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39 婚約者

 内乱から早くも三ヶ月が経過し、初夏の季節を向かえた頃。

 聖ラディウス・セディナ教国からルーシェリリア王女が婚約式のため、教国の色である白金の豪奢な馬車に乗って、大勢の教会騎士を引き連れてイグニス王宮に到着した。イグニス国民の熱烈歓迎に満面の笑顔で応えて魅了した王女は、教国の王女に相応しく神々しい存在感を遺憾なく披露して、老若男女問わず多くの国民に感嘆のため息をつかせた。


 この世界で初めて見る私と同じ年頃のお母様は本当に天使のように愛らしくて、私は思わず見惚れてしまった。濃厚な蜂蜜色の巻き髪はふわふわしていて、長い睫毛に縁取られた大きな青い瞳は意思の強そうな光を湛えている。乳白色の肌は肌理細かで桜色に染まった爪は形よく整られていて――このときから既にお母様の美に対する意識は高かったのだろうと感心する。頭の先から爪先まで完璧。流石私のお母様だ。


 お母様、もといルーシェリリア王女はイグニスの復興が軌道に乗り始めた時期を見計らってイグニスにやって来た。諸外国にイグニスの復興を効果的に印象付けるためらしい。実際の輿入れは聖ラディウス・セディナ教国の意向により来年の夏だということだが、その前に王女がイグニスを訪れたのはイグニスの希望によるものだった。


 華やかな深紅のドレスは彼女の美しさをさらに引き立てるような意匠で、細い腰に大きなリボンがあったり、裾に繊細なレースがふんだんに用いられていたり、いかにも乙女趣味のお母様が好きそうなデザインだ。普通、こんなに可愛らしい意匠のドレスを着たら衣装に着られているような、衣装の可愛さに中身が完敗してしまうのだろうけれど、ルーシェリリア王女は衣装の可愛さに全く負けていない。寧ろ圧勝している。フリフリのレースが、鮮やかな深紅のリボンが王女の引き立て役でしかない。通る先々で人々を魅了して歩く王女は、観衆の熱い眼差しを何でもないいつものことのように軽く躱して、颯爽と回廊を進んでいく。まさに高貴な薔薇――黄薔薇姫の呼称に相応しい。


 そのルーシェリリア王女はイグニスに到着してほどなく、双子の王族に対面するなり婚約者である王子そっちのけで可憐なその妹王女の胸にまっすぐ飛び込んでいった。


「ああ、わたくしのフィリアリーゼ! こうして貴女に再会できて感激ですわ! 内乱の話を聞いてからずっと…わたくし、本当に生きた心地がしませんでしたのよ。よくお顔を見せて下さいませ! ああ、何てことかしら、お顔の色がよろしくないわ――」


 自分よりも背の高いフィリアの背中に腕を回してぎゅっ、とさらに密着しながら興奮気味に捲し立てるルーシェリリア王女を力づくで引き剥がして、フィラルラーズ王子は王女を威嚇するように睨みながら奪回した妹を腕のなかに閉じこめた。


「着いて早々騒がしい! それにフィリアは生まれたときからずっと俺のだ! お前のものになったこと一度たりともはないぞ」


 ガルルル……、と唸り声が聞こえる。見ると婚約者であるはずの二人の間でバチバチと盛大な火花が散っている。うわ、一発触発な状態にハラハラしながら様子を見守っていると、王子の腕のなかに閉じこめられていたフィリアが身動ぎして、兄の腕と言う堅固な檻からの脱出に成功したようだった。


「フィラル兄様。折角遠路遙々お越しくださったルーシェリリアに、その態度は失礼ではありませんか?」

「いいんだ、どうせルーシェも来年の夏にはここの住人になるんだ」

「ルーシェリリアは兄様の妃になってくださるのよ、仲良くしてくださいませ」


 仲裁に立つフィリアは困ったように眉を寄せていたが、何だか対応が慣れているように見える。この三人は幼馴染みでもあるんだった。お母様――ルーシェリリア王女は双子の幼馴染みに会うために何だかんだと口実を作ってはイグニスを訪れていたらしい。


「わたくしには求婚者は山ほどいたのですわ。その中でもフィラルあなたを選んだのはひとえにここにわたくしのフィリアリーゼがいるからですわ!!」

「俺にも選ぶ権利はある! ただ、今の国の状況と家柄と国策と色々考慮したら選択肢がなかったんだ! 妃を選べるなら俺はフィリアがよかったんだ」

「ちょっと、フィリアリーゼは貴方の同母妹でしょう! 生まれ落ちたときからフィリアリーゼの夫候補から外されていますわよ」

「うるさい! 誰が何と言おうがフィリアは俺のだ!」


 フィリアを挟んで低次元の歪み合いが続いている。フィリアも苦笑しているだけでもはや仲裁に入る気も無さそうだし、周囲の騎士も侍女も取り立てて関心無さそうだ。どうやらこの二人はいつも顔を合わせる度にフィリアの取り合いをしているらしい。国許ではたった一人の王女として五人の兄に溺愛されて甘やかされ、三人の弟に熱烈に慕われているらしいルーシェリリア王女は、フィリアを親友として姉として妹としてすっかり懐いているらしい。フィリアも面倒見がいいからルーシェリリア王女を甘やかしているし、心を許しているみたいで仲がいい。だからフィリアを独占したいフィラルラーズ王子とは犬猿の仲のようだ。黙って並んでいたら美少年美少女のお似合いの二人なのに、何とも残念な光景だ。


 私は大親友のように仲のよい両親しか知らないので、この光景にはとても驚いた。


 その後も延々と不毛な言い争いが続きそうだったが、心得ているそれぞれの侍者たちが適当なところで話題を反らして場を収めることに成功した。


「明日の朝食は是非一緒に頂きましょうね!!」


 名残惜し気に去って行くルーシェリリアを笑顔で見送り、充電不足だと文句をいう兄王子を宥めて、フィリアは席を立った。彼女はこれから執務があるらしい。


 意識が戻って一月後、侍医の許可が出たフィリアは少しずつ執務に戻った。……病状については戒厳令が出ているため承知しているのはほんの一握りだ。フィラルラーズ王子と、侍医と、フィリアの筆頭侍女。アレスディールにすら、今は伏せられている。元々フィリアがずっと病弱だったことで、周囲も本人もうまく誤魔化せているみたいだけれども、いつまで秘密にできるのか。



 フィリアは今は一人、回廊を進んでいた。いつもなら侍女か護衛がつくが今日はルーシェリリア王女の来訪があったため、人手が足りない。恐縮する侍女にフィリアは王宮内を移動するだけだからと侍女を持ち場に戻らせた。


「兄君とルーシェリリア王女はいつもあんな感じなの?」


 先程のやり取りを思い出して聞いてみると、フィリアは優しく微笑んだ。


「ええ、いつも。でもお二人はとても仲がよくていらっしゃるのよ。時々私の方が嫉妬してしまうこともあるの」


 要は喧嘩するほど仲がいいということ? フィリアは二人がとても大切だから、今回の婚約はとても嬉しかったそうだ。まるで自分のことのように語るフィリアを見ているとチクリと胸が痛んだ。

 私の知る未来では、彼女は誰とも結ばれることはなかった。周囲の愛する人の幸せが、自分の幸せだと笑って逝ったそうだ。

 彼女を見ていると、切なくて何とか彼女自身が幸せになれる道はないのかと祈りたくなる。


「あの……すみません」

 

 丁度西殿から騎士団の詰所のある棟の近くに差し掛かった時、正面から歩いてきた女性に声を掛けられた。彼女は傍目にも貴族の令嬢であると分かる佇まいで、独りで心細そうにしていた。見ない顔だった。王宮には一定以上の貴族の出入りが許されており、その子女の同行も可能である。彼女もそうして王宮に上がり、連れとはぐれてしまったのだろうか。

 濡れたような漆黒の長い髪を複雑に結い上げ、見上げる瞳は光加減では薄い緋色に見える明るい茶色。多分私たちより少し年下の、思わず庇護欲を掻き立てるような小柄で可愛らしい少女だった。


 どうかなさいましたか? フィリアが優しく声を掛けると彼女は、ほっとしたのか嬉しそうに見上げてきた。それにしても話掛けている相手がこの王宮の主の一人であることに彼女は、気付いていない様子だった。


「騎士団の詰所はどちらでしょうか?」 

「この回廊をまっすぐに進んで突き当たりを左に行くと鍛練場があります。その向かいの白い建物ですよ」


 丁寧なフィリアの案内に少女は深くお辞儀をして礼を言った。しかしこんな可愛らしい少女が騎士団の詰所に何の用なのか。騎士を志しているようには全く見えない。


「騎士にお知り合いの方がいらっしゃるのですか?」

「はい、婚約者がいます」


 頬を赤く染めて話す彼女を見ていると、本当に婚約者のことが好きなんだなぁ、って思ってこちらまで照れてしまう。嬉し恥ずかし、って感じ。誰なんだろう、その果報者は。


「アレスディールっていう騎士をご存じですか? 私と同じ黒髪に紅い目の背の高い騎士です。その騎士が私の婚約者なんです」


 少女の言葉に、フィリアは瞠目して言葉を失った。



 

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