22 想いの在処
イグニスは騎士の国であるため騎士の力が強い。
宰相よりも騎士団長の方が発言権は強いし、騎士であり爵位を持つ者も多い。現在の騎士団長は侯爵位を持っているが、元は爵位のない騎士の家に生まれて実力で上りつめてきた方で、私も大変尊敬している。そういえばアレスディールは子爵家の長男だが爵位を継ぐ気はないらしく、彼の家は従兄が継ぐことになっていると聞いたことがある。騎士の大半は武門に誉れを感じ、騎士として生きていくことに誇りを感じる者が多い。そのためか内向きの政治のことには関心が薄い。そのことに危機感を募らせる有力貴族という政治家たちは思い出したころに体制に不満を爆発させて内乱を起こす。これまでは純粋に『内乱』だったため、圧倒的な武力を持つ騎士たちがたちどころに沈静化させてきた経過があるが、彼らは歴史から学んだということだろうか。隣国ザカの度重なる国境侵犯も関係があるのなら、早急な対応が必要だろう。
父も兄も天使様も黙して話してくれないが、近いうちに一部の貴族が反旗を上げるのだろうことはこれまでの様子から何となく察しがついた。思えば全くの健康体だった父が臥せりがちになったのも、今回の伏線かもしれない。何者かが、お父様に危害を与えようとしているのかもしれない。そんな推測ばかりの状況で自身にも危害が及ぶ――というよりは父や兄の足手まといになってはいけないために、私は自身で情報を集める必要があると考えた。
そんな折に、天使様から夜会を開かないのかと聞かれた。聞けば天使様は賑やかな夜会が大好きで、自身は参加できないが雰囲気だけでも楽しみたいと話すその裏で、私に何らかの情報を与えようとしているように見えた。恐らく天使様はこの先の未来を知っているけれど、それを直接話すことが出来なくて間接的に伝えようとする素振りが随所に見られる。今回の夜会の話も貴族の動向を探るために持ちかけてきたのだろう。
夜会の時、天使様がおっしゃるように有力貴族を集めておかしな動きをする者がいないかを見張るのが私の本日の務めであったが、以前よりしつこく求婚してきているゼノーシス伯爵に付きまとわれて思ったような成果を得ることが出来なかった。
ゼノーシス伯爵はイグニス社交界の花形で、令嬢たちに一番人気の美貌の貴公子だがどうしてか私に執着している様子だった。彼は私の身分に惹かれたのだろうが、彼の政治的な立場を考えたら父がその求婚を許すとは思えなかった。彼は有能な政治家ではあるが貴族としての自尊心が高く、立場の弱い者に対して無慈悲なところが過分に見られる。人間的にも私の好む人柄ではないし、父からも求婚について打診されたこともない。私自身、結婚について父から命じられたのならともかく、それ以外であるならまだ今の立場に留まっていたかった。王女のままでいたかった。
そのゼノーシス伯爵が、夜会の席で私の護衛であった女性騎士を買収して接近してきたとき、私は兄の命に逆らっても護衛の騎士は男性にすべきだったと後悔した。かの伯爵は大層な色男で、恋愛に免疫の少ない騎士団に属する若い女性なら籠絡することは容易いだろう。そう思って警戒していたのに嫉妬深い兄は自分以外の男の騎士が側に立つことをよしとしなかった。
結局彼の接触を許してしまった私だが、伯爵に手を取られ肩を抱かれた際、彼のきつい香水の匂いに一瞬目眩を起こしかけてしまった。その上、ダンスの最中にどこからか転がってきた腕輪に足を取られて転びかけ、こともあろうに伯爵に抱きとめられるといった失態を犯してしまった。
「フィリアリーゼ王女、ご気分でも?」
「いいえ、何でもございません。失礼をいたしました」
彼から離れようとするが、何故か体に力が入らない。彼の香水の香りに頭にぼんやりと霞がかかったような気分になって私は、恐らく何らかの薬を嗅がされたのではないかと思い至った。
「お顔の色も悪い。どこか風のあたるところで休まれた方がいい」
「大丈夫ですから……」
強引な様子に私は身構えた。
このままではいけないと、腕に力を込めるがあっという間に中庭まで連れ出されてしまった。
中庭に辿りつき、東屋のベンチに腰を下ろすと伯爵は私の両手を取って顔を近づけてきたから、私は反射的に顔を逸らした。正直彼が側にいるのは怖い。貞操の危機というか、強引に進められそうで私は必死に震えだしそうになる体を叱咤して何とか耐える。
「愛しい人、わたしの想いは何度も手紙にしたためました。けれど貴女からは一度も返事を頂けないままです。ですから、わたしは今夜どうしても貴女にお会いして直接この想いを伝えたかったのです」
正面から熱っぽい瞳に見つめられて、私はどう返すべきか思案する。
伯爵が本当に純粋に私のことを想ってくださっているなら誠実な対応をすべきだろう。けれど、彼からは残念なことにそのような想いは私には伝わってこない。政治的なもの、野心を満たすための手段として、私は見られていることがこの状態でも感じられるのだ。情熱的な告白を受けても、一向に私の心は冷えたままだ。
「わたしの気持ちは何度もお伝えしたと思います、どなたか心に決めた方でもいらっしゃるのですか」
――心に決めた人。
そう言われて脳裏に浮かんだのはアレスディールのことだった。
兄の側近で、初めて会ってからもう10年以上になる。初めは兄の訓練相手として王宮に上がった彼は昔から優秀で、最年少の12歳で騎士の叙勲を受けた。その後はずっと兄の側近として務めているため未だに将の任は務めていないが、本来であれば一軍を預かる将軍の立場にいてもおかしくない実力者だ。その彼は兄の影のように付き従っているため私は彼と言葉を交わす機会が多くあった。
兄曰く、真面目で面白みがないとのことだったが、不器用であっても誠実で、真摯に私の言葉に耳を傾けてくれる態度に私は心を動かされた。時折見せる微笑に私は心を奪われた――きっと初恋だったのだろう。彼の顔が端正であることとか、優秀な騎士であるとかそういったことは後付けだった。私は彼の人柄に惹かれたのだ。
けれど、私は王女だから。
せめて今はこの想いは大切に胸に秘めておきたい。
「私は王女ですから、お父様の命じられるところに嫁ぐだけです」
「陛下は貴女をとても愛していらっしゃる。貴女が望めば叶えてくださるのではないですか」
「お気持ちは光栄ですが、私は自らの立場を弁えています」
「美しい方、貴女のお気持ちはどこにあるのでしょう」
「私の気持ちは――――」
私の本当の心は、アレスディールのもの。きっと、この先誰に嫁ぐことになっても変わらないだろう。
「フィリアリーゼ様!」
思いもよらない声に、驚いて振り返るとそこにアレスディールが立っていた。
僅かに息が上がっていることをみれば、どうやら私を探してくれていたようだ。
――助かった、と安堵が胸を包む。私とは逆に動揺した伯爵の腕の力が緩んだ隙をついて、私は伯爵の側から離れた。
すっ、と自然な動作でアレスディールは私を庇うように前に立った。
その背中が本当に大きく見えて、やっと私は息をつくことが出来た。
「無粋な!」
「失礼をいたしました。会場でお姿が見えず、参加者に聞くとこちらに向かわれたと伺いまして」
邪魔された伯爵の甲高い怒鳴り声も臆する様子もなく、アレスディールは私の前に跪いた。
「いいえ、何か御用でしょうか」
「陛下がもうすぐこちらに入られますので、その件で」
「まあ、お父様が来て下さるの?」
これで兄と一緒にいたはずのアレスディールがここにいる理由が知れた。会議を抜け出せない兄に代わって私の様子を見にこさせられたようだ。父のことは多分口実だろう。もともと父は途中から顔を出す予定だった。
「名残惜しいですが、今日のところはこれで失礼をいたします。ですが殿下、わたしの心は変わりませんから、どうか御心に留めていただきたい」
去り際に伯爵が捨て台詞を残して行ったが、私は伯爵を視線ですら見送らなかった。
その後、アレスディールは女性騎士が伯爵に買収されていたことを詫びた。彼女はアレスディールの部下であったから上官である彼も責を問われることになる。その件については仕事であるためうやむやにすることは出来ないので、処分は父に委ねることを告げると彼はさらに深く頭を下げた。
そして、夜会の会場に戻ると、壇上に設えた席に父の姿があった。父からは夜会の設営についてのお褒めの言葉を賜ったが、私の顔色が悪いからとこの場は自分に任せて部屋に下がるように言われた。
「そなたの主催の夜会ではあるが、ここは父に任せておきなさい。アレスディール、フィリアを部屋まで付いて行ってやってもらえるか」
「心得ました」
父は私が下がることを簡潔に夜会の参加者に告げ、私は淑女の礼をしてこの場を下がろうとした。しかし、最後に私に声を掛けようとする者が一気に押し寄せてくる。彼らが個々につけた香水の香りが混じり合って気分が悪くなる――伯爵のきつい香水――もしかすると薬の香りが思い出されて知らず手に震えが走る。
「フィリアリーゼ様」
差しだされた手に自分のそれを委ねると、その瞬間彼は僅かに眉を顰めて周囲に視線を走らせて、握る手を強めてくれた。
ああ、彼の些細な行動で私の心はこんなにも浮上してしまう。
私はこの時、つないだ手がこのままどうか少しでも長く続きますようにと聖セディナに祈った。




