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ぐうたら三男は古代魔語で悠々自適生活を目指す  作者: シロネル
5章

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第百十四話 ぐうたら三男、準備をはじめる

 翌朝。


 レイは珍しく早起きだった。


 いや。


 正確には、あまり眠れなかった。


 王城の寝具は高級だった。


 柔らかい。


 静か。


 温度管理まで完璧。


 普通なら快眠できる環境だ。


 だが。


 妙に落ち着かなかった。


 結局、夜中に何度か目が覚めている。


「……寝不足」


 ぼんやりした顔で窓際に立つ。


 王都の朝は早い。


 既に通りには人の流れができていた。


 商人。


 騎士。


 使用人。


 荷馬車。


 活気がある。


 それを眺めながら、レイは無意識に思う。


 ゴールド地方の朝はもっと静かだった。


 鳥の声が先に聞こえる。


 使用人達がのんびり動き始め。


 厨房から焼き立てパンの匂いが漂ってくる。


 朝日ももっと柔らかい。


 あの空気が好きだった。


 静かで。


 平和で。


 何も起きなさそうで。


 だから。


 失ってから初めて、自分がどれだけあの場所を気に入っていたのか理解している。


「起きてたんですね」


 エミリーが部屋へ入ってくる。


 既に身支度は整っていた。


 相変わらず仕事が早い。


「寝れなかった」


「珍しいですね」


「王城落ち着かない」


「それはいつものことでは?」


「今日は特に」


 エミリーは何も言わなかった。


 代わりに静かに朝食を並べていく。


 簡素なものだった。


 パン。


 卵料理。


 スープ。


 温かい匂いが広がる。


 レイは席へ座り、ぼんやり湯気を眺めた。


「……なんかさ」


「はい」


「故郷なくなったって聞いた時は、実感なかったんだけど」


 レイはスープへ視線を落とす。


「今の方が変な感じする」


 ぽつりと漏れた本音だった。


 エミリーは静かに聞いている。


「昨日までは頭止まってたんだと思う」


「はい」


「でも、朝起きて」


「帰る場所ないんだなって思ったら」


 そこで言葉が止まる。


 レイ自身、うまく説明できなかった。


 胸の奥が妙に空っぽなのだ。


 派手に悲しいわけじゃない。


 泣きたいわけでもない。


 ただ。


 当たり前にあったものが消えた違和感が、じわじわ広がっている。


 エミリーは静かに席へ座った。


「帰る場所はありますよ」


「ん?」


「避難した皆さんがいます」


「……」


「ゴールド家も」


「使用人達も」


「領民達も」


「レイ様を待っています」


 レイはしばらく黙る。


 それから、小さく息を吐いた。


「……そうだな」


 土地は壊れた。


 街も侵された。


 でも。


 人は残っている。


 なら。


 まだ終わっていない。


 セシリアが資料束を抱えながら部屋へ入ってくる。


「おはようございます」


「朝から疲れてる顔してるな」


「誰のせいだと思ってるんですか」


 即答だった。


 そして机へ大量の資料を置く。


 嫌な予感しかしない。


「何それ」


「現在判明している旧ゴールド地方情報です」


「多い」


「多いですね」


 セシリアも遠い目をしていた。


 資料には現在確認されている異常ダンジョン発生地点。


 侵食濃度推移。


 避難民状況。


 街道崩落情報。


 魔物出現記録。


 さらには違法探索者活動報告まで並んでいる。


「もう見たくない」


「見てください」


「昼寝したい」


「働いてください」


 いつものやり取りだった。


 だが、その空気に少しだけ安心する。


 変わらないものもある。


 少なくとも、このメンバーは変わっていない。


 教授も遅れて姿を現した。


 既に妙な紙束を抱えている。


 目が輝いていた。


「興味深いぞ」


「嫌な予感」


「侵食停止後にも関わらず、旧ゴールド地方では局地的活性化が続いている」


「嫌な予感しかしない」


「恐らく地下古代施設群が影響している」


「増えた」


「面倒事が増えた」


 教授は真面目に頷いた。


「増えたね」


「他人事みたいに言うなよ……」


 レイは机へ突っ伏した。


 本当に問題が多い。


 だが。


 同時に少しだけ見えてきたこともある。


 世界侵食そのものは止まった。


 だからこそ。


 今後は“局地問題”になる。


 暗黒地域。


 異常ダンジョン。


 古代施設暴走。


 そうした“残された傷”への対処。


 そして。


 それを巡る人間達。


 既に旧ゴールド地方周辺では、違法探索者や遺物狙いの集団が動き始めているらしい。


 平和になり切れない世界。


 だが。


 終わりへ向かう世界ではなくなった。


 それだけは確かだった。


「……まぁ」


 レイはゆっくり身体を起こす。


「やるしかないか」


 完全に諦めた顔だった。


 セシリアが頷く。


「まずは避難民との合流ですね」


「家族にも会わないとな」


「はい」


「あと現地確認」


「侵食状況調査も必要です」


「ダンジョン数確認も」


 教授が楽しそうに追加する。


「違法探索者排除もですね」


 エミリーが静かに言う。


「増えるなぁ……」


 仕事が。


 責任が。


 面倒事が。


 レイは天井を見上げ、深いため息を吐いた。


「……誰か俺に平穏な昼寝生活返してくれ」


「無理でしょうね」


 セシリアの返答は即答だった。


 窓の外では朝日が王都を照らしている。


 新しい一日。


 そして。


 新しい戦いの始まりだった。


 午前中。


 レイ達は王城内の一室を借り、旧ゴールド地方に関する情報整理を進めていた。


 広い会議室だった。


 机の上には資料が山積みである。


 地図。


 侵食濃度推移。


 避難経路。


 街道崩落地点。


 確認済みダンジョン一覧。


 そして、各地から寄せられた異常報告。


 見るだけで疲れる量だった。


 レイは開始十分で既に死んだ目になっている。


「多い……」


「まだ増えますよ」


 セシリアが追加資料を置いた。


「やめて」


「無理です」


 即答だった。


 レイは机へ額をぶつける。


 ごつん、と鈍い音。


 エミリーが静かに紅茶を差し出した。


「糖分補給してください」


「ありがとう……」


 生気のない声で受け取る。


 そして資料をめくった瞬間、さらに嫌そうな顔になった。


「うわ」


「どうしました?」


「実家近くダンジョン三つ増えてる」


 セシリアも眉をひそめる。


 地図上。


 旧ゴールド領中心部周辺には赤印が集中していた。


 通常の侵食災害では考えにくい密度だ。


 しかも。


 侵食根幹停止後も活性が継続している。


 明らかに異常だった。


 教授が楽しそうに資料を覗き込む。


「興味深いねぇ」


「楽しそうだなぁ……」


「研究者だからね」


「今ちょっとその性質恨む」


 教授は気にせず続けた。


「おそらくだが、旧ゴールド地方地下には複数の古代施設群が埋まっている」


「前から遺跡多かったしな」


「未到達地帯変動の余波で、それらが連鎖的に活性化した可能性が高い」


 教授は地図へ指を走らせる。


「特に山岳地帯」


「ここを中心に侵食反応が偏っている」


 レイは地図を眺めながら黙り込む。


 山岳地帯。


 幼い頃から何度も見た景色だ。


 昔から妙な洞窟が多かった。


 立入禁止区域もある。


 古い坑道跡も放置されていた。


 今思えば、あの辺りは元々何かおかしかったのかもしれない。


「……嫌な予感する」


「するねぇ」


 教授は笑顔だった。


 研究者としては完全に興奮状態である。


 セシリアが頭を押さえる。


「教授、少し自重してください」


「無理だとも」


「知ってました」


 アリアは静かに地図を見ていた。


「侵食停止後も局地活性が継続」


「つまり単純な残滓ではない可能性」


「だろうな」


 レイが頷く。


 もし単なる残り火なら、徐々に弱まるはずだ。


 だが旧ゴールド地方は逆だ。


 局地的に活性が増している。


 つまり。


 別要因がある。


「古代施設由来か」


「あるいは未確認中枢」


 教授が補足する。


 レイは嫌そうに顔をしかめた。


「もう中枢とか聞きたくないんだけど」


「分かる」


 セシリアも珍しく即同意だった。


 白銀都市で十分すぎるほど苦労した。


 あれ以上厄介な施設は勘弁してほしい。


 だが現実は待ってくれない。


 エミリーが次の資料を広げる。


「こちらは避難民状況です」


 レイの表情が少し真面目になる。


「現在、ゴールド地方住民の大半は西部避難区へ移送済み」


「死者数は?」


「確認済みでは比較的少数です」


 その言葉に、レイは小さく息を吐いた。


 本当に。


 そこだけは救いだった。


 侵食災害としては奇跡的と言っていい。


 避難誘導が間に合ったのだろう。


「親父達は?」


「西部避難区に滞在中です」


「母上も」


「使用人達も無事確認済み」


 レイは静かに目を閉じた。


 まだ会えていない。


 だが、生きている。


 それだけで十分だった。


「……先に顔出すか」


 ぽつりと呟く。


 セシリアが頷いた。


「その方が良いでしょうね」


「現地調査前に、避難民側状況も把握したいですし」


「ん」


 レイはゆっくり椅子へ背を預けた。


 少しだけ。


 本当に少しだけだが。


 気持ちの整理がつき始めていた。


 故郷は壊れた。


 だが終わってはいない。


 人は残っている。


 土地も完全消滅したわけではない。


 なら。


 戻せる可能性はある。


 面倒だが。


 とてつもなく面倒だが。


 やるしかない。


 その時。


 控えめなノック音が響いた。


 全員の視線が扉へ向く。


「失礼します」


 入ってきたのは王城文官だった。


 やや緊張した顔をしている。


「レイ・ゴールド様へ報告です」


「ん?」


「旧ゴールド地方周辺にて、未確認武装集団との接触報告が増加しています」


 室内の空気が少し変わる。


「特徴は?」


 セシリアが即座に問う。


「黒装備主体」


「統率行動あり」


「侵食区域へ慣れた動きだったと」


 教授が眉を上げた。


「随分早いな」


 レイは面倒そうに頭を掻く。


「……もう来てんのか」


「恐らく遺物狙いでしょう」


 エミリーが静かに言う。


「あるいは地下施設関連」


「面倒事増加速度おかしくない?」


「いつものことです」


 セシリアが即答した。


 レイは遠い目をする。


 平穏が本当に遠い。


 だが。


 同時に理解もしていた。


 放置すれば、故郷は食い荒らされる。


 侵食だけではない。


 人間の欲望にも。


 だから。


 行かなければならない。


「……出発準備するか」


 その言葉に、室内の空気が静かに引き締まった。


 故郷奪還。


 その第一歩が、始まろうとしていた。


 出発準備は、その日のうちに始まった。


 とはいえ。


 レイは基本的に荷物が少ない。


 着替え。


 簡易工具。


 保存食。


 寝袋。


 あと白銀都市から持ち帰った妙な部品類。


 どう見ても最後がおかしい。


「それ持っていくんですか?」


 セシリアが呆れ顔で聞く。


「使えるかもしれない」


「絶対ろくでもない方向でですよね?」


「否定できない」


 教授が横で楽しそうに頷いていた。


「実に素晴らしい試料群だ」


「教授がいると不安しか増えない」


「褒め言葉かな?」


「違う」


 エミリーは慣れた様子で荷物整理を進めている。


 必要物資。


 現地用衣類。


 応急薬品。


 侵食対策道具。


 さらに避難民向けの支援物資一覧まで作成済みだった。


 仕事が早すぎる。


「エミリー、休んでる?」


「多少は」


「絶対嘘」


「気のせいです」


 絶対違った。


 だが本人が平然としているので、レイも深く追及しない。


 アリアは静かに武装点検を行っていた。


 無駄がない。


 淡々としている。


 だが以前より空気が柔らかい。


 人と行動することに慣れ始めているのが分かる。


 そんな中。


 レイだけは椅子へ座ったまま動かなかった。


「……行きたくねぇ」


 本音だった。


 セシリアが疲れた顔で言う。


「今更ですよ」


「だって絶対大変じゃん」


「大変でしょうね」


「侵食地帯」


「異常ダンジョン」


「違法探索者」


「古代施設」


「役満じゃん……」


 レイは天井を見上げる。


 本当に休暇の予定だったのだ。


 実家へ帰って。


 飯食って。


 昼寝して。


 数日だらだらする予定だった。


 なのに。


 現実は暗黒地域奪還戦である。


 人生は理不尽だった。


 その時。


 ふと窓の外から風が吹き込んだ。


 王都の風。


 だが。


 一瞬だけ。


 レイは故郷の風を思い出した。


 乾いた草の匂い。


 少し土臭い空気。


 静かな田舎の風景。


 夕方の眠気。


 何も考えなくていい時間。


「…………」


 胸の奥が少し痛む。


 帰りたかった。


 本当に。


 ただ帰りたかっただけなのだ。


 レイはゆっくり立ち上がる。


「……西部避難区、先に寄る」


 その言葉にエミリーが頷いた。


「はい」


「皆さんも待っていると思います」


 レイは小さく息を吐く。


 家族。


 領民。


 使用人達。


 避難できたとは聞いている。


 だが。


 実際に顔を見るまでは落ち着かない。


 そして恐らく。


 向こうも同じだ。


「まぁ、親父元気そうだけど」


「想像できますね」


 セシリアが苦笑する。


「レイが帰った瞬間、仕事押し付けそうです」


「あり得る……」


 レイは本気で嫌そうな顔になった。


 容易に想像できる。


 ゴールド家当主は豪快な人間だった。


 細かいことを気にしない。


 大雑把。


 雑。


 でも妙に人望がある。


 辺境領主としては不思議と優秀だった。


 そして。


 息子へ面倒事を投げるのが上手い。


「逃げたい」


「諦めてください」


 セシリアが即答する。


 その時。


 教授がふと真面目な顔になった。


「しかし、注意は必要だ」


 室内の空気が少し変わる。


「侵食根幹停止後、世界は安定へ向かうだろう」


「だが、その過渡期こそ最も危険になる可能性がある」


 レイは視線を向ける。


 教授は窓の外を見ながら続けた。


「これまで各国は“世界崩壊阻止”へ全力を注いでいた」


「だが今後は変わる」


「残された危険地帯」


「古代遺物」


「異常資源」


「それらの奪い合いが始まる」


 静かな声だった。


 だが現実味がある。


 実際、既に動き始めている。


 違法探索者。


 武装集団。


 遺物回収業者。


 侵食変異素材密売。


 終末が遠のいたからこそ、人間は次の利益を見始める。


「嫌な時代になりそう」


 レイがぼそりと漏らす。


 教授は苦笑した。


「人類は昔からそういう生き物だよ」


「知ってるけどさぁ……」


 レイは頭を掻く。


 故郷奪還だけで終わらない。


 きっとこれから先。


 様々な連中が絡んでくる。


 古代文明を狙う者。


 侵食地帯を利用する者。


 力を求める者。


 欲望はなくならない。


 だから。


 放置すれば故郷はさらに荒らされる。


「……めんど」


 本当に嫌そうだった。


 だが。


 逃げるつもりも、もうない。


 レイは荷物を肩へ担ぐ。


 そして部屋の扉へ向かった。


 エミリー達も続く。


 王城廊下には朝の光が差し込んでいた。


 騎士達が行き交い。


 使用人達が忙しく動いている。


 その喧騒の中を歩きながら、レイはぼんやり思う。


 多分。


 ここから先は忙しくなる。


 本当に。


 とんでもなく。


 でも。


 それでも。


 故郷を失ったまま終わるのは嫌だった。


 王城正門が見えてくる。


 その先には王都。


 さらに遠く。


 暗黒地域となった旧ゴールド地方。


 レイは静かに目を細めた。


「……待ってろよ」


 誰に向けた言葉だったのか。


 本人にも分からなかった。


 ただ。


 小さく吹いた風だけが、その声を運んでいった。

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