5 断罪の剣
その場所は純白の白薔薇が満開に咲き乱れる庭園だった。
庭師たちの技術の粋を結集して整えられているこの場所は、王宮の住人から特に愛されている美しい場所で、季節ごとに異なる花が順に咲くように手入れされており、常に美しい花々が訪れる人の目を楽しませてくれる。お母様は特にお気に入りのようで、よくこの場所でお茶会を開いたりしている姿を見かける。私も落ち込んだ時にはここに咲く花々に心を慰めてもらうこともある。女性の訪問の多い庭園だが、時折騎士たちの姿も見かけることがある。姫君の手を取って愛を語らったり、求婚したりする者もいるらしい。滅多にはないが、お父様もこの庭園で静かに花を眺めているところを見たこともある。お父様は容姿は中性的な美貌なので絵柄的には美しくて見とれてしまうのだけど、性格を知っていたらあまりの違和感に首を傾げたくなったものだ。結局何をなさりたかったのかは分からないままで、単に疲れていたのか物思いに耽りたかったのかのどちらかだろうと思っているのだけれど。
今庭園を彩る薔薇は、輝くばかりの純白の花弁が、月の光を集めたように美しいことから「月華」と呼ばれている。本来の薔薇の咲く季節には少し早く咲くことで知られる。そして、この花はとても美しいのだが、咲いている期間が短く満開になっても僅か数日で散ってしまう。その儚くも美しい姿はある王女に例えられていたのを聞いたことがあった。
本来訪れる者の目と心を癒し和ませるはずの庭園には今、研ぎ澄まされた刃のような緊張感が満ちていた。
この王宮の主であるところの騎士王・フィラルラーズ――お父様はこれまでかつて私に見せたこともないような厳しい形相で傍らに跪く騎士を睨むように見下ろしていた。そして跪く騎士・アレスディールは断罪を待つ咎人のように深く頭を垂れたまま微動だにしない。
『俺はあの日に言ったはずだ、絶対にお前のことを許さないと!!』
先ほどのお父様の言葉が今も脳裏にこだましている。
息をつくことすらも躊躇うような空気の中、お父様は沈黙を続けるアレスを睨んだまま静かに告げた。
「お前が神殿に入ることも許さないし、あれの後を追うことも許さない。全部自分が蒔いた種だろう、お前は一生ここにいて、死ぬまで己の罪と向き合い悔やみ続けて苦しめばいい!」
ぞっとするほどに冷酷な口調で一方的に言い放つと、お父様は踵を返して足早に庭園を去って行く。
その間も、アレスはずっと俯いたままだった。
私はアレスに駆け寄って声を掛けたかったが、何と言えばいいのか分からなかった。
お父様の言うことなんて気にしなくていいわよ、なんて事情も知らない私が言えるはずもない。
悲痛な姿にそっと寄り添ってあげたいけれど私の存在で彼が慰められるはずはない。
苦しみを分かち合いたい、彼の心を支えてあげたい、慰めてあげたい。してあげたいことは山ほどあるのに何一つ出来ない自分に心底嫌気がさした。
お父様が言っていたこと。
「あの日」
それはきっと叔母様――フィリアリーゼ王女が亡くなった日。
今日は命日なのだとお母様が話していた。20年前の今日、18歳の若さで彼女は儚くこの世を去った。
それは彼らの心にどんな深い傷となって残ってしまったのだろうか。20年経った今でさえ、これほどまでに辛そうな顔をするお父様たちを見て、彼女の存在が大きかったか簡単に想像できてしまう。
「あの日」に何があったのか。お父様とアレスの間に何があったのか。それはきっと叔母様についてのことなのは明らかだと思うのだけど、詳細は分からない。叔母様は病死だと聞いている。内戦中に病を得て、それを隠して国の復興に身を捧げた。そのことが原因で命を削ってしまったと聞いている。
お父様は言っていた。アレスのことを決して許さないと。神殿に入ることも、後を追うことも。
何を許さないのか、恐らく叔母様絡みのことなのは想像がつく。神殿に入る、これは俗世を捨てて信仰の世界に入るということ。そして後を追うこと、これは誰かに殉じて自らの命を絶つこと――アレスは叔母様に対して一体何をしたというのか。
思い切って私は前へ進み出る。
こんなところで眺めていたってしょうがない。
「アレスディール……」
呼びかける声が緊張のあまり上ずってしまうのは仕方ないと許してほしい。
私はなけなしの勇気を振り絞る。
「……アリスティーナ王女」
顔をあげたアレスの表情は絶望的に暗い。こんな酷い顔は見たことがない。
彼は跪いたまま、顔だけをあげて私を見た。
「どうして、ここに?」
「忘れ物を届けに来たのよ」
「……忘れ物?」
怪訝そうな顔のアレスの前に、先ほどの首飾りを取り出して見せる。彼は傍目にも分かるほどに目を大きく瞠って息を呑んだ。
「どうして……貴女がそれを……」
「礼拝堂に落としていたわよ。大切なものなんでしょう?」
私は彼の側に同じように膝を付き、彼の手を取ってそっと首飾りを返す。アレスはぎゅ、とそれを両手で大事そうに包み込むと目を伏せた。
「アレスは叔母様が好きだったの?」
あまりに大事そうに、愛おしそうに首飾りに触れているから、ついそんな言葉が口をついてしまった。
早計な質問だったと後悔した時にはもう遅かった。
「いいえ」
アレスは静かに首を振った。
「いいえ、あの方はわたしが想うのも憚られる高貴な方。そんな想いを抱くことすら不敬なことです」
その口元にはうっすらと自嘲の笑みが浮かんでいた。
あまりにも悲痛な姿に、私は思わずその背中に手を伸ばした。
初めて触れる、広い背中は熱くて大きい。私が触れた瞬間、彼の背に緊張が走るのを直に感じた。私は構わず腕を回してしがみ付く。何とか、彼の心に私の気持ちが届けばいい。明らかに傷ついている彼を、少しでも癒してあげたい、その苦しみを分かち合いたいと願っている私の気持ちが。
そして彼の体温に頬を寄せながら、私は先ほどの彼の言葉に切なさと、軽い絶望を味わう。そんな風に言えば、好きだって言ってるようなものじゃない!
「どうして? 彼女が王女だったから?」
「……ティーナ様、これ以上はもうお許しを」
アレスは私の腕を取ってその戒めから逃れると静かに、深々と臣下の礼を取る。
「お手を煩わせてしまい申し訳ございませんでした。御前失礼いたします」
去り際に彼が見せた切ない視線の先には、可憐な白薔薇が風にそよいで、小さな花弁を散らせていた。
私は声もなく泣いた。頬を伝う涙は、止め処なく溢れてきて自制がきかなかった。拭っても拭っても止まらなかった。子供みたいだ、と私は鼻を啜った。今までアレスに想いを拒まれてもこんなに泣かなかった。今までのは半ば言葉遊びのようなものだったのかな。だから何度玉砕しても響かなかったのだろう。
どうして、彼は運命の人じゃなかったのだろうか。
だったら何故毎晩夢で私に想いを囁くの?彼は一体誰なの?
何故、どうして?
胸の裡を疑問符が埋め尽くしても答えはない。
これからどうしていけばいいのか、私は何一つ答えを得られないまま、庭園に立ち竦む。
そんな私を「月華」は優しく包んでくれた気がして、切なさのあまりに私は瞳を閉じた。




