最後のタクシードライバー 1
早朝のタクシーの営業所。
白髪をきれいに七三分けにしたベテランタクシードライバーの茂森は、いつものように朝のルーティンを終えた。営業車両の整備、洗車、車内清掃。長いこと走ってくれたこの車両とも、今日でお別れだ。コンコンと、握った拳で軽く労うように叩いた。
休憩室でベンチに腰掛け、少し目を細めて窓の外を見る。次から次へと黒い営業車両が出発していく。すべての車両が自動運転なので、運転席に人の姿はない。茂森は、この営業所で唯一、そして最後のタクシードライバーなのだ。
いつもの缶コーヒーを啜るように飲んでいると、所長の田所が来た。白髪混じりの短髪で、眼鏡をかけている以外これといった特徴のない顔をした五十代。遺伝子判定優良、通称マル優の男だ。
「しげさん、おはようさんです」
年嵩の茂森に、田所は会釈を交えて挨拶した。
「あぁ所長、おはようさんす……」
所長は、よっこらせと言いながら横に座った。
「いよいよ最終日ですか。お疲れさんでした」
「ええ、所長のご厚意で定年過ぎてから五年も長く運転手をやらせてもらいました。ありがとうございます……」
「いやいや、しげさんじゃなきゃあ、というお客様があってのことです。今日も朝からご指名で予約が入ってますから、よろしくお願いします」
茂森は来月、七十歳の古希を迎える。今は七十歳ですべての運転免許を返納する決まりとなっている。必然的にタクシードライバーの職から離れることになった。
仕事を持たない人が大半の世の中で、この歳まで仕事が出来たことはかなりの幸運だと思っている。この仕事がなければ、たいした趣味のない自分は、暇を持て余して体を壊していたかもしれない。
だが、その仕事も今日までだ。マル通、しかも老人の自分には求められる仕事は皆無だろう。かつての老後の仕事として思い浮かぶもの、そのほとんどが自律型AIヒューマノイドが担っている。例え、人間に求められる求人があっても、働き盛りとの競争に勝てるわけがない。
明日からの日々をどう過ごすのか、まだ何も決まっていない。まぁ、別に決めるまでもないだろう。生活費は国から支給される『ウェルビーイング給付』があるし、蓄えも多少ある。好きな時間に起きて、腹が減ったら食事をし、眠くなったら寝ればいい。それをただ繰り返せばよいのだ。生きる上では何も問題は、ない。
「……そろそろ時間なんで行きますわ」
一言二言、会話を交わした後、茂森は膝に手をついて立ち上がる。
「安全第一でいってらっしゃい! あ、しげさん今日、帰庫したら軽く送別会、行きましょうや」
田所は、くいっと飲む仕草をしながら笑顔で送り出した。茂森は軽く二度頷き、手を挙げて答えた。煙草も吸わず、酒も下戸に近い茂森は、普段あまり付き合いが良くないが、勤務最終日の今日くらいは行こうと思っている。なにせ、明日からはすることがないのだ。多少酔い潰れてもいいだろう。
茂森は、身だしなみを配車担当の女性ヒューマノイドにチェックしてもらい、脈拍とアルコール検査を行う。彼女が人間相手に行うこの検査も、今日が最後だろう。
ヒューマノイドが女性タイプである必要があるだろうか、と長年思ってきた。だが、同じ能力なら美人のヒューマノイドの方が華があって良いのだろう。こんな話は人間の女性には絶対にできないが。
出入り口横の洗面台で、缶コーヒー臭い口を洗口液でゆすいだ後、鏡を見ながら制帽をかぶる。鼻の下から顎にかけて手を当てて、髭の剃り残しがないかもう一度確認した。
そして、営業車両に乗り込み、迎車表示を出す。行き先は、何度も行った常連のお客様のマンションだ。都内の道はすべて頭に入っている。茂森は静かに、最後の仕事に向かった。
【2へ続く】




