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36 若き騎士王の祈り

 アレスはフィリアを救出して王宮から離脱した。

 王宮を出てそのまま王都を抜けて、フィラルラーズ王子が仮の住まいと定めた郊外にある王族所有の離宮へと向かった。そこには既に王子の配下の者が詰めており、フィリアの安全はようやく確保された。


 アレスからの報告を受けたフィラルラーズ王子の軍は、王宮を占拠していたゼノーシス伯爵オルフェリウスの兵に一斉に襲いかかった。オルフェリウスの側もフィラルラーズ王子の軍が近付いて来ていることは把握していたようだが、いかんせん踏んできた戦場での場数が違いすぎた。そして、オルフェリウスはフィラルラーズ王子の素質を見誤った。彼は偉大な騎士王であった父の側で様々な戦術を学び、実戦では先陣を切って敵陣に斬り込む勇気と槍術の確かな腕を持ち、冷静に戦況を判断することを知っていた。


 たかが少年と言っていい歳であるのに、彼は百戦錬磨の将軍並の技量を既に備え持っていた。これは彼の生まれ持った才能と、環境と、努力の賜物だろう。妹王女への偏愛ばかりが目立ちすぎて、彼の本来の素養が霞んでしまっていたことに気付かなかったことが、オルフェリウスの敗因と言えた。


「お前の罪は万死に値する。ただ殺すだけで済むと思うなよ」


 冷酷に言い放ったフィラルラーズ王子の顔は見たこともないほどに怜悧で、普段の快活な王子を知るものからは想像もつかないほどのものだった。愛用の槍の切っ先をオルフェリウスの喉元に据え、フィラルラーズ王子は内に燃え上がる憎悪を隠そうともしなかった。


「死んだほうが何千倍もマシだと思うほどの苦痛と屈辱を与えてやる!」


 ひっ、とオルフェリウスの悲鳴が喉から零れたが、フィラルラーズ王子はまるで汚物を見るかのように眉を顰めて目を反らした。


 王都陥落から一月足らずで奪還に成功したフィラルラーズ王子は国民の歓呼の声に応じていたが、その表情は硬く、曇ったものだった。一部の貴族たちの起こした内乱は外部から見れば思うよりあっさりと収束されたように見えたが、実際、その傷は見た目以上に深く、かなりの膿を持ってイグニスという国を痛めることになった。

 全て狡猾なザカの王が仕組んだことなのは明白だった。ここ最近の度重なる国境侵犯も、本気ではなく王都の戦力を削ぐことが目的で、本気で奪いに来たようには思われなかった。その証拠に、フィラルラーズ王子の軍は難なく侵攻を退け続けている。ザカの王はそれなりにイグニスの若き王子を評価していたとみえて、彼を何とか王都から引き離そうとしていたようだ。


 結局、ザカの王の策に嵌められてイグニス国内の情勢が悪化したことで、今後ザカが本気で攻めて来ることになればかなりの苦戦を強いられることになると思われた。


 ザカに亡命を図ろうとしていた他の逆臣たちも王子の命のもとに動いていた騎士たちに全て捕獲され、一族すべて何らかの処分が行われるとの通知が王子フィラルラーズ及び王女フィリアリーゼの連名で公布された。これは今後同様の反乱を企てる者への見せしめでもあると同時に、若き王が立つことについて侮られないよう諸外国に国内での力を示すためでもあった。




 同時に、王宮より騎士王エルガーストの逝去について改めて正式に国民に対して伝えられた。その数日後、この状況下では考えうる限り盛大な葬儀が粛々と執り行われ、民に慕われていた騎士王の無念の死に多くの国民が涙した。

 もちろん、葬儀を指揮したのは嫡男であるフィラルラーズ王子だった。彼は式の間中ずっと気丈に振る舞っていたが、父王へ最後の別れの際についに堪えきれなかったのか一筋の涙を見せた。


「これはフィリアの分だ」


 彼はそう強がって唇を噛んだ。

 妹王女フィリアリーゼは父王の葬儀には姿を見せなかった。

 

 フィリアリーゼ王女は内乱の際に虜囚の憂き目に遭い、兄王子の騎士アレスディールによって救出されたときには瀕死の状態だった。騎士によって一命を辛うじて取り留めはしたが、救出後既に十日以上経過しているのに一向に意識が戻る気配がない。微かな呼吸がいつ止まってしまうのではないか、このまま永遠に目覚めないのではないかと思う恐怖に、フィラルラーズ王子は懸命に闘っていた。


 フィラルラーズ王子は可能な限り妹王女の側を離れようとはせずに、事務関係の執務については机を妹王女の寝室に運ばせて執り行うほどのもので、何もそこまで、と思う者も多かったけれど、結局は苦手な執務も文句も言わず黙々と行う王子の姿に誰もそれを諌めず、早く王女が目覚めて、王子の心痛が癒えるようにと聖セディナに祈りを捧げた。


 そして、亡き騎士王エルガーストの喪が明け次第、フィラルラーズ王子が新たな騎士王に即位すること、新王の妃にかつてから親交のあった聖ラディウス・セディナ教国のルーシェリリア王女を迎えることが発表された。


 目まぐるしく変わる状況に、王宮の執務官はそれこそ休みない激務に晒されて過労死寸前まで追い込まれるような状態だったが、彼らの表情は決して暗くなかった。内乱と偉大な騎士王の死という悪夢を乗り越えて、これから新たに立つ若き王への期待に満ちていた。実際、フィラルラーズ王子は臣下からの人気も高かった。貴賤の分け隔てなく声をかける様子や、明るい人柄は多くの国民に親しまれていたから。






「フィリア、おはよう。今日はとてもいい天気だぞ。昨夜厩舎で子馬が産まれたんだ。母馬はあの炎の中で腹の仔を懸命に守ったんだ。真っ黒の毛並みで――アレスの愛馬が父らしいから立派な駿馬になるだろうけど今は小さくてすごく可愛いぞ。お前も見たらきっと気に入る……」

 

 フィラルラーズ王子は寝台に横たわるフィリアの前髪を指先で撫でていたが、その髪をあげ真っ白な額にそっと唇を寄せた。


「一緒に見に行こう。新しい命は美しくて眩しい。俺は、イグニスの全てを護ると誓ったんだ。もちろん、お前のことも」


 涙こそ見せなかったが、彼の声は小さく震えていた。込み上げるものを必死に堪えているような、そんな風に見えた。


「だから、早く目覚めて笑ってくれフィリア。俺を独りにしないでくれ……」


 強がって見せても、彼はまだ十六歳の少年なんだ。そう、私と同じ歳なんだ。

 それなのに彼は一国の王という重責を担わなければならない。いくら頼りになる臣下がいたとしても、王というのは孤独なものなんだ。自身の力を的確に示し続けなければ、国を護る責務が果たせなくなる。

 王は、イグニスの騎士王はどの騎士よりも勇敢で、気高く、慈悲深くなければならない。それに歳は関係ない。それが騎士王と言うものだとイグニスの民は思っているからこそ、篤い忠誠と信頼を寄せるんだ。


 フィラルラーズ王子――若き騎士王はそれを誰よりも知っている。けれど、彼はまだ王としては生まれたての子馬と同じで覚束ない。母馬の支えを必要としている。その支えを、彼は眠る妹王女に求めているのだろう。同じ魂を分けて生まれた最愛の半身に。




 どうか、早く目覚めて欲しい。その祈りは程なく叶うことになった。

 けれどそれは新たな悲しみを伴うものだった。

 



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