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37 命の刻限

 ――あの日。


 燃え上がる王宮を背に命を取り留めたフィリアの側に現れた騎士は、アレスそっくりな顔をした幻だった。かつて私の夢に毎夜訪れていた、私だけの騎士……。フィリアを抱き抱えていたアレスのすぐ側にいたので、改めて見てみると容姿はそっくりなのに随分と印象が異なる。アレスは真面目を絵に描いたような、どこか硬派な印象だが、例の騎士はアレスよりもずっと柔和な印象だ。


 アレスは側に立っていた騎士の存在に気付いた様子はなかったし、その声も聞こえていないようだった。多分、以前の私と同じような状況なのだろうか……? 騎士はフィリアが息を吹き返したことを確認すると、うっとりと見惚れてしまうような優しい笑みを浮かべて頷いてみせた。


『もう大丈夫……今は、心配ないよ』

「今は?」

『そう、今は。どう足掻いても覆らないのが天命……でも今はそうじゃない』


 彼はアレスとフィリアの様子を見つめながら小さく何かを呟いたみたいだったけど、その声は私の耳には届かなかった。


『運命の道はようやく拓かれた。あと、もう少し……。それまでは私の姫君、また夢でお会いしましょう』


 綺麗な微笑みを残して、私の騎士は正しく幻のように消えてしまった。

 その時の私の胸の高鳴りは希望であり、落胆でもあった。やっと夢の外でも会えたと思ったのに。一体彼は何故ここに現れたのか、理由が全く思い浮かばない。


 ただ、彼がとても優しい瞳でアレスとフィリアの二人を見つめていたことが私の心に残った。眩しいものでも見るような、愛しさの溢れた眼差しに、私は嫉妬した。嫉妬? どうして私があの二人に嫉妬しなければならないというのか。私はしばらく考えた後にその答えを得る。私は彼が私以外の人を瞳に映しているのを初めて見たんだ。夢の騎士だと思っていたアレスも、誰かをあんなに優しく見つめていたことはない。だから嫉妬したんだ。なんて独占欲。私はそんな自分が嫌になった。




 フィリアが無事救出されて、オルフェリウスたち逆臣が捕らえられ、亡き騎士王エルガーストの葬儀が執り行われ……イグニスにとって重大な出来事が短期間の間に次々と起こったが、王宮は新たな若き主を支えて、この難局をどうにか乗り切ったように見えた。


 けれど、王宮の機能は著しく低下し、王都は至るところに内乱の爪痕が深く刻まれていた。民は正当な王が王宮を取り戻したことを歓迎し、そこに希望を見いだしているように思えたが、その一方で暗い影を残す問題も少なくない。


 その一つが王女フィリアリーゼの意識が戻らないことだ。

 フィリアは救出の際に一瞬だけ意識を取り戻したが、その後は一向に目覚める気配がない。呼吸も浅く、脈も弱い。侍医もほぼ終日体制で治療に当たっているにも関わらず、容態は軽快しない。救出直後の重度の衰弱状態は脱したものの、もう半月以上経過しているのに一向に改善しない状況に初めは苛立ちを見せていたフィラルラーズ王子も、今は息を詰めて状況を見守っている。枕元に立っては取り留めのない話をしたり、その日の出来事を報告したり、時には判断を迷っている案件について相談を持ちかけてみたり。まるでフィリアが目覚めているかのように接している。その様子はとても優しく、ひどく悲しい。

 激務の最中であるにも関わらず甲斐甲斐しく世話をするフィラルラーズ王子の願いが通じたのか、救出後一月経ってようやくフィリアが目を覚ました。

 ゆっくりと睫毛を震わせて、深い蒼の瞳がフィラルラーズ王子の姿を映した時、彼は初めて神に感謝したらしい。


「フィリア、フィリアリーゼ! 俺が分かるか?」


 寝台に身を乗り出して、震える声で彼は妹の耳許に囁いた。

 二度ほど瞬きを繰り返し、フィリアはその瞳に兄の姿を捉えた。


「……フィ……ルに……さま……」


 一月ぶりに聞いた彼女の声は掠れていて、ともすれば吐息と聞き分けがつかないくらいに微かなものだったが、フィラルラーズ王子には十分だったみたいだ。彼は思わず神に感謝の印を切って、妹の手を取り自らの額に押し当てた。


「ああ、フィリアリーゼ! よかった、ああ……」


 フィラルラーズ王子は喜びのあまりに混乱しているみたいで、何度も何度もフィリアの名を呼んで、フィリアの返事を、声を聞きたがった。


 側で控えていた侍医は初めはその様子を温かく見守っていたが、あまりにもフィラルラーズ王子が興奮していたので診察を口実に一旦引き離した。侍医から声を掛けられた時、フィラルラーズ王子は傍目にも分かるくらいに嫌そうに顔を顰めたが、さすがに状況は理解していたようで大人しく場所を譲った。




 診察の後、別室に場所を移したフィラルラーズ王子は侍医の言葉に思わず手にしていた書類を落としてばらまいてしまった。


「それは、どういうことだ」


 彼の耳に侍医の言葉は正しく届いていた。けれど、彼の心がそれを受け入れることを頑なに拒もうとして抵抗しているようだった。


「お気の毒ではございますが、王女は凍血病を患っていらっしゃると思われます」

「冗談はよせ。フィリアは病弱だが、特定の重い病は患ってなかった」

「これまでは特定の病にかかってはいらっしゃらなかった、しかし現在の容態からすればその可能性が最も高いと考えられます」


 私は歓喜から一転絶望の色に染まったフィラルラーズ王子の顔を見つめながら、遣る瀬無い思いに唇を噛んだ。


 これは変えられなかったのか。これは天命なのか。


 絶望に言葉を失う王子に掛ける慰めの言葉も思い浮かばない。


「あと、どれくらいだ?」


 カラカラに乾いた喉から絞り出した言葉は簡潔だが、重い。

 主君の真摯な眼差しを受け止めて、年老いた侍医は深く頭を下げた。


「母上様と同じようにただ治療にのみ専念すれば、何とか数年は……」


 残酷な現実に、彼は静かに目を瞑った。




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