から追従していた。
ガシャン、ガシャン、と巨大脚が床を鳴らす。
かなりうるさい。
「……威圧感すごいな」
レイがぼそりと呟く。
『本機は重量物搬送特化型です』
「戦闘向きにも見える」
『本来用途外ですが、防衛行動は可能です』
「怖」
本当に怖い。
巨大蜘蛛が味方側という状況に、まだ全員慣れていなかった。
通路の奥へ進むほど、侵食結晶は減っていく。
代わりに古代設備が増えていた。
搬送レール。
魔力導管。
大型昇降装置。
そして壁面に刻まれた古代文字。
青白い光が静かに脈動している。
地下都市そのものは、まだ完全には死んでいないのだ。
教授が壁面を撫でながら呟く。
「自己修復機構まで部分稼働している……」
「都市機能維持率が想像以上に高い」
「つまり?」
「本当に復旧可能かもしれない」
レイは少し黙る。
復旧。
その言葉に、妙な実感が滲いた。
故郷は壊れた。
だが。
全部消えたわけじゃない。
取り戻せるものがある。
それは思っていた以上に大きかった。
その時。
アリアが足を止めた。
「反応」
全員が警戒態勢へ入る。
「前方」
「数、一」
「……一?」
レイが眉をひそめる。
魔物の群れではない。
単独反応。
その時だった。
暗い通路奥で、小さな光が揺れた。
ランタン。
いや。
古代照明具に近い。
青白い灯りが、ゆっくり近付いてくる。
全員が武器を構える。
静寂。
そして。
暗闇から、一人の老人が姿を現した。
「…………」
誰も喋れなかった。
老人は痩せていた。
灰色のローブ。
長い白髪。
手には古代端末らしき杖を持っている。
だが何より異様だったのは。
この暗黒地域地下深部で、あまりにも普通に立っていることだった。
老人はレイ達を見る。
そして。
穏やかに口を開いた。
「やっと来たか」
空気が止まる。
レイが真っ先に嫌そうな顔をした。
「……知り合い?」
「初対面だ」
「じゃあなんで待ってた感じなんだよ」
本当に嫌な予感しかしない。
老人はゆっくりレイを見る。
その目は妙に静かだった。
「管理権限起動を感じた」
「地下都市が久しぶりに目を覚ましたのでな」
教授が驚愕する。
「待て」
「君、この地下都市を知っているのか?」
老人は頷いた。
「少しな」
「私は元々、この地下都市の監視役だ」
地下空間が静まり返る。
レイだけが頭を抱えた。
「……また増えた」
設定が。
問題が。
知らない情報が。
老人はそんなレイを見て、少し笑った。
「そう警戒するな」
「別に敵ではない」
「その台詞で安心できたこと最近ない」
本音だった。
セシリアが慎重に前へ出る。
「あなたは何者ですか」
老人は少し考える。
そして。
「今はただの管理人だ」
静かな声だった。
だが。
その雰囲気には妙な重みがある。
普通の人間ではない。
少なくとも、この地下深部で単独生存できる存在ではない。
教授が真顔になる。
「……生き残りか」
「古代都市関係者の」
老人は否定もしなかった。
代わりにレイを見る。
「お前」
「随分と妙な権限を持っているな」
レイは嫌そうな顔をした。
「俺もそう思う」
「だろうな」
老人は小さく笑う。
そして。
ゆっくり通路奥へ視線を向けた。
「だが、時間はあまりない」
「地下第二層が起動を始めている」
「完全起動前に止めねばならん」
その言葉に。
空気が再び張り詰める。
暗黒地域。
地下都市。
古代文明。
まだ、この故郷には眠ったままの秘密が残されていた。




