50 恋心の行く先
最近天使様の様子がおかしい。
こちらをじっと窺うように凝視していたかと思えば、気難しい顔をして宙を睨んでいることもある。一体どうしたのかと聞けば、人の心は儘ならないと口を尖らせる。
――天使様は誰かに恋をしているのではないか?
感情が豊かな天使様は結構思っていることが直ぐに顔に出る。何やら思い悩んでいることは明白で、その視線の先にはいつも同じ人がいる。
――アレスディール……。
最近の彼も何だか不審な動きが多い。未だ王都に留まっている婚約者と表で会えばいいのに裏でもこそこそしている気配があるし、二人の間にもう一人別の騎士が間に入っていたこともあった。王宮では見掛けない顔だ。アレスディールと同じくらいの長身で、柔和な笑顔が優しげな印象的な、がっしりと体格の精悍な騎士だった。
三人一緒にいるところを見たのは本当に偶然のことだった。私が所用で王都へ出た際、大聖堂に立ち寄り祈りを済ませた後、大聖堂の裏庭にある珍しい花を見に一人で向かった時だ。
大聖堂の裏庭は大変警備の厳しい場所で、おいそれと部外者が立ち寄れる場所ではない。敬虔なセディナ神徒で且つそれなりの身分が求められる。だから私が一人で花を愛でに赴くことも特に問題なく認められた。そこで彼らを見かけたのだ。アレスディールもシェイラ姫も貴族なので裏庭に入ることを認められる身分だが、もう一人の騎士は身なりはそれなりに整っているが貴族ではないようだった。騎士階級も高くなさそうだ。外套の色は緑――一兵卒ではないが、将ではない。けれど、彼の所作は優雅ではないが、騎士らしく機敏で好感が持てた。
シェイラの父である男爵は兄の婚約式が終わったあと程なくして領地へと帰った。それなのに娘が王都に留まるのは、婚約者であるアレスディールがいるからだと誰もが思い疑問にも思っていなかった。
表で見かける二人は正直見るのが辛くなるくらいに仲睦まじく、優しい雰囲気だが、例の騎士と話しているときのアレスディールの表情は厳しい。もしかするとあの騎士はシェイラに横恋慕しているのでは? と疑ってしまう。騎士とシェイラが二人きりでいる姿は見掛けなかったが、彼女と騎士の間にも何らかの関係があることは間違いなさそうだった。
彼らは慎重に人目を避けて会っている様子だったが、何の神の悪戯か、私が一人になりたいときに潜んで行く場所に彼らがいる。アレスディールたちは私が見かけていることに気付いていないように思えたが、騎士であるアレスディールやもう一人の騎士が、訓練もされていない私の気配を感じ取れないのは、余程他に意識が逸れているからなのだろうか。
そんな中、天使様が酷く塞ぎこんでいた。恋患いなのか? 彼女に聞いてみたところ半分正解で半分はハズレだと言う。意味がよく分からなくて、聞き返すと難しい顔で考え込んでしまった。
「人を好きになる気持ちは自由なのに、どうして好きな気持ちを相手に告げることは自由ではないのかな」
やはり天使様は恋患いなのか? 天使様は眉間に深い皺を寄せて唸っている。
私はどう答えるべきだろうと考える。誰が誰を想おうとそれは誰に断ることもなく自由なんだろうと思う。けれど、それを伝えることは相手のことも考えなければいけない。相手に大切な人が他にいるなら、相手を困らせてしまうだろう。相手を本当に大切に思うなら、相手のことを何よりもまず最初に考えなければ。それ以外にも個人の感情だけではどうにもならない問題もあるだろう。相手の立場、自分の立場、周囲への影響……。大人になればなるほど、身に負うものが多ければ多いほどしがらみが増える。単に好きだと言う気持ちだけの問題ではなくなってしまう。
「大事なのは、お相手の方が幸せであることではないのでしょうか?」
「貴女ならそう言うと思った」
天使様は大きな嘆息をつきながら苦笑する。
「ねえフィリア、私がアレスディールのことを好きだとしたら、貴女はどうする?」
私はやはりという気持ちもあったが、真剣な顔付きで天使様が聞くので私も真剣に向き直る。
天使様はとても強い方だ。自分というものをしっかり持っていて芯がある。同じ容姿なのに私とは雲泥の差だ。天使様なら、アレスディールも惹かれるのかもしれない。でも……
「想う気持ちはご自由ですもの。でも彼には婚約者がいらっしゃるから……」
「婚約者って言ってもそれは恋人でもなければまして夫婦でもないのよ? どうして好きって告げてはいけないの?」
真っ直ぐな視線に射抜かれて、私は開きかけた唇を閉じる。天使様のおっしゃることは理屈としては分かる。でも許されないことだと私は思う。相手を困らせることは伝えるべきではない。それにアレスディールとシェイラは婚約者であるが、恋人でもあるように見える。私は彼女に成り代わりたいと思わないのかと言われれば、否を言えば全くの嘘だ。
天使様のように自分に誇りを持っていれば、私が誰よりも彼のことを幸せにできると言えるのならば、私ももしかしたらアレスディールに想いを告げられるのかもしれない。
けれど、私は。
私に残された僅かな時間の中で、彼に何ができると言うのか。
彼が私の想いを受け入れてくれたとして、直ぐに来るだろう別れの後に彼を傷付けずにいられるだろうか。
「何が最善の道であるかは分かりません。相手に好意を伝えられることは、本人にとって幸せなことなのでしょう。でも、相手が困ると分かっていて伝えることは違うと思います」
この胸の裡を打ち明けて、その愛を乞うことが出来たらと何度思ったことか。けれど意気地無しの私はアレスディールに拒まれることを怖れて口には出来ない。言い訳を重ねて想いに蓋をする私は、自分が傷つくことを何よりも怖れている。それは私の弱さを象徴している。
「フィリアは自分の想いがアレスディールにとって余計なものだと思っているの? 彼が困惑すると思って告げられないの? それは貴女が王女だから? 重い病を抱えているから? アレスディールに婚約者がいるから?」
「天使様は何でもお見通しなのね……」
私は天使様の青空色の瞳を見ることが出来なくて俯いた。
「ええ、天使様のご想像通り私はアレスディールのことを誰よりも愛しています。だからこそ、この想いは告げるつもりはありません。私はアレスディールに幸せになってほしい……それだけが願いなのです」
天使様は再び小さく呟いた。人の心は儘ならない、と。
彼女の声が震えていたから恐る恐る顔を上げると、彼女は静かに涙を流していた。
透明な、綺麗な涙が一滴、ほんのりと桃色に色付いた頬を滑り落ちる。私はその涙を拭おうとして手を伸ばしたけれど、私の手は空を切るだけで天使様に触れることは叶わなかった。
「安心して、私の騎士は貴女のアレスディールじゃないわ」
長い睫毛を振るわせて瞬きをして涙を払い、天使様は囁いた。
祈るような、切なく優しい声音で。
「私の騎士から伝言があるの『――あなたの幸せが愛するひとの幸せに繋がるのです』って。私もそう思うわ。貴女は貴女の幸せをもっと願っていい。その方が貴女の愛する人をも幸せにできるのよ」
思いがけない言葉に、私の胸は熱く疼いた。




