第百六話 ぐうたら三男、世界の終わりと戦う
黒い侵食が爆ぜた。
◇
音ではない。
世界法則そのものが裂ける感覚。
◇
高次領域が歪む。
空間が軋み、視界そのものが崩れた。
◇
レイは反射的に古代魔語術式を展開する。
◇
『空間固定』
『座標維持』
『侵食遮断』
◇
白い光が周囲へ広がる。
直後。
黒い奔流が激突した。
◇
轟音。
いや、音すら侵食されている。
感覚そのものが壊される。
◇
「っ……!」
◇
レイの術式障壁へ黒い亀裂が走った。
◇
侵食。
管理権限級術式すら食い破る異常。
◇
仮面の男――いや、もはや侵食中枢と一体化しかけた存在は静かに右手を上げた。
◇
その背後で黒い空間が割れる。
◇
無数の侵食術式。
古代文明時代の管理術式が、侵食によって変質したもの。
◇
「……やっぱり使えるのか」
レイは顔をしかめる。
◇
仮面の男も管理権限側の存在だった。
だから古代魔語を扱える。
ただし。
侵食側として。
◇
「継承者」
男は静かに言った。
◇
「君はまだ理解していない」
◇
黒い術式が展開される。
◇
『世界再構築』
『旧文明終了』
『管理領域更新』
◇
瞬間。
世界が反転した。
◇
「うおっ!?」
◇
レイの足元が消える。
上下感覚が反転する。
空間座標が書き換わった。
◇
レイは即座に術式を上書きする。
◇
『基準座標再設定』
『重力固定』
◇
白い術式が黒い空間を押し返した。
◇
だが。
完全には防げない。
◇
高次領域内部では、侵食側の支配力が強すぎる。
◇
「ちっ……!」
◇
レイは空間へ複数術式を同時展開した。
白銀の日本語術式が高速で重なっていく。
◇
『侵食定義分離』
『異常魔素隔離』
『空間浄化』
◇
白光。
◇
侵食空間が削られる。
黒い霧が分解されていく。
◇
だが。
仮面の男は静かに片手を振るだけだった。
◇
『侵食適応』
◇
次の瞬間。
白い浄化術式そのものが黒く染まった。
◇
「はぁ!?」
◇
レイは即座に術式を解除する。
◇
危ない。
侵食が術式経由で逆流してきた。
◇
「……ほんと厄介だな」
◇
男は静かに告げる。
◇
「侵食は淘汰ではない」
◇
「進化だ」
◇
黒い空間が脈動する。
侵食が周囲へ広がる。
◇
「古い世界は限界を迎えている」
◇
「だから更新する?」
レイは吐き捨てる。
◇
「勝手に決めんな」
◇
男は少しだけ目を伏せた。
◇
「……私も最初はそう思っていた」
◇
一瞬だけ。
その声に疲労が混じった。
◇
だが。
次の瞬間。
侵食が爆発的に膨張する。
◇
『高次侵食展開』
◇
黒い空間そのものが牙を剥いた。
◇
壁が崩れる。
床が侵食される。
世界そのものがレイを呑み込もうとする。
◇
「っ……!」
◇
レイは管理権限を強制展開した。
◇
『領域固定』
『侵食拒絶』
『座標保護』
◇
白い術式障壁が展開される。
だが。
侵食圧力が異常だった。
◇
ミシミシと障壁が軋む。
空間が悲鳴を上げる。
◇
「うおぉぉぉ重っ……!」
◇
レイの足元が砕ける。
負荷が大きすぎる。
◇
仮面の男が静かに告げる。
◇
「君は優しすぎる」
◇
「は?」
◇
「守ろうとするから負荷が増える」
◇
黒い侵食が周囲を満たす。
◇
「切り捨てれば楽になる」
◇
その瞬間。
レイの目が細くなった。
◇
「……それがお前の結論か」
◇
男は答えない。
◇
ただ。
その沈黙だけで十分だった。
◇
長い時間。
侵食と向き合い続けたのだろう。
管理者として。
世界維持のために。
◇
そして。
壊れた。
◇
レイは深く息を吐く。
◇
「そりゃしんどいわ」
◇
一瞬。
仮面の男の目が揺れた。
◇
だが。
次の瞬間には侵食が再び膨張する。
◇
『管理権限剥奪』
◇
黒い術式がレイへ襲いかかる。
◇
「っ!」
◇
レイは即座に回避。
だが遅い。
◇
左腕へ侵食が触れた。
◇
「ぐっ……!」
◇
激痛。
◇
黒い侵食が腕を這う。
魔素回路へ食い込んでくる。
◇
「ちぃっ……!」
◇
レイは即座に自分自身へ古代魔語を叩き込んだ。
◇
『侵食分解』
『異常排除』
◇
白い光。
◇
侵食が剥がれる。
だが完全ではない。
◇
左腕へ黒い痕が残った。
◇
レイは顔をしかめる。
◇
「うわ最悪……」
◇
仮面の男が静かに言う。
◇
「侵食は消えない」
◇
「世界そのものに根付いている」
◇
「だから管理者は必要だ」
◇
レイは荒い息を吐きながら笑った。
◇
「……だったら」
◇
白い術式が周囲へ展開される。
◇
「管理者としてすべてを否定してやる!」
◇
次の瞬間。
レイの管理権限が一気に解放された。
白い光が高次領域を貫いた。
◇
管理権限。
中央管理座を通して接続された超広域制御術式。
◇
今までレイは無意識に制限していた。
世界を壊さないように。
周囲を巻き込まないように。
◇
だが。
ここには誰もいない。
◇
なら。
多少、本気を出しても問題ない。
◇
『領域権限拡張』
『管理階層上昇』
『空間支配率更新』
◇
白銀の術式が爆発的に増殖する。
◇
侵食に染まった高次領域へ、日本語術式が直接刻み込まれていく。
◇
仮面の男の目が細められた。
◇
「……やはり」
◇
「君は異常だ」
◇
「褒め言葉?」
レイは荒い息を吐きながら返す。
◇
左腕が痛む。
侵食痕。
完全には消えていない。
◇
侵食は深い。
少しずつ魔素回路へ食い込んでいる。
◇
長引けば危険だった。
◇
だが。
今はそんなことを言っていられない。
◇
レイは右手を振り下ろす。
◇
『空間分離』
◇
世界が裂けた。
◇
白い断層が黒い高次領域を切り裂く。
侵食空間そのものが分断される。
◇
だが。
仮面の男は静かに片手を掲げた。
◇
『侵食接続』
◇
黒い霧が空間断層を埋め尽くす。
分離された領域が強引に再接続された。
◇
「マジでしつこいな……!」
◇
侵食は止まらない。
分解しても、切り離しても、別方向から侵入してくる。
◇
まるで生き物だ。
◇
いや。
世界そのものへ根付いた癌。
◇
仮面の男が静かに告げる。
◇
「継承者」
◇
「君はまだ理解していない」
◇
「侵食は災厄ではない」
◇
「世界維持機構だ」
◇
レイは顔をしかめる。
◇
「は?」
◇
黒い空間が脈動する。
◇
その背後で。
無数の映像残滓が浮かび上がった。
◇
古代文明。
巨大都市。
空を埋め尽くす管理機構。
◇
そして。
増え続ける魔素。
◇
「……これ」
◇
レイは目を細めた。
◇
魔素濃度が異常だ。
今の時代とは比較にならない。
◇
古代文明は魔素技術を発展させすぎた。
管理しきれないほどに。
◇
仮面の男が続ける。
◇
「世界は限界を迎えた」
◇
「魔素は増殖し続ける」
◇
「放置すれば世界法則そのものが崩壊する」
◇
「だから侵食が必要だった」
◇
侵食。
世界浄化。
文明初期化。
◇
レイは嫌そうな顔になる。
◇
「つまり定期リセット機能?」
◇
「そうだ」
◇
仮面の男の声は静かだった。
◇
「私は全てを見てきた」
◇
「世界をずっと観測してきた」
◇
「だが、選ばなければならなかった」
◇
黒い侵食が揺らぐ。
◇
「文明を残すか」
◇
「世界を残すか」
◇
静寂。
◇
レイは黙ったまま男を見る。
◇
その顔は半分侵食されている。
人ではない。
だが。
苦しみだけは分かった。
◇
長い時間。
たったひとりで背負い続けた。
◇
世界維持。
文明崩壊。
侵食。
◇
そして。
壊れた。
◇
「……そりゃ病むわ」
レイは正直に言った。
◇
一瞬。
仮面の男の表情が止まる。
◇
「は?」
◇
「いやだって」
レイは本当に嫌そうな顔で続けた。
◇
「そんなの一人でやってたら壊れるだろ」
◇
黒い空間が揺らぐ。
◇
仮面の男が初めて言葉を失った。
◇
レイは頭を掻く。
◇
「お前、真面目すぎんだよ」
◇
「世界維持とか一人で抱えるな」
◇
「無茶だろそんなの」
◇
静寂。
◇
侵食空間が、不安定に揺れ始めた。
◇
仮面の男の感情が揺らいでいる。
◇
だが。
次の瞬間。
黒い侵食が暴走した。
◇
『侵食暴走』
『管理権限侵害排除』
◇
空間そのものが崩壊する。
◇
「っ……!」
◇
レイは即座に術式を展開。
◇
『領域固定』
『崩壊停止』
◇
白い光が空間を押し留める。
◇
だが。
侵食暴走の規模が大きすぎた。
◇
黒い津波のような侵食が襲い来る。
◇
「ぐっ……!」
◇
レイは歯を食いしばる。
押し返せない。
◇
管理権限同士の衝突。
高次領域そのものが戦場になっている。
◇
そして。
侵食側の方が、この空間では有利だ。
◇
レイの足元が侵食される。
白い術式が黒く染まっていく。
◇
「ちぃっ……!」
◇
左腕の侵食痕が疼いた。
黒い線が肩まで伸びる。
◇
まずい。
◇
レイは理解する。
このまま長引けば、自分も侵食される。
◇
だが。
仮面の男は静かに言った。
◇
「それでも君は、世界を維持するのか」
◇
レイは荒い息を吐きながら笑う。
◇
「維持とか管理とか……」
◇
「ほんとはやりたくないんだけどな」
◇
そして。
ゆっくり右手を上げた。
◇
白銀の古代魔語術式が、高次領域全体へ展開される。
◇
今までとは違う。
◇
もっと根本。
もっと深い場所へ干渉する術式。
◇
仮面の男の目が、初めて大きく見開かれた。
◇
「……それは」
白銀の術式が、高次領域全域へ広がっていく。
◇
今までのような空間固定でも。
侵食分解でもない。
◇
もっと深い。
もっと根本的な術式。
◇
仮面の男が初めて明確に動揺した。
◇
「……何をするつもりだ」
◇
レイは面倒臭そうに頭を掻く。
◇
「いや」
◇
「お前、働き方が下手すぎるからさ」
◇
一瞬。
仮面の男が固まった。
◇
「……は?」
◇
「だから一人で全部抱え込むなって話」
◇
レイは白銀術式をさらに展開する。
高次領域そのものへ、日本語術式が深く刻まれていく。
◇
『管理権限再構築』
『補助端末再接続』
『機能修復開始』
◇
瞬間。
高次領域の奥で光が灯った。
◇
白い光。
管理機構。
◇
今まで停止していた無数の補助端末群が、一斉に起動を始める。
◇
仮面の男の表情が変わった。
◇
「なぜ……」
◇
「全部壊れてたから直した」
レイはあっさり言った。
◇
「いやまぁ半分くらい暴走してたけど」
◇
白い管理機構たちが次々と高次領域へ現れる。
侵食されていた個体も、白く浄化されていく。
◇
『補助端末再起動確認』
『管理補佐機能復旧』
『高次領域同期開始』
◇
侵食空間が揺れる。
◇
仮面の男が後退した。
◇
「あり得ない……」
◇
「侵食された管理機構は戻らないはずだ……!」
◇
「いや戻ったじゃん」
レイは即答した。
◇
「古代魔語便利だなほんと」
◇
仮面の男が絶句する。
◇
レイは続ける。
◇
「お前さ」
◇
「最初から一人でやる必要なかったんだよ」
◇
静寂。
◇
高次領域へ白い光が広がっていく。
侵食が押し返される。
◇
管理機構たちが次々修復されていく。
◇
レイは深くため息を吐いた。
◇
「世界維持とかさぁ」
◇
「そんなブラック業務、一人で回すから壊れるんだろ」
◇
仮面の男の目が揺れる。
◇
侵食。
世界維持。
文明崩壊。
◇
ずっと。
たった一人だった。
◇
補助端末は暴走し。
他の管理者は消え。
侵食だけが残った。
◇
だから。
世界を壊して作り直すしかないと思った。
◇
だが。
レイは違った。
◇
修復した。
繋ぎ直した。
押し付ける前提で。
◇
「……君は」
仮面の男が呟く。
◇
「何なんだ」
◇
「ぐうたら三男」
レイは真顔で答えた。
◇
その瞬間。
仮面の男が、初めてまともに笑った。
◇
本当に少しだけ。
◇
だが。
次の瞬間。
侵食が暴走する。
◇
『管理機構再接続確認』
『侵食中枢崩壊開始』
◇
高次領域全体が震え始めた。
◇
「うわやば」
レイは顔をしかめる。
◇
侵食中枢そのものが不安定化している。
このままでは暴走崩壊する。
◇
世界ごと巻き込む。
◇
仮面の男も理解したのだろう。
静かに目を閉じた。
◇
「……終わりか」
◇
「いやまだ働け」
レイは即答した。
◇
「は?」
◇
レイは管理権限をさらに展開する。
◇
『中央管理権限移譲』
『侵食監視機構再編』
『世界維持管理者設定』
◇
白い光が仮面の男へ集束した。
◇
男が目を見開く。
◇
「待て……何を」
◇
「管理者業務押し付ける」
◇
「君は馬鹿なのか!?」
◇
「嫌だからお前にやらせる」
レイは真顔だった。
◇
「補助端末も直したし、今度は一人じゃないだろ」
◇
高次領域へ、無数の白い管理機構が整列する。
◇
アリアと同型の補助端末たち。
修復された管理補佐群。
◇
『管理補佐機能正常』
『新規世界維持体制構築』
◇
仮面の男は呆然としていた。
◇
世界維持。
侵食監視。
文明制御。
◇
それら全てが、再構築されていく。
◇
ひとりではない形で。
◇
レイは深くため息を吐いた。
◇
「……じゃ、あとはよろしく」
◇
「待て!」
仮面の男が初めて大声を出した。
◇
「君はどうする!」
◇
「帰る」
レイは即答した。
◇
「飯食う約束してるし」
◇
高次領域が静まり返る。
◇
仮面の男はしばらく呆然としていた。
そして。
ゆっくり笑った。
◇
侵食に侵された顔で。
それでも。
どこか救われたように。
◇
「……本当に、変な継承者だ」
◇
「褒め言葉として受け取っとく」
◇
レイは右手を上げる。
◇
白い転移術式が展開された。
◇
『座標帰還』
◇
光が溢れる。
◇
崩壊しかけていた高次領域が安定していく。
侵食が静まる。
黒い月が閉じていく。
◇
世界滅亡へのカウントダウンは、止まった。
◇
そして。
最後に。
◇
仮面の男が、小さく呟いた。
◇
「……お疲れ様」
◇
その言葉を聞きながら。
レイは白い光の中へ消えていった。
やっとこさぐうたら三男フラグ、回収しました!
長かった!!
そんでシリアス多すぎ問題、ドルーゴ影薄い問題、多々ありますが、まぁとりあえずは大団円といったところでしょうか。
これから後処理の話だったり脱出フェイズですが、ここまで書けたことよく頑張ったといったところでしょうか。
お付き合いいただきありがとうございました!!




