38 一筋の光
私は昏く深い闇の底に横たわっていた。
痛みは全く感じない。先程までこの身を苛み続けていた、胸を刺すような鋭い痛みも、喉を灼く痛みも、……心の痛みさえ、今は感じない。言うなれば何もない、空虚な感覚。
父の命を理不尽に奪われた悲しみも、兄の枷になってしまった贖罪の念も、逆臣に対する憎しみも、アレスディールに対する恋心さえも、この漆黒の闇に溶けてしまうような気がした。
私は一体何のために生まれてきたのか?
その問いすらも闇に消えて、私はただ、闇に横たわったままぼんやりと視線を漂わせる。
しかし、ここには闇以外の何もなく、私はこのまま闇に溶けてしまうのだと思った。
どれだけの時が流れたのかわからない。
体の感覚を失い、戦場に打ち捨てられた屍のように転がる私の耳に微かな音が聞こえた。
『――――…………っ、………め、だっ……』
ようやく神の御遣い――本物の天使様が来られたのか? こんな罪深い私のところに。
私は天使様の声が聴きたくて、全神経を耳に集中させる。
『……ダメだ、貴女はまだ消える天命にない』
何を言っているのか? 分からなくて首を傾げると仄かな光が私の傍らに灯った。
見ると光は朧気ながらも人の形を取っている。けれど、それだけで光が彼か彼女なのか、大人か子供か何も分からない。けれど私はその光が、以前天使様が来ることを予言してくれた人と同じではないかと思った。
『貴女を呼んでいる人がいる。貴女を待っている人が……』
輝ける人の声はとても優しい。思わず涙腺が緩みそうになるほどに。
私は目を凝らして、その人の顔を、表情を見たいと願った。ふわりと柔らかな気配が伝わる。残念ながらその顔を見ることは叶わなかったけれど、その人が微笑んでいることは気配で分かった。
『貴女を心から愛しているひとがいる、どうか彼のところに帰ってあげて』
私を愛しているひと? 兄のことだろうか?
見上げる私の視線に気付いたのか、その人は曖昧に笑ったようだった。
『呼んでいるよ? さあ――!』
その人の言葉と同時に、私の世界は眩い光に包まれた。
唇に熱く柔らかな感触。
不快感は全くなく、寧ろもっと触れて欲しいとさえ思った。
そして再び重なる唇から何かが流れ込んでくる……ああ、私は命を分け与えられている。そう思って私は切なさと幸福で胸がいっぱいになり、小さく吐息を溢した。
『――……リーゼ様!! どうか目を開けて下さい!』
……声がする。
一番聞きたかった声。焦がれていた声。低音の、胸に心地よい響き。
いつも側にありたいと願って、夢見ていた。
アレスディール、私のたった一人の騎士。どうして彼がここにいるのだろう。
――アレスディール、どうして貴方がここにいるのですか……?
重い瞼を必死に上げながら、久しぶりに見た現の世界は涙が出そうなほどに幸福なものだった。アレスディールは今まで見たこともないくらいに感情を露にして、私を見つめていた。頬が触れるほど近くに彼の顔がある。切なげに揺れる瞳には私の顔が映っていて、彼は力強い腕で私を抱き締めてくれた。
この幸福をどう表現したらいいか分からない。私の貧しい語彙力では、適切に表現する言葉が見当たらない。このまま死んでしまいたいと思ってしまうほどに。この瞬間を永遠のものにしたいと願うほどに――。
私は目を閉じた。溢れる涙を、堪えることはできなかった。
これは夢かもしれない。今際の際に与えられた神の慈悲なのかもしれない。
それでも構わないと、私は思った。
彼の体温に包まれながら、私はふわふわと心地よい温もりに身を委ねる。
体が鉛のように重く感じて、私の意識は薄らいでいく。けれどもそれはこれまでとは異なって、とても心安らかなものだった。
再び私の意識が戻ったのはそれから一月以上経ったあとだった。目覚めたときまず視界に映ったのはかけがえのない愛しい半身の、歓喜に震える眼差しだった。
内乱は既に終結し、事後処理の段階に移っていた。父の葬儀も終わり、今は兄がイグニスを建て直すべく孤軍奮闘していた。
私は兄の力になりたかった。力になることが王女としての務めで、父を守れず、国を乱した贖罪をすべきだった。けれど、私は少し先の未来で残酷な現実を知ることになる。
この身を呪っても仕方ないことはわかっている。
だからせめて残された命は全てイグニスに捧げると決めた。
――それが私に与えられ使命なのだと信じていた。




