第百五話 ぐうたら三男、最終決戦へおもむく
黒い道は、空へ続いていた。
◇
いや。
空ではない。
◇
空間そのものが捻じ曲がっている。
白銀都市の上空へ開いた裂け目。
黒い月の中心へ伸びる異形の通路。
◇
見ているだけで頭が痛くなる景色だった。
だが。
レイは、それを見たあと。
ふと後ろを振り返った。
◇
エミリー。
セシリア。
教授。
騎士たち。
アリア。
◇
皆、戦うつもりでいる。
◇
その姿を見て。
レイは小さく息を吐いた。
◇
「……なぁ」
◇
全員がレイを見る。
◇
「ここから先、俺ひとりで行く」
◇
一瞬。
空気が止まった。
◇
「は?」
セシリアが目を見開く。
◇
エミリーもすぐに表情を強張らせた。
「レイ様、それは――」
◇
「無理だろ、これ」
レイは黒い通路の奥を見る。
◇
高次領域。
侵食中枢本体。
世界法則干渉領域。
◇
普通の魔法使いでは耐えられない。
管理権限適合者だから、辛うじて踏み込めている。
◇
「この先、多分もっとヤバい」
◇
教授が静かに目を細めた。
「……戻れない可能性もある、か」
◇
レイは答えない。
だが。
その沈黙だけで十分だった。
◇
セシリアが強く言う。
「だからって一人で行かせるわけ――」
「セシリア」
◇
レイは珍しく真面目な声だった。
◇
「これ以上巻き込みたくない」
◇
静寂。
◇
その声は、軽口ではなかった。
◇
レイは面倒臭がりだ。
ぐうたらだ。
昼寝したいだの飯食いたいだの言う。
◇
だが。
自分のせいで誰かが危険に巻き込まれることは嫌う。
◇
エミリーは小さく目を伏せた。
◇
「……帰ってきますか?」
◇
レイは少し困ったように笑う。
◇
「帰りたいとは思ってる」
◇
曖昧な返答。
だが。
それがレイらしかった。
◇
エミリーは少しだけ震える息を吐き。
そして、いつものように微笑んだ。
◇
「では、夕食を用意して待っています」
◇
レイが少し笑う。
◇
「肉な」
「はい」
◇
セシリアはまだ何か言いたそうだった。
だが。
教授が静かに肩へ手を置く。
◇
「止めても行くよ、彼は」
◇
セシリアは悔しそうに唇を噛み。
そして。
小さく頷いた。
◇
アリアだけが静かにレイを見ていた。
◇
「レイ」
「ん?」
◇
「……帰還推奨」
◇
珍しく曖昧な言葉だった。
◇
レイは苦笑する。
◇
「努力はする」 教授も黒い通路を見上げながら眉を寄せていた。
「高次領域への強制接続通路か……」
◇
セシリアが顔をしかめる。
「入って大丈夫なんですか、これ」
◇
アリアが淡々と答えた。
「大丈夫ではない」
◇
全員が黙った。
◇
「正直でよろしい」
レイは遠い目をした。
◇
だが。
行かなければ終わらない。
◇
侵食中枢を止めなければ、未到達地帯だけでは済まない。
いずれ世界そのものへ侵食が広がる。
◇
白銀都市が今なお持ち堪えているのは、管理権限で強引に押さえ込んでいるからだ。
永続的には保てない。
◇
「……まぁやるか」
レイは諦めたように呟いた。
◇
◇
そして。
ひとり、黒い通路の奥へ歩き出した。
◇
◇
◇
高次領域内部は、静かだった。
◇
あまりにも静かだった。
◇
侵食中枢。
世界を滅ぼしかけている存在。
その本体へ向かう道。
◇
もっと大量の侵食個体がいると思っていた。
終わりのない戦闘があると思っていた。
◇
だが。
何もいない。
◇
ただ。
黒い空間が続いている。
◇
音もない。
風もない。
重力感覚すら曖昧。
◇
「……逆に怖いんだけど」
レイは本音を漏らした。
◇
やがて。
通路の先に、人影が見えた。
◇
黒衣。
仮面。
◇
仮面の男。
◇
男は静かにそこへ立っていた。
◇
「待っていたよ、継承者」
◇
その声だけは、妙に穏やかだった。
◇
レイはゆっくり近づく。
◇
「……お前か」
◇
仮面の男は小さく笑った。
◇
「君ならここへ来ると思っていた」
◇
静かな空間。
ふたりだけ。
◇
やがて。
仮面の男が自ら仮面へ手をかける。
◇
ゆっくり。
外した。
◇
その下にあった顔を見て。
レイは僅かに目を細めた。
◇
侵食されていた。
◇
顔半分が黒く崩れている。
皮膚ではない。
虚無。
空洞。
◇
人間の顔なのに、人間ではない。
◇
それでも。
男の目だけは、不思議なほど穏やかだった。
◇
「……もう長くないな」
レイが言う。
◇
男は笑う。
◇
「ああ」
◇
「だからこそ、終わらせなければならない」
◇
空間が軋む。
◇
侵食が広がる。
黒い霧が世界を覆う。
◇
「継承者」
男は静かに告げた。
◇
「君は、世界を維持するか」
◇
「……」
◇
「あるいは、新たな世界を作るか」
◇
レイは深くため息を吐いた。
◇
「どっちも面倒臭い」
◇
一瞬。
仮面の男が吹き出した。
◇
本当に、少しだけ。
人間らしく笑った。
◇
そして。
次の瞬間。
黒い侵食が爆発した。
◇
最終決戦が始まる。




