51 想いの辿り着く場所
婚約式から三ヶ月が経ち、私がこの運命に流れてきて早くも一年以上の時が経ってしまった。その間にイグニスの状況は一変しまい、次の夏には新たな騎士王が即位することになっている。
フィリアたちは既に十七歳になっていて、私の知る運命では彼女の命はあと数ヵ月、春を迎える前に儚くも潰えてしまう。しかし、現在のところ彼女は兄の献身的な看病と言う名の監視のもと、とても静かに療養中だ。前の運命では治療を頑なに拒んでいた彼女だったけど、今のところは侍医の言葉に素直に従っている。但し、フィリアのたっての願いで病気のことは限られたもの以外には伏せられていた。だが、床に付くことが多くなった王女に民が何かしら勘づいてしまうのは止められないだろうと思われた。
そんな中、性懲りもなく隣国であるザカが再度侵攻を企てた。今度は内部に不安要素がない分、相手も正攻法で来ることが予想され、フィラルラーズ王子が騎士王に即位していない今を狙っているのは明白だった。
ザカの侵攻は予め予想されていたことだったので、フィラルラーズ王子の対応は迅速だった。
既に国境近くの直轄領内に一師団を忍ばせていて、王都から援軍が到着するまでの時間稼ぎをさせた。そして王子自ら騎士の精鋭部隊を率いて迎撃に打って出た。
ただひとつ予想外だったのは、これまで自分の影のように側に控えさせていた騎士アレスディールに将軍の地位を与え、その配下と共に王都へ残してきたことだ。これにはアレスディール本人をはじめ周囲の者も驚愕を隠せなかった。理由を訊ねる元側近に王子はさも当然といった面持ちで事も無げに告げた。
――王都にはフィリアリーゼがいる。自分の代わりを任せられるのはお前において他にない。
前回の衝突の折、父王が居たとはいえ王都に最愛の妹王女を残してきたことが、彼にとって一番の心残りだった。今回の戦況で自分が王都に残るという選択肢を選ぶことの出来なかった王子にとっては、これが最善だと考えたみたいだ。主君にこうまで言われて言葉を返すことが出来なかったアレスディールは、ただ静かに主命に従った。
フィリアとアレスディールの関係は王女と騎士の関係から一歩も進展する気配もなかった。今回の采配に、フィラルラーズ王子の微妙な意図を感じていた私は、このもどかしい状況に正直苛々していた。
フィリアはこれまでより公務の量を大幅に減らしてはいたものの、王の代行として他に委任できない業務に関しては引き続き行っていた。アレスディールの任務は彼女の直接的な補佐と護衛だ。薬の副作用で数日おきにしか目覚めない王女の眠りを護り、王女が目覚めているときは公務の補佐を行う。
ほぼ確実に両想い――但しフィリアは片想いだと思っている――の二人が、執務室という密室で、結構な割合で二人きりでいるにも関わらず甘やかさの欠片もない現状は、もはや拷問とも言えた。黙々と公務をこなし、世間話どころか天気の話すらもしない二人に、見ている私の神経がどうにかなってしまいそうだった。
『超』生真面目な二人だからある程度の予想はついていたけれど、これはあまりにも酷すぎる。
意図的としか思えない状況に、私の限界は近かった。
そんな中、アレスディールの婚約者であるシェイラは未だ王都に留まっていた。駆け落ちまで秒読みだったはずが、今回のザカの侵攻のせいで肝心の彼女の騎士に従軍命令が出たからだ。しかも、王子の近衛として。ここにも微妙な誰かの意図を感じずにはいられないのは私の思い過ごしだろうか。いや、多分確実に誰かの差し金に違いない。あの人の情報収集能力は侮れない。アレスディールとシェイラの偽りの関係にも気付いているはずだ。
そのシェイラは、他でもないフィリアからことある毎に王宮に招待されていた。どうやらフィリアなりに、シェイラに対しアレスディールの婚約者として過剰に気を砕いているようだった。他のことなら敏すぎるほどに人の心に敏感なフィリアなのに、どうして恋愛に関してはここまで鈍いのだろうか。これが計算ならとんだ策士だけど、彼女の場合は本当に善意でしかないのがわかるから余計に切ない。
……多分彼女が恋愛というものから、意識して遠ざかろうとし続けたせいだろうか。
全く他意のないフィリアの様子に、まともな神経をしていたシェイラは、フィリアを謀り続けることにどうやら耐えられなくなってしまったみたいだ。
「王女殿下にお話がございます」
執務の合間、フィリアの気分転換のためのお茶会に招かれたシェイラは、侍女が茶器の片付けのために席を外し二人きりになった時を見計らって、唐突にフィリアに切り出した。
顔色も悪く、声も震えている令嬢を見て、フィリアは不思議そうに瞬きをした。
対するシェイラは椅子から立ち上がるなり腰を低くして平伏さんばかりに頭を下げる。
「一体どうなさったのですか?!」
「どうぞ愚かな私をお許し下さい! 私がアレスディールと婚約したのは想いあってのことではないのです」
フィリアは少し首を傾げて、けれど真っ直ぐにシェイラの瞳を見つめ返した。どうやらシェイラの発言の意図を探ろうとしているみたいだ。
「元々は家同士の約束事でしたが、アレスディールの両親が亡くなって彼が王都へ上がった際に解消したのです」
「でも、好き合っていらしたのでしょう? 今も貴女がアレスディールに向ける眼差しはとても好意的に見えるけれど……」
「もちろん彼のことを嫌っていませんから。正直に言うと初恋の人ですし、今も友愛的な感情はあります。けれど、今の私の心を捕らえた騎士は彼ではないのです」
シェイラは語った。彼女の騎士は同郷出身の騎士で、元は孤児だった。ある程度成長し奉公に出された先がシェイラの実家の男爵家で、彼は厩の手伝いをしていた元騎士に可愛がられて剣や槍の鍛練を始めたところその非凡な才能が認められ、従騎士としてシェイラの従兄に仕えるようになった縁でシェイラと知り合った。曰くお互い一目惚れらしく、彼が騎士の叙勲を受けた際に交際を認めてもらおうと男爵に目通りを願い出たが「身分違い」と一笑され、一顧だにされなかった。二人が真剣に想いを寄せ合っていること、彼が優秀な騎士であり将来有望であることを従兄からも口添えしてもらったが許してもらえなかった。挙げ句男爵は彼を職権乱用して僻地の任務に飛ばしたり、シェイラと会わせないために監禁紛いのことまでする始末で、困り果てた二人はアレスディールに相談するに至った。そこでの話し合いの結果、今回の婚約話を隠れ蓑に駆け落ちする計画を立てたのだと。
話しながら感極まって泣き出したシェイラに、フィリアは優しく手を差しのべた。
「お辛い思いをなさったのね」
その時のフィリアの表情はとても静かで、彼女は多分自身に関わりのない話を聞かされてるような気配が濃厚だった。ここまでシェイラが話していて話の流れが奇妙なことに気づいていないフィリアは、どうしようもなく鈍い。シェイラもそれに気がついているみたいだった。
シェイラはアレスディールの気持ちを知っていたし、近くにいたことでフィリアの想いにも気付いてしまったから、現状に対する罪悪感に耐えられなくなったんだ。
「フィリアリーゼ様、私、私の騎士が戻ってきたら父に本当のことを話してアレスディールとの婚約は解消してもらいます!! ですからフィリアリーゼ様、私、アレスディールに――」
「――わたしの言葉を奪わないでくれないか」
静かな声に振り返ると、アレスディールがゆっくりと二人に近付いてくるところだった。
シェイラは「ご無礼お許し下さい、今日はここで失礼いたします」と言って、いつもの淑やかな所作が嘘のようにバタバタと慌ただしく部屋を後にする。
フィリアは混乱しているのか瞠目して固まってしまっていた。
そして部屋に取り残された二人の間に、静かな緊張感が降りる。
アレスディールはフィリアの前に跪いて頭を垂れた。
「フィリアリーゼ様、わたしの罪を告白することをお許しいただけますでしょうか」




