49 対峙
「……フィリアリーゼ様」
アレスディールの瞳がこれ以上ないほどに見開かれる。彼はそのまま息をすることも忘れたかのように固まってしまっていたが、さすがに直ぐに自分を取り戻した。
「一体誰なんだ、貴女は」
ものすごく今更な質問に、私自身もどう答えるべきか思い悩んでしまう。アレスディールはその僅かな沈黙すら訝しむように厳しい表情を貼り付けていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「最近よく同じ夢を見る。その夢の中では決まって誰かはわからないが繰り返し、繰り返し何度もしつこく囁くんだ。『天使の声を聞け、このままでは未来は闇の中だ』と。『天使は唯一無二のひとの姿を纏って現れる』……それは貴女のことか?」
呻くように彼は言う。
そしてどこかひどく疲れたような、諦めにも似たような、やるせない嘆息をつくと最後には小さく苦笑した。
ここにきてまた『天使』だ。
フィリアも私と出会う前に夢で『天使』が現れると告げられたと言っていた。アレスディールもそうだというなら、誰かが二人の夢に干渉しているのだろうか。でも一体いつから誰が、何のために?
その時私の脳裏に浮かんだのはアレスディールにそっくりな私の騎士だった。
彼はこの時代に来てからは何らかの意図を持って現れているような気がする。そしてそれはフィリアとアレスディールに関わる局面に限定されている。
彼は一体何者なのか?
その目的は――私と同じようで微妙に違う気がする。
「フィリアも私のことをそう呼ぶけど、私は天使なんかじゃないわ。フィリアには初めに説明したけれど私はこの時代の人間ではないから、話せないこともたくさんあるの。でも、私は貴方たちに仇なす者ではないわ」
どうして今になってアレスディールに私の姿が見えるようになったのか。
理由は全く思いつかないけれど、ただ分かるのは本当に今が失敗できない大事な場面であるということ。
「貴女が敵でないことは解っている。証拠など何もないが、何故かそう確信できた。それに貴女が話すことはいちいち耳に痛かった。それはわたしが懸命に目を背けていたことを直視させられるからだ」
アレスディールはゆっくりとした足取りで前へ進み私の手を取ろうとしたけれど、やはり彼の手は私に触れることはできなかった。アレスディールは驚くこともなく、恐らく想定していたのだろうけれど、重力のままに手を下ろしてその場に跪く。
「貴女はフィリアリーゼ様ではない。あの方は貴女のように感情的にはならないし、自らの気持ちを表に出して主張したりしない」
随分な物言いに私が思わずムッとして顔をしかめると、アレスディールが逆に口許に片手を当てて笑った。
「――失礼、貴女は思っていることが直ぐに顔に出る性質のようだな。高貴なご身分とお見受けするが政治や外交向きではないな……」
そんなこと改めて言われなくても見に染みて分かってるわよ! 政治も帝王学も全く向いてなくて何度講師に嘆息をつかせたか。そんな私を見てアレスディールは更に肩を震わせた。
「別に貴女が侮辱する意図はない。お気に触ったならお許しを。ただ、貴女のようにあの方も素直なお心のまま振る舞うことができる方であればと思っただけだ」
――フィリアは王女の仮面を被ったまま、自分を抑え込んでいる。そうすることが在るべき姿なのだと頑なに信じている。それが彼女を想う人にとって痛ましいものであるか全く気付いていない。彼女にとって、王女である以上私人としての自分は封じるべき存在なんだ。
「貴女は姿形はフィリアリーゼ様に生き写しだが、性質が異なるように見える。フィリアリーゼ様が夜空に輝く満月なら貴女はさしずめ夜明けの暁光」
眩しそうに目を細めたアレスディールが、私の姿に他の誰かの姿を重ねていたのは確かだった。私と同じ顔の、私じゃない王女、フィリアリーゼを。
「どうして逃げるの? 貴方にしか出来ないことは分かっていると思うんだけれど」
ここからが肝心だ。
私はそっと呼吸を整えて、まっすぐにアレスディールを見据える。アレスディールは私の視線を受け止め、唇を固く引き結んだ。
「フィリアには時間がないの。悠長なことをしていたら彼女はきっと手の届かないところへと行ってしまうわ」
「わたしではあの方を笑顔にして差し上げられない。わたしはではきっと泣かせ、傷付けてしまう。陛下への誓いを破ることになってしまう!」
「陛下? フィリアの父君様?」
「ああ、幼い頃からご尊敬申し上げていた偉大な騎士王……。陛下から直接賜ったお言葉を、わたしは守らなければならない。命に代えても必ずお守り申し上げると。それがこんなわたしを救い育てて下さった陛下の恩に報いる唯一のこと」
故郷で両親を相次いで、しかも悲劇ともいえる状況で亡くしたアレスディールを王宮に呼んだのは今は亡き騎士王だったそうだ。騎士王とアレスディールの父とは戦場で死線を共にしていたらしい。国境で隣国の衝突に巻き込まれ、アレスディールの父であるライドールに国境平定を命じたのは他でもない騎士王エルガーストだった。戦後騎士王は領地に戻ったライドールの身に起きた惨劇に心を痛め、その忘れ形見であるアレスディールには特に目をかけていたらしい。アレスディールがその恩に感謝し、主君の命に服すことを使命としているのは分かる。けれど、それがフィリアの想いに、自分の想いから目を背ける理由にはならない。彼の頑なな心を縛るのはやはり――
「貴方は自分ではフィリアを幸せに出来ないというけれど、それは何故? 身分ではないよね? ましてや父君のことは関係ないでしょう」
「どこまでご存知かは知らないが貴女に何がわかるというんだ」
「わかるわよ! 貴方はただ逃げているだけ。自分の気持ちにも、フィリアの気持ちにも! フィリアもそう、自分の立場に捕らわれ過ぎて幸せの意味を取り違えてる……」
言っていてだんだん悔しくなってきた。
どうして私がこんなこと言わなきゃならないわけ?
「人を好きになることはいけないこと? 私は素敵なことだと思ってた。だって自分より大事な人がいるって幸せなことだわ。それを伝えることは許されないの?」
ああ、ヤバイ。だんだん色んな感情が昂ってきてぼろぼろと決壊した涙腺から大粒の涙が頬を伝う。
「フィリアは母君と同じ病なのよ」
アレスディールの顔が驚愕で強張った。何かを言おうとして開きかけた唇は、しかし言葉を紡ぐことなく引き結ばれる。
「ならば余計にわたしの出る幕はない」
いつになく強い口調で言い捨てると、私が反論する隙も与えず踵を返しあっという間にアレスディールは礼拝堂から出ていく。
バタン、と扉が荒々しく閉まる音を私は憮然とした気持ちの中で聞いた。




