6 斜陽の幻影
どこをどう通って自分の部屋まで帰ってきたのか覚えていない。気がついたらすっかりもう夕刻で、私は長椅子に突っ伏したまま、どうやら泣き疲れて眠っていたらしい。珍しい私の様子にいつもは遠巻きに私の玉砕をネタにしている侍女たちも、心配そうな眼差しを向けてくる。そして私の目がさめたことに気付くと、侍女の一人が冷やした手布と私の好きな果実を搾った飲物を持って来てくれた。何気ない彼女の気遣いが、弱った心に温かく感じられて自然と笑顔になれた。
「ありがとう」
声にすると、侍女は微笑んで小さく会釈する。
「だいたいの予想はつきますけど、王女が沈んでいらしたら王宮の灯りが消えたようになりますから。今は元気だして下さいって申し上げても難しいとは思いますけど、早くいつもの元気な王女に戻って下さいませ」
いつもなら、アレスに断られても次はどんな趣向を凝らせば私のことを受け入れてもらえるだろうかとか、わりと前向きに考えていたからここまで落ち込まなかった。でも今回はアレスの心がどこにあるのか分かってしまった。彼の心は今も麗しの王女にあって、永遠に捧げられている。どう足掻いたって私のところに来てくれることは、ないんだ。思えば、アレスが私を見るときに他とは違う特別なものがあると感じていたけれど、それは私ではなく、私の上に叔母様を重ねて見ていたんだ。
分かってしまったんだ。私の今までの行動がいかに滑稽だったか。
夢見るまでに浮かれて、騒いで、馬鹿みたいだ。
その時、先触れの者が来たかと思ったら、程なくお父様がやって来た。
先刻の庭園で見せた冷酷な表情はどこにも見られない。優しい笑みを浮かべて私を愛しいんでくれる、いつものお父様がそこにはいた。
私は堪えられなくなって、お父様の胸に勢いよく飛び込み、お父様は大きな両手で私を受け止めてくれた。
「悪いが皆下がってくれるか。ここは父娘だけの内緒話をするからな」
悪戯っぽい口調に、侍女たちは笑顔で一礼すると直ぐに私の部屋を辞して行った。
室内には私とお父様だけが残された。
お父様は優しく私の髪や背中を撫でてくれていて、私はその心地よい感触にうっとりと身を委ねていた。そう言えば、お父様は私が辛い時いつもこうして抱き締めてくれていた。余り口数の多い人ではないので、こんな風に態度で示してくれる。お父様はいつも私には甘いとお母様は言うけれど、私は娘の特権だと思っていた。諸国にも勇名轟く美貌の騎士王が甘やかすのは私だけ。
「ティーナ、俺に何か聞きたいことがあるんだろう?」
さすが私のお父様。よく分かっていらっしゃる。
「あのね、お父様。私の叔母様のことを教えて欲しいの……」
ふとお父様の手が止まり、何気に動いたと思った時には私の体がふわりと浮き上がって、びっくりして目をぱちぱち瞬きさせると、触れあうほど近くに端正なお父様の顔がある。目が合うと、お父様はニッ、と笑った。急に気恥ずかしくなって目を反らすと、私はお父様に横抱きにされていることに気がついた。
「お父様!!」
私が抗議の声を上げて暴れると、お父様は私を抱え直して歩き出した。
「ちょっと、お父様!!」
「お前、大きくなったな……いいところに連れて行ってやるからしばらく黙っていろ」
私の意志などお構い無しで、お父様は私を抱き上げたまま部屋を出てずんずんと大股で回廊を進んで行く。何事かと騒ぐ騎士や侍女たちの好奇の視線にも気にする素振りすら見せない。この王宮の主は彼なのだから、王である彼が娘を抱えて闊歩しようが全く彼の勝手なのだろう。
そしてその行き先がどんどん王宮の外れに向かっている気がして私は急に不安になった。徐々にうす暗く、人影も少なくなってくる。そのうち端に行きついたのか、突き当ったが、今度は細長い螺旋階段を上り始めた。見上げるとずいぶん上まで続いていて先が見えない。一体何周回っているのか、私は数えることにも疲れてしまった。
しかし、一分の迷いの欠片もないお父様の歩みは力強く、私はその首に抱きついた。
「ティーナ、お前は重いな」
ちょっと、今何て言いました?
年頃の乙女に向かってなんと言う暴言! 私は抗議してやろうと思って顔をあげた。
結果、私は口まで出かかった抗議の言葉を急いで飲み込んだ。
お父様の顔が余りにも辛そうだったから。まるで泣き出すの堪えているような、そんな表情だったから。
「最後の日の前日、今のお前と同じように俺はあいつを抱えてここへ来たんだ」
お父様の言葉に気づいて正面を見るとやっと長い螺旋階段を抜け、そこには小さな古びた扉が佇んでいた。
「抱き上げたあいつは泣きたくなるくらい軽すぎて、強く両手で抱きしめていないと微風にでさえ吹き飛ばされてこの腕からいなくなってしまうんじゃないかと、本当に心から恐怖した」
私を扉の前でそっと下ろすと、お父様は私に扉を開けてごらん、と促した。
扉のノブは錆びて埃を被っており、この場所に訪れるものがしばらくいなかったことを語っている。
ノブに触れるとひんやりとした金属の感触がした。扉の建てつけは幸い傷んではいなかったようで、特に力を入れなくても少し軋む音を立てただけで簡単に扉は開いた。
「ああ」
思わず感嘆の息が漏れた。言葉を失うほどの美しい世界がそこにはあった。
視界に飛び込んできたのは今まさに沈みゆこうとする真っ赤な夕日だった。そして、夕陽に照らされた美しい王都の街並みだった。王宮を中心に放射線状に広がる石造りの街並みは、整然と規則性を持って建てられていた。改めて見下ろしてみるとその様子が良くわかる。
ここは鐘楼だった。すぐ隣には黄金色の大きな鐘が吊り下げられている。
数人が入れば満員となるであろう小さな空間は、おそらくこの王宮で一番の絶景を拝める場所だろう。
瞬きもせず、食い入るように私は王都を見下ろしていた。
「ここからの眺めは最高だろう。ここは俺と妹の秘密の場所だ。連れてきたのはお前が初めてだ」
お母様にも内緒にしておけよ、とお父様は笑う。
ここはお父様と叔母様の思い出の詰まった秘密の場所だと、お父様は言った。
「あの時、ここへ来て、王都を見たいとあいつが言ったんだ。ほとんど意識もないような朦朧とした状態だったのに、ここへ来た時は奇跡的に意識がはっきりとしていた。あいつはこの国を本当に愛してくれていた。王族に生まれたことを誇りに思い、その務めを立派に全うした……」
お父様の瞳は、とても静かに凪いでいた。
「フィリアは見た目はお前そっくりだが、気性は正反対だ。あいつは自分の気持ちを表に決して素直に出そうとしなかった。常に王女としての自分を完璧に作り上げて、その中でしか自分を外に見せなかった。ああ、一度決めたことは最後までやり通そうとする頑固なところは似ているかもな」
過去の幻影を思い浮かべているのだろう、お父様は優しく微笑む。
「あいつはいつも自分より他人を優先した。本当に幼いころから病弱で、周囲はあいつの分の元気までを母親の胎内いたときに俺が持って生まれたんじゃないかって言う者がいたな。そう、フィリアはいつも臥せってばかりだったから、多分自分の命が長くないことは幼いころから感じていたのかもしれない。だから、自分のことは顧みない。そんなあいつが哀れで、俺はほかの誰でもない俺があいつを幸せにしてあげなければならないと誓っていたよ、でも」
一旦言葉を止めたお父様は、厳しい顔つきに代わる。
「俺はあいつが幸せになるのなら、出来ることは何でも叶えてあげようと思っていた。だから、あいつが胸に隠した想いをどうにかして叶えてやりたかった。でも、あいつを直接幸せにすることが出来る奴はそれを拒んだんだ」
ギリ、と唇を噛みしめて宙を睨む。
その目に浮かぶのは憎悪、悲壮、そして 悔恨。
「ああ、奴はフィリアを拒んだだけではない。奴は――――フィリアを殺したんだ」
7/27 誤字修正しました。




