第百二話 ぐうたら三男、拒否をする
低い駆動音が都市全体へ響いた。
◇
塔が開く。
白銀の外壁が何層にも分離し、内部構造が露出していく。
光。
術式。
空間制御。
古代文明特有の、理解不能な規模の機構。
◇
そして――。
塔の中心部に、“穴”があった。
◇
黒かった。
いや、黒というより。
空間そのものが欠け落ちている。
視線を向けるだけで頭が痛くなるような異常。
◇
「……なんだあれ」
レイが嫌そうに呟く。
◇
アリアが静かに答えた。
「侵食中枢接続孔」
◇
嫌な単語だった。
◇
教授も顔をしかめる。
「侵食と中央管理領域が直接接続されているのか……?」
「可能性高」
◇
塔内部から、黒い霧が流れ出す。
都市の白い光が侵食されていく。
◇
防衛機構の装甲にも、侵食紋様がさらに広がった。
停止していたはずの巨体が微かに震える。
◇
「うわ復活しそう」
レイは露骨に嫌そうな顔をした。
◇
その時だった。
都市全域へ、古代音声が響く。
◇
『中央管理領域・緊急事態』
『侵食率上昇』
『管理権限継承処理を推奨』
◇
「はい却下」
レイは即答した。
◇
教授が額を押さえる。
「君ねぇ……」
「だって絶対重いじゃんその役職」
「役職扱いなんですか……」
セシリアが疲れた声を出した。
◇
だが。
冗談を言っている場合ではなかった。
◇
黒い月の脈動が強くなっている。
空間断裂が広がっていた。
都市の一部が、まるで崩壊するようにノイズ化している。
◇
「侵食が進行してるのか」
「はい」
アリアは淡々と頷く。
「中央管理領域の封印機能が低下」
「原因は?」
「管理者不在」
◇
レイは嫌そうに空を見上げた。
「つまり?」
「誰かが制御しないと崩壊する」
「はい面倒」
◇
その時。
塔内部から、“何か”が降りてきた。
◇
人影。
白衣。
銀色の髪。
◇
一瞬、アリアかと思った。
だが違う。
◇
雰囲気が違う。
瞳が違う。
そして――。
その存在から漂う圧力が、異常だった。
◇
白い人影はゆっくりと空中へ降り立つ。
感情の見えない瞳。
整いすぎた顔立ち。
機械のように静かな動き。
◇
『管理者候補確認』
◇
レイを見た。
◇
『適合率・極大』
『継承処理を開始しますか?』
◇
「しません」
即答だった。
◇
白い人影が僅かに沈黙する。
『……拒否理由を確認』
「責任重そう」
『…………』
◇
また微妙な空気になった。
◇
セシリアが小声で言う。
「レイ様、もう少しこう……」
「なんだよ」
「世界の危機感をですね……」
「いや危機なのは分かってる」
◇
レイは本当に面倒そうに頭を掻いた。
「分かってるけど嫌なもんは嫌だろ」
◇
エミリーが苦笑する。
「レイ様らしいですけどね」
◇
その時。
白い人影の視線がアリアへ向く。
◇
『補助端末個体確認』
『状態異常』
『独自行動継続中』
◇
アリアは淡々と答える。
「問題なし」
『管理権限譲渡未完了』
「継続要求中」
◇
白い人影が再びレイを見る。
『管理者候補へ推奨』
『補助端末との正式接続を――』
「嫌です」
『…………』
◇
教授が思わず吹き出しかけていた。
「いや、ここまで拒否する候補者も珍しいね」
「なりたくないですし」
「だろうねぇ……」
◇
だが次の瞬間。
空が揺れた。
◇
黒い月が、大きく亀裂を走らせる。
◇
空間そのものが悲鳴を上げた。
都市の白い光が一斉に明滅する。
◇
アリアの声が僅かに強くなる。
「侵食核・活性化」
◇
塔内部の黒い穴から、“手”が現れた。
◇
巨大。
黒色。
人型。
だが人ではない。
◇
見ているだけで本能が拒絶する。
存在そのものが異常だった。
◇
騎士たちの顔色が一気に変わる。
「なんだ……あれ……」
◇
教授ですら息を呑んでいた。
「……侵食存在」
◇
黒い腕が塔の外壁を掴む。
白銀構造が侵食され、崩壊していく。
◇
そして。
ゆっくりと、“本体”が姿を現し始めた。
◇
都市全体が震える。
黒い月が脈動する。
侵食魔素が暴風のように吹き荒れる。
◇
レイは顔をしかめた。
「……あーもう」
◇
本当に嫌そうだった。
◇
「絶対ラスボスっぽいやつじゃん」
黒い巨体が、塔の内部から這い出てくる。
◇
人型。
だが輪郭が不安定だった。
崩れた影を無理矢理人型へ押し固めたような異形。
腕が長い。
脚が歪んでいる。
顔の位置には、暗闇しかない。
◇
その周囲だけ空間が軋んでいた。
都市の白い光が侵食され、黒く染まっていく。
◇
「うわぁ……」
レイは本気で嫌そうな顔をした。
「視覚的にも気持ち悪いなこれ」
◇
セシリアも額へ汗を浮かべている。
「魔力量が異常です……」
◇
騎士たちも完全に硬直していた。
無理もない。
格が違う。
今まで遭遇した侵食個体とは、存在規模そのものが別次元だった。
◇
教授が低く呟く。
「……古代文明が滅びるわけだ」
◇
冗談では済まない。
本当に世界を滅ぼしかねない存在だと、誰もが理解できた。
◇
黒い巨体がゆっくりと頭を上げる。
そして。
“視線”がレイへ向いた。
◇
その瞬間。
空間断裂全体が震えた。
◇
頭の奥へ直接響くような声。
◇
『――継承者』
◇
レイは露骨に顔をしかめた。
「うわ喋った」
◇
『継承者』
『何故拒絶する』
◇
「責任重いから」
即答だった。
◇
一瞬。
場の空気がおかしくなる。
こんな存在相手に、その返答なのか。
◇
セシリアが頭を抱えた。
「レイ様ぁ……」
◇
だが黒い巨体は怒るでもなく、ただ静かに言葉を続ける。
◇
『管理者不在』
『世界崩壊進行』
『継承必要』
◇
「いやまぁ理屈は分かるけどさぁ……」
レイは疲れた顔でぼやいた。
「なんで俺なんだよ」
◇
黒い存在が答える。
◇
『適合』
『理解』
『接続』
『全て成立』
◇
教授が静かに息を吐く。
「……古代魔語か」
◇
そう。
結局そこなのだ。
古代文明。
管理権限。
中央管理領域。
その全てが、“古代魔語”を前提に作られている。
◇
そして。
古代魔語とは、日本語だ。
◇
この世界で、それを自然理解できるのはレイだけ。
◇
「ほんと迷惑仕様だなぁ……」
レイはぼやいた。
◇
その時。
空の黒い月が、大きく脈動する。
◇
都市全体へ侵食が広がった。
白い建造物が黒く染まる。
空間が軋む。
世界が悲鳴を上げているようだった。
◇
アリアが静かに言う。
「侵食核、限界接近」
「止める方法は?」
「中央制御再起動」
「つまり管理権限使えって?」
「はい」
◇
レイは本気で嫌そうな顔になった。
◇
「うわぁ……」
◇
エミリーが小さく笑う。
「レイ様、顔に全部出ています」
「だって絶対あとで面倒だろこれ」
「もう既に十分面倒です」
「否定できない」
◇
その時だった。
黒い巨体の腕が動く。
◇
瞬間。
都市の一角が消えた。
◇
「……は?」
レイが目を見開く。
◇
消えた。
爆発ではない。
破壊でもない。
空間ごと“欠落”した。
◇
白銀都市の一部が、存在そのものを削り取られている。
◇
教授の顔色が変わる。
「空間侵食……!」
◇
セシリアが青ざめる。
「あんなの直撃したら……」
「死ぬだろうなぁ」
レイは普通に答えた。
◇
黒い巨体が再び腕を持ち上げる。
今度はこちらへ向けて。
◇
空間が歪む。
世界が軋む。
◇
アリアが即座に警告する。
「超高密度侵食反応」
◇
「はいはい分かった分かった」
レイは面倒臭そうに前へ出た。
◇
「結局やればいいんだろ」
◇
その声に。
エミリーが少しだけ安心したように笑う。
セシリアも小さく息を吐いた。
教授は静かに目を細める。
◇
皆知っている。
この青年は、最後には必ず動く。
◇
レイは空を見上げた。
黒い月。
侵食。
崩壊する都市。
世界の中枢。
◇
「……ほんと、昼寝したいだけなんだけどなぁ」
◇
そして。
静かに右手を上げた。
◇
空中へ、日本語術式が展開される。
今までとは桁が違う。
都市全域へ広がる超巨大術式。
◇
白い管理機構たちが一斉に反応する。
『管理権限接続確認』
『中央制御補助開始』
『管理者候補支援モード移行』
◇
「勝手に話進めるなよ……」
レイは嫌そうに呟いた。
◇
だが。
術式は止まらない。
◇
空間が共鳴する。
都市そのものがレイへ反応していた。
◇
教授が息を呑む。
「……都市が従っている」
◇
レイはゆっくりと古代魔語を紡いだ。
◇
『領域固定』
◇
世界が、止まった。
瞬間。
暴走していた侵食魔素が静止した。
◇
空間断裂が止まる。
崩壊しかけていた都市構造が固定される。
黒く侵食されていた街路も、それ以上の浸食を停止した。
◇
「……え?」
セシリアが呆然と声を漏らす。
◇
誰も理解できなかった。
規模が違う。
今までレイが使ってきた古代魔語術式とは、根本から次元が違っていた。
◇
都市全体。
いや。
空間そのものへ干渉している。
◇
教授ですら言葉を失っていた。
「これが……管理権限」
◇
白い都市が光る。
無数の古代術式がレイへ接続されていく。
◇
管理機構たちの声が重なる。
『領域安定化開始』
『侵食進行抑制』
『管理者候補との接続率上昇』
◇
「だから候補じゃないって……」
レイは疲れた声を出した。
◇
だが。
黒い巨体は止まらない。
◇
空間固定された領域の中で、ゆっくりと腕を持ち上げる。
侵食魔素が渦を巻く。
世界そのものを侵すような圧力。
◇
アリアが静かに告げた。
「侵食核側、抵抗開始」
◇
黒い巨体の全身が膨張する。
黒霧が噴き出した。
◇
次の瞬間。
領域固定術式へ亀裂が走る。
◇
「うわマジか」
レイは顔をしかめた。
◇
術式を壊している。
しかも力任せではない。
侵食そのものが、術式構造を汚染し分解している。
◇
教授が険しい顔になる。
「侵食が管理術式へ適応している……!」
◇
白い管理機構たちの光が赤く点滅した。
『警告』
『侵食侵入』
『領域維持率低下』
◇
都市全体が震え始める。
再び空間が軋む。
◇
「レイ様!」
エミリーが叫ぶ。
◇
「分かってる!」
レイは前へ出た。
◇
侵食は魔素そのものを書き換える。
普通の魔法では相性が悪い。
だからこそ。
古代魔語が必要だった。
◇
レイは深く息を吐く。
そして空中へ、さらに複雑な日本語術式を展開した。
◇
幾重にも重なる文字列。
白銀都市の光すら塗り潰す巨大術式。
◇
教授が小さく呟く。
「……術式を再構築しているのか」
◇
レイは黒い巨体を睨みながら古代魔語を紡ぐ。
◇
『侵食定義分離』
『異常魔素構造隔離』
『領域浄化』
◇
世界が発光した。
◇
黒い侵食魔素が分解される。
いや。
“定義そのもの”を剥がされていた。
◇
侵食が侵食でなくなる。
汚染された魔素構造が、強制的に通常状態へ戻されていく。
◇
「……なっ」
セシリアが息を呑む。
◇
侵食が消えていく。
黒霧が白光へ変換されていく。
◇
教授が額を押さえた。
「魔素構造を書き換えている……」
◇
普通ならあり得ない。
侵食は世界法則へ食い込む異常現象だ。
それを真正面から分解している。
◇
黒い巨体が初めて大きく揺らいだ。
◇
『……継承者』
◇
声に変化があった。
困惑。
あるいは警戒。
◇
「だから継承者じゃないって」
レイは嫌そうに返した。
◇
だが。
その時だった。
◇
空の黒い月が、完全に割れた。
◇
都市全域へ衝撃が走る。
空間が悲鳴を上げる。
◇
そして。
割れた月の内部から、“目”が現れた。
◇
巨大。
黒色。
空そのものを覆う瞳。
◇
見た瞬間、本能が理解する。
あれを見てはいけない。
◇
騎士たちが膝をついた。
何人かは悲鳴を上げる。
◇
セシリアの顔色も青白い。
「なんですか……あれ……」
◇
教授ですら声を失っていた。
◇
アリアだけが静かに呟く。
「……侵食中枢本体」
◇
目が、ゆっくりとレイを見る。
◇
直後。
頭の中へ直接声が響いた。
◇
『発見』
『管理者候補確認』
『回収開始』
◇
「うわ最悪」
レイは本気で嫌そうな顔をした。




