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35 喪えないひと

 私は呆然と動かなくなったフィリアを見下ろしていた。

 もともと華奢だった身体は華奢を通り越して痩せ細り、窶れきってあまりにも痛ましく、見るに絶えない。

 触れたら消えてしまうような儚さが、私の絶望をより深くした。


 どうしてこんなことになってしまったのか。


 私は、私の騎士に出会える未来を掴むために、そのためにこの場所で色々してきたけれど、こんな未来が見たいわけではなかった。私のことを唯一認識してくれるフィリアに対しては友達のような、姉妹のような親愛を感じていて、彼女が少しでも幸せになればいいとさえ、思うようになっていたのに。そう、フィリアが幸せになると私はアレスに失恋してしまうわけで、そのことがショックにならないと言えば嘘だ。けれど、夢の騎士がアレスでなかったのなら、私は私の騎士に会いたかった。そのために私の知る過去を変えなければならないと思ったんだ。


 フィリアは私の知っている誰よりも生真面目で、優しい人だった。

 自分よりもまず他人を優先する――人の気持ちを優先しすぎるあまり、自分を後回しにし、蔑ろにしすぎる傾向が目立つ。けれど、彼女はそれを当然のようにするから、周囲が彼女から目が離せなくなるのだろう。


 ――フィリアは逆臣に捕らわれたとき、自分が枷になったことを恥じていた。


 お父様が言ってたように、フィリアならそんな風に考えてしまう。

 きっと地下牢でひとり、自分の無力さを責め続けていたに違いない。

 それは貴女のせいじゃないと言い聞かせても、きっと彼女はそれを受け入れないのだろう。

 頑なで頑固なのはイグニス王族の気質かもしれない。私も、お父様も同じだから。


 


 一体どうしたらいいのか、私の頭の中は悲しみ以上に混乱の嵐が吹き荒れていた。

 フィリアはにはまだ、未来があったはずなのに。私が介入したことによって、彼女たちの未来が悪い方へ歪められてしまったのか……?

 きっとこれは何かの間違いに決まっている。私の知っている過去なら、フィリアは燃え盛る王宮から救出されたんだ。王国の騎士、アレスディールによって。

 

 ――アレスディール!!


 ここにはアレスがいる! 私は今更のようにアレスを見た。彼は厳しい表情を貼り付けたまま、フィリアの傍らに跪いていた。そしてそっと手を伸ばしてフィリアの胸元で両手を重ねて置いた。


 何をするんだろうと見ていると、彼は肘を垂直にして押し掛かるような勢いでフィリアの胸を圧迫し始めた――かつてどこかで私も聞いたことがある。呼吸も心臓の鼓動も止まってしまった人に対して、迅速に適切な蘇生術を施せば鼓動も呼吸も戻ってくることがあるということを。その方法は、胸を強く何度も圧迫して、その次は……


 アレスの動きに躊躇は全くなかった。彼は次にフィリアの額に手をおき伸ばした指先で鼻を塞いで、もう片方の手を顎に掛けて角度をつけ、フィリアの色を失った唇に自分の唇を重ねてゆっくりと息を吹き込む。それをもう一度繰り返して、彼女の呼吸が戻らないことを見てとると、再度胸への圧迫を始める。


 けれど、懸命に蘇生術を試みるアレスにも段々焦りの色が濃くなってくる。何度も胸を圧迫して、唇から息を吹き込んでも回復の兆しが見えない。フィリアの身体は力を失いぐったりしていて、長い睫毛に縁取られた瞼は固く閉じられたままだ。


 ――お願い、フィリア……逝かないで。


 祈るような気持ちで、アレスの様子を見守る。アレスも休むことなく必死に処置を続けていて、彼はまだ諦めるつもりは全くないようだった。その証拠に彼の動きはさらに力強さを増しているように見えた。


 ――ああ、どうかフィリアを助けて……


 私は滅多に神に祈ったりしない。神頼みより、自分の努力の方が信じられるからだ。けれども今は、自分の力ではどうにも出来ない。今の私は空気と同じような存在で、あまりにも無力過ぎた。こんな時だけ聖セディナに頼るなんて虫がいいと神はお怒りになるかもしれない。けれど、もう縋りつくものを私は他に知らない。


 ――どうか、どうかフィリアを助けてあげて下さい。私はともかくもフィリアは敬虔なセディナ教徒で、あなたへ日々の祈りを欠かさずに続けていたのです。


 私は一心に神に祈った。こんなに一生懸命神に祈ったのは生まれて初めてだ。


『――……私の姫君、大丈夫だ。騎士を信じて……』


 ふわりと誰かに頭を撫でられたような感覚。回りを見渡しても他の人影はない。でも、確かに私たち以外の人の気配を感じる。優しい声色が耳元で囁いた。


『大丈夫、貴女の祈りは届くよ、見ていて――』


 もう何度目になるのだろう。アレスがフィリアに息を吹き込んで、ゆっくりと唇を離した時、微かな息が冷たくなった唇から漏れた。


「――……っ、………」


 アレスが目を瞠って、思わずフィリアの口元に自分の顔を近づける。頬が触れる程に近づけたとき、アレスの頬に微かな息がかかった。


「フィリアリーゼ様!! どうか目を開けて下さい!」

「…………レス…デ……ル…? ……う……て?」


 弱々しく睫毛を震わせて、その瞼の下からうっすらと星空の瞳が姿を現し、アレスを真っ直ぐに見つめていた。声も掠れていてとてもか細く、殆ど音になっていないけれど、フィリアの唇は確かに言葉を紡いだ。


 ――ああ、神様。


 感極まってフィリアを抱き締めるアレスを見ていて、私は知らず知らずのうちに涙を流していた。よかった、本当によかったと心から思った。


『騎士はたったひとり、心に決めた姫君のためなら奇跡も起こせるんだ』


 私は見た。アレスにそっくりな精悍な顔立ちの青年が優しい表情して、王女を腕に抱く騎士を見つめていた。そして彼は私を見て綺麗な笑顔を見せた。


『誰よりも愛しい私の王女、もう少しだよ。きっともうすぐ貴女に会える……』





 

  

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