第百七話 ぐうたら三男、帰還する
白い光が収束する。
◇
感覚が揺れた。
高次領域特有の浮遊感が消えていく。
◇
代わりに。
重力。
空気。
温度。
◇
“現実”の感覚が戻ってきた。
◇
「……ん」
◇
レイはゆっくり目を開ける。
◇
視界に映ったのは、白銀都市の中央管理空間だった。
◇
中央管理座。
白い術式。
静かな光。
◇
先ほどまで暴走寸前だった空間とは思えないほど穏やかだった。
◇
「……戻った」
◇
次の瞬間。
「レイ様!」
◇
勢いよくエミリーが駆け寄ってきた。
◇
珍しく余裕がない。
遠征用装備のまま、真っ直ぐレイの前へ来る。
◇
「大丈夫ですか!?」
◇
「んー……まぁ」
レイは力なく笑った。
◇
その場でふらつく。
◇
「レイ様!?」
◇
エミリーが慌てて支える。
◇
重い。
全身が鉛みたいだった。
◇
管理権限を深く使いすぎた。
高次領域への完全接続。
侵食との直接干渉。
◇
反動が大きい。
◇
セシリアも駆け寄ってくる。
「無茶しすぎです……!」
◇
「いやぁ……」
レイは遠い目をした。
◇
「ほんともう二度とやりたくない」
◇
教授が苦笑混じりに息を吐く。
「帰還できただけでも奇跡だよ」
◇
その言葉に、周囲の騎士たちも安堵したように息を吐いた。
◇
彼らはずっと待っていたのだ。
いつ崩壊してもおかしくない状況で。
◇
アリアだけは静かにレイを見ていた。
◇
「レイ」
「ん?」
◇
「……生還確認」
◇
淡々とした声。
だが。
ほんの少しだけ安心しているようにも聞こえた。
◇
レイは苦笑する。
◇
「おう、なんとか」
◇
その時だった。
◇
都市全域へ白い光が走る。
◇
侵食警報が次々消えていく。
赤く点滅していた管理術式が安定化した。
◇
『侵食中枢正常化確認』
『世界維持機構再起動』
『高次領域安定化成功』
◇
静かな機械音声が響く。
◇
教授が目を見開いた。
「……正常化?」
◇
セシリアも呆然としている。
◇
「止めた……だけじゃない?」
◇
レイは面倒臭そうに頭を掻いた。
◇
「なんか色々押し付けてきた」
◇
「押し付けた?」
セシリアが聞き返す。
◇
「仮面の男に」
◇
沈黙。
◇
教授がゆっくり確認する。
「……仮面の男は生きているのかい?」
◇
「多分」
◇
「多分!?」
◇
レイは疲れ切った顔で続けた。
◇
「いやだって管理業務やる人必要じゃん」
◇
「だから補助端末直して、侵食監視機構再編して、管理権限渡して……」
◇
「……帰ってきた」
◇
全員が黙った。
◇
セシリアが額を押さえる。
「世界規模の問題を、そのノリで解決しないでください……」
◇
教授は逆に笑っていた。
◇
「はは……」
◇
「なるほど」
◇
「君らしい結論だ」
◇
レイは本気で疲れた顔をしていた。
◇
「いやもうほんと疲れた……」
◇
そして。
ぐううぅぅぅ……。
◇
盛大に腹が鳴った。
◇
空気が止まる。
◇
レイは真顔だった。
◇
「……腹減った」
◇
エミリーが吹き出す。
セシリアも耐えきれず笑ってしまった。
◇
教授まで肩を揺らしている。
◇
騎士たちも苦笑していた。
◇
世界滅亡寸前の戦いを終えて。
第一声がそれだった。
◇
「レイ様」
エミリーが微笑む。
◇
「戻ったら美味しいものを食べる約束でしたよね」
◇
レイは少しだけ笑った。
◇
「肉」
「分かっています」
◇
その時。
アリアが静かに口を開く。
◇
「現在、白銀都市管理機構より食堂区画利用許可取得可能」
◇
全員がアリアを見る。
◇
「……食堂?」
セシリアが聞き返した。
◇
「古代文明時代の栄養供給施設」
◇
レイの目が少し輝く。
◇
「飯あるの!?」
◇
「一部機能稼働中」
◇
「行く」
即答だった。
◇
さっきまで死闘していたとは思えない速度で立ち上がる。
◇
「現金すぎません!?」
セシリアがツッコむ。
◇
「腹減ってると人類は戦えない」
レイは真顔だった。
◇
教授が苦笑する。
「妙に説得力があるね……」
◇
白銀都市の危機は去った。
侵食暴走も止まった。
高次領域も安定した。
◇
だが。
未到達地帯の謎はまだ残っている。
古代文明の真実も。
侵食の本質も。
◇
それでも今は。
◇
少なくとも今だけは。
◇
仲間たちと、食事を囲む時間があってもいい。
◇
レイは大きく伸びをした。
◇
「……帰ったら三日くらい寝るか」
白銀都市内部は、静かだった。
◇
つい先ほどまで侵食警報が鳴り響き、都市全域が崩壊寸前だったとは思えない。
◇
侵食反応は沈静化。
暴走していた管理機構も正常化。
空中へ展開されていた赤黒い警戒術式も、今は白い光へ戻っている。
◇
未到達地帯の空は相変わらず灰色だったが、それでも先ほどまでの圧迫感はかなり薄れていた。
◇
「……終わった、のか?」
◇
騎士の一人が呆然と呟く。
◇
セシリアも周囲を見回しながら、小さく息を吐いた。
「少なくとも、世界滅亡寸前の状況からは脱しましたね……」
◇
「基準が重いんだよなぁ」
レイは疲れた顔でぼやいた。
◇
エミリーが苦笑する。
「レイ様基準でも重かったんですね」
「めちゃくちゃ重かった」
◇
本当に疲れていた。
◇
高次領域への完全接続。
管理権限の深層利用。
侵食中枢との直接戦闘。
◇
肉体より精神への負荷が大きい。
頭の奥がずっと重い。
◇
それでも。
腹は減る。
◇
「飯……」
レイが遠い目で呟く。
◇
アリアが静かに前へ出た。
◇
「食堂区画まで案内する」
◇
「頼む」
即答だった。
◇
セシリアが呆れる。
「もう少し緊張感をですね……」
◇
「腹減ってるんだよ」
「それで押し通さないでください」
◇
だが。
その空気感に騎士たちも少しだけ肩の力を抜いていた。
◇
極限状態が続いていた。
誰もが張り詰めていた。
◇
だからこそ。
レイのいつもの調子が、逆に安心感を与えている。
◇
白銀都市内部を進む。
◇
都市構造は相変わらず異質だった。
白銀の建築。
浮遊する光。
壁面へ流れる古代魔語術式。
◇
だが先ほどと違い、街そのものへ“生気”が戻っている。
◇
停止していた光源が点灯し。
通路が順次復旧していく。
◇
『都市機能復旧中』
『生活区画順次再稼働』
◇
白い管理機構たちが都市内部を移動していた。
修復作業を行っているらしい。
◇
セシリアが感心したように呟く。
「本当に都市そのものが生きてるみたいですね……」
◇
教授が頷いた。
◇
「古代文明は生活基盤そのものを魔術化していたんだろうね」
◇
「魔道具都市、ですか」
◇
「規模が桁違いだけどね」
◇
レイはぼんやり壁面術式を見ながら歩いていた。
◇
今なら分かる。
この都市の構造。
術式の意味。
管理機構の制御。
◇
管理権限接続の影響だろう。
知識が残っている。
◇
「……うわぁ」
◇
「どうしました?」
エミリーが聞く。
◇
「維持費やばそう」
◇
教授が吹き出した。
◇
「そこを見るのかい君は」
「だって絶対予算泣くぞこれ」
◇
セシリアも思わず笑う。
◇
「古代文明にも財務担当いたんでしょうか……」
「いたら絶対胃痛持ち」
◇
そんな話をしながら進むこと数分。
◇
やがて。
巨大な白い扉の前へ辿り着いた。
◇
『栄養供給区画』
◇
古代魔語表記。
◇
レイはそれを見て顔をしかめた。
◇
「なんか言い方が機械的」
◇
「食堂」
アリアが補足する。
◇
「そっちでいいだろ」
◇
白い扉がゆっくり開く。
◇
その瞬間。
全員が目を見開いた。
◇
「……おお」
◇
内部は、とても普通だった。
◇
長い机。
椅子。
調理区画。
食器。
◇
近未来的ではある。
だが。
そこには確かに“生活”があった。
◇
古代文明の人々も、ここで食事をしていたのだろう。
◇
レイは少しだけ空間を見回した。
◇
「……案外普通だな」
◇
「逆に安心しますね」
エミリーが微笑む。
◇
その時。
壁面術式が起動した。
◇
『管理者権限確認』
『食堂機能起動』
◇
次の瞬間。
調理区画が光り始めた。
◇
「え」
◇
機械音。
魔力駆動音。
白い光。
◇
そして。
次々と料理が生成され始めた。
◇
「うおぉ!?」
レイが目を見開く。
◇
焼きたての肉。
スープ。
パン。
果実。
見たことのない料理まで並んでいく。
◇
しかも。
香りが異常にいい。
◇
教授が感心したように呟く。
「自動調理機構か……」
◇
セシリアが目を丸くする。
「古代文明すごすぎません?」
◇
「最高」
レイは真顔だった。
◇
疲労で死にそうだった顔が、一気に生き返る。
◇
エミリーが苦笑する。
「分かりやすすぎますよ、レイ様」
◇
「飯は大事」
◇
レイは即座に席へ座った。
◇
そして。
目の前へ置かれた肉料理を見る。
◇
香草焼き。
白いソース。
焼き加減完璧。
◇
「……古代文明ありがとう」
◇
セシリアが吹き出した。
◇
教授も笑っている。
◇
アリアだけが静かに告げた。
◇
「栄養バランスも最適化済み」
◇
「そこは夢がない」
◇
だが。
レイはすぐに肉へかぶりついた。
◇
瞬間。
目を見開く。
◇
「……うまっ」
◇
本気だった。
◇
「なにこれ」
◇
「古代文明すご」
◇
エミリーも少し食べ、驚いた顔になる。
「本当に美味しいですね……」
◇
セシリアも感動している。
「なんでこんな状況で食レポ大会になるんですか……」
◇
だが。
その声は少しだけ楽しそうだった。
◇
世界はまだ完全に救われたわけではない。
未到達地帯の謎も残っている。
侵食も消えていない。
◇
それでも。
◇
今だけは。
◇
こうして皆で食卓を囲める。
◇
その時間が、妙に心地よかった。
古代文明飯は、本当に美味かった。
◇
レイは無言で三皿目の肉料理へ手を伸ばしていた。
◇
白い皿。
香草焼き。
外は香ばしく、中は柔らかい。
◇
しかも。
絶妙に腹へ優しい。
◇
「……なんだこれ」
レイは真顔だった。
◇
「理想の飯か?」
◇
教授が苦笑する。
「栄養最適化と味覚調整を両立しているんだろうね」
◇
「古代文明怖」
◇
セシリアもスープを飲みながら感心していた。
「こんな技術が1700年以上前にあったなんて……」
◇
エミリーは静かにパンをちぎりながら周囲を見回す。
◇
白銀の食堂。
静かな光。
古代術式。
◇
人がいないことだけが、不思議なほど寂しかった。
◇
「……ここにも、昔は人がいたんですよね」
◇
その言葉に。
空気が少し静かになる。
◇
レイも手を止めた。
◇
映像残滓で見た。
笑っていた人々。
食事を囲む家族。
走り回る子供たち。
◇
今の時代と変わらない。
◇
だからこそ。
滅んだことが重い。
◇
教授が小さく息を吐いた。
◇
「文明というのは、不思議だね」
◇
「どれだけ発展しても、人がやること自体はあまり変わらない」
◇
「食べて、笑って、暮らす」
◇
セシリアが頷く。
◇
「だから守りたくなるんでしょうね」
◇
レイは黙ったまま肉を噛む。
◇
仮面の男を思い出していた。
◇
あれも最初は、多分普通の人だった。
世界を守ろうとして。
抱え込みすぎて壊れた。
◇
「……真面目すぎるんだよなぁ」
◇
ぽつりと呟く。
◇
エミリーが小さく微笑んだ。
◇
「レイ様は逆方向ですけどね」
◇
「ぐうたらを極めた結果、周囲が勝手に働くのが理想」
◇
「最低ですね」
◇
セシリアが吹き出す。
教授も肩を揺らしていた。
◇
そんな空気を眺めながら。
アリアが静かに口を開く。
◇
「現在、白銀都市安全状態維持中」
◇
「侵食反応、低下継続」
◇
教授が頷いた。
◇
「完全停止ではないが、安定化は成功しているようだね」
◇
「仮面の男……いえ、新管理者が制御しているのでしょうか」
セシリアが呟く。
◇
レイは少し考え。
そして頷いた。
◇
「多分ちゃんと働いてる」
◇
「押し付けましたからね」
エミリーが苦笑する。
◇
「人聞き悪いな」
◇
「事実では?」
◇
否定できなかった。
◇
食事を終えたあと。
一行は白銀都市内部を移動していた。
◇
理由は単純。
◇
まだ帰れないからだ。
◇
長距離転移術式は不安定。
未到達地帯外縁まで戻るルート確認も必要。
◇
そのため今日は都市内部で休息することになった。
◇
「まさか古代文明都市で野営じゃなく宿泊することになるとは……」
セシリアが遠い目をした。
◇
「人生何が起きるか分からん」
レイは適当に返す。
◇
白銀都市は、今や完全に安定していた。
◇
通路照明。
移動術式。
都市機能。
◇
次々と再起動している。
◇
そのおかげで、かなり快適だった。
◇
「……なんか普通に住めそう」
レイがぼやく。
◇
教授が笑う。
◇
「君なら本当に住み始めそうだから困るね」
◇
「家賃安そう」
◇
「世界最高峰文明都市を賃貸感覚で見ないでください」
セシリアがツッコむ。
◇
その時だった。
◇
通路奥で白い光が灯る。
◇
管理機構端末。
新たな補助端末だった。
◇
アリアと同型。
銀髪。
白衣装。
◇
ただし。
雰囲気が少し違う。
◇
淡々としているが、どこか硬い。
◇
『管理補助端末個体No.07』
『都市機能修復完了報告』
◇
機械的な声。
◇
レイは思わずアリアを見る。
◇
アリアは静かに説明した。
◇
「同型個体」
◇
「妹?」
◇
「概念としては近い」
◇
No.07がレイを見る。
◇
『管理者権限保持者確認』
『最優先対象認定』
◇
「やめろその扱い」
レイは即座に言った。
◇
No.07は少し沈黙し。
そして。
◇
『……了解』
◇
僅かに間があった。
◇
セシリアが目を丸くする。
「今ちょっと困りませんでした?」
◇
教授も興味深そうに見ていた。
◇
「自我発達が進んでいるね」
◇
アリアが静かに言う。
◇
「レイの影響」
◇
「俺のせいみたいに言うな」
◇
だが。
実際その通りだった。
◇
アリアも最初よりかなり感情表現が増えている。
補助端末群全体へ影響が出ているのかもしれない。
◇
No.07はレイを見ながら続けた。
◇
『宿泊区画、使用可能』
◇
『案内する』
◇
「お、助かる」
◇
レイは素直に頷いた。
◇
疲れていた。
本当に。
◇
高次領域戦闘の反動がまだ残っている。
左腕の侵食痕も完全には消えていない。
◇
だが。
今は仲間たちがいる。
騒がしい空気がある。
飯も食った。
◇
だから。
少しだけ安心していた。
◇
白銀都市の夜は静かだった。
◇
1700年以上前の文明都市。
滅びた世界の残骸。
◇
それでも。
今この瞬間だけは、どこか穏やかだった。




