21 夜会
この時空にやって来て何度か夜会の様子を見てきたが、今日の夜会はいつもと明らかに様子が違った。
何時もであれば夜会には明らかに夜会に興味のなさそうな世継の王子が、令嬢からの熱すぎる視線に全く反応を見せないばかりか、他の、例えばあわよくば好い人を物色しようと浮き足だっている若い有望な騎士を捕まえては、夜会に相応しくない武器談義に講じ、人の恋路を邪魔しているのが恒例だった。
もしくは、ごく稀に可憐な王女が夜会に登場し出席者の視線を独り占めするも、例によって王女の騎士を自称する兄王子が番犬の如く睨みを効かして観衆を蹴散らすか。
しかし、今回の夜会は大変稀なことに王女主催のものだった。そのうえ、いつもの番犬も不在だった。彼は近々再び国境へ行くことになりそうで、その準備のため他に割く時間が取れない。彼は最後の最後まで難色を示して調整を試みたが失敗に終わったようだった。よって王女にお近づきになりたい輩にとってはまたとない好機で、麗しの王女との接触の機会を虎視眈々と狙っていた。
その王女――フィリアといえば今日は薄紫のふんわりとした形のロングドレス姿で、文句のつけようもないくらいの可憐で完璧な装いだった。男共の垂涎の的であり、令嬢たちの嫉妬と羨望半々の視線を集めながらも、表向きはにこやかに、且つ毅然とした態度で最初の挨拶をすると、後は押し寄せる貴族たちの挨拶攻撃に一つ一つ丁寧に応対していた。
今回の夜会の目的は例の内乱の首謀者を確認するためだった。
近く内乱があるだろうことは、王もフィラル王子も察しているようだったけれど、彼らは『裏切り者』が誰であるかはまでは掴みきれていなかった。騎士たちについては可能性は低いと考えられたため、有力貴族の中にいると彼らは推測していた。私は知っているけれど伝えられないので、何とか貴族を集めてその中にいたら、手掛かりくらいは示唆できるんじゃないかと考えてそれとなくフィリアに夜会を開くことを提案し、察しのいい彼女は深く詮索することなく了承してくれた。
それからの彼女の行動は早く、父王の了解を取り付け、もしかしたら弊害になるかもしれない兄を何とか排除し、有力貴族のことごとくを招待し、今回の夜会開催に至ったわけだ。彼女の一連の動きを見ているとあまりの段取りのよさに、公人としてどれだけ有能なんだと舌を巻くしかない。ここまでされると正直嫌味なんだけど、彼女は男女の話とかそういうのにはとことん鈍感で、消極的なところがあるから私人としてはまだまだ初心さが目立つ。それで差し引きなしって感じだろうか。あくまで私の中での話なんだけど。
夜会にほとんど参加しない王女だが、その彼女の主催となればさらに希少なもので、出席を希望する貴族は後を絶たなかった。その中からフィリアは気になる人物を含め、絶妙な采配で出席者を選定したようだ。もちろんその中には私が『黒』としている人物も含まれている。
出席者たちは選ばれたことに自尊心をいたく満たされたようだったが、会場に足を一歩踏み入れて彼らは一様に息をのんだ。これまでのイグニス社交界の夜会は、イグニスが騎士の国であるためがどちらかというと男性的な印象のものが多かったが、今回は一転して、純白を基調とした花や織物で装飾された会場は女性的で華やかな、けれど華美過ぎない洗練された夢の空間が広がっていた。彼女のセンスの良さが発揮されたんだろうけど、こういった場所になじみのないイグニスの令嬢たちはあっという間に魅了されていたようだった。かく言う私もほとんどお目にかかったことのない幻想的ともいえる美しい世界にうっとりして、自分がこんな体じゃなかったらお洒落して参加したいのに! と大変悔しく思うほどだった。
会場に流れる弦楽の生演奏も耳に心地よく、またテーブルに並べられている料理やお菓子もどれもおいしそうだった。ほんとにいろいろ惑わされて私は当初の目的を見失うところだった。
そうして催された夜会において、彼女は一曲目だけは母方の親類にあたるとかいうご高齢の宰相と踊ったが、あとの誘いは丁重にお断りして予め設えられた席で、演奏に耳を傾けながら皆がダンスに興じる姿を眺めていた。実際のところ、フィリアはダンスのステップも申し分なかったのだが、一曲目の後半から明らかに息が上がっていて、やはり無理をしている様子だった。あまりの体力のなさにこれ以上のお相手は無理と判断したお付きの女性騎士が近寄る輩を大分さばいていたようだが、それでもさばききれなかった主に高位貴族の子弟たちが王女にお近づきになる絶好の機会とばかりに接触を試みていた。
彼もその中の一人だった。
「こんな間近で王女殿下の麗しきお姿を拝せる機会を得られるとは、この上ない僥倖です」
硬質そうな栗色の長髪を後ろで一つに束ねた、中性的な美貌を持つ長身の貴公子は貴族の中でも高位にあたる人物でオルフェリウス・ゼノーシス伯爵という。切れ長の深い碧色の目元が涼しげで、薄い唇が冷たそうなのに実は情熱家だと若い貴族令嬢のなかでは結婚相手の候補として一番人気の人物で、年齢は王女より一回り上の20代後半だったか。引く手あまたなのに未だ婚約者もいないのは彼も王女狙いなんじゃないかと社交界では噂されていた。
彼はフィリアの手をそっと取ってその甲にそっと口づけた。その後も手を取ったまま離そうとしない。
「フィリアリーゼ王女、どうかわたしに貴女とワルツを踊る栄誉を与えては頂けませんでしょうか?」
じっと正面から射抜くような眼差しを受けとめて、王女は少し考えるような仕草を見せた。
「社交界の花形でいらっしゃる伯爵と踊ったら、私はここにいる多くの姫君の嫉妬の視線で射抜かれてしまいますわ」
「それをおっしゃるなら私はこの場にいる他の貴公子や騎士たちだけでなく、会議中の王子殿下に呪い殺されてしまうでしょう」
「兄様は……ええ、そうかもしれませんね。貴方、命は惜しくていらっしゃらないの」
「王女のお手を取ることが許されるのなら、惜しくはございません」
あくまで一歩も引かないオルフェリウスに、フィリアは小さく微笑んだ。
「命知らずでいらっしゃるのね。それだけの勇気がおありなら騎士におなりになればよろしいのに」
「お恥ずかしながらわたしは剣術が全く上達しなかったもので……」
オルフェリウスの体格を見て、私はそうだろうなと納得する。彼は背は高いが色白でひょろ長いといった印象だ。実際政治家としては有能らしいが、とても剣や槍を持ったりしている姿は想像できない。いかにも貴族令嬢が好きそうな優男って感じ。同じ美形でもアレスディールとは正反対だ。彼も精悍な美貌の持ち主だが、有能な騎士であるためとても男らしい。正直私はこのオルフェリウスとかいう貴族は趣味ではない。それはフィリアも同様だったみたいだ。
しかし、彼女にも公の立場があり一応貴族の中でも有力者とされるオルフェリウスに食い下がられると、これ以上拒み続けることは難しかったみたいだ。
フィリアがゆっくりと椅子から立ち上がると、オルフェリウスは笑みを深めてフィリアを会場の中央に誘った。彼女たちが進み出ると会場からどよめきの声があがる。その声に気を良くしたのか、オルフェリウスは見せつけるように大仰に礼をするとフィリアの手を取り、その肩を抱いた。
曲が変わり、ゆったりとしたワルツが流れ出すと二人は音楽に合わせてステップを踏みだす。
ちょっと密着しすぎなんじゃないの? と苛立つほどにオルフェリウスはフィリアに体を寄せていた。フィリアはというとさりげなく距離を取ろうとするものの、踊りながらではそれもうまくいかず困惑しているみたいだ。何とかして引き離さないと、と思うものの私は誰にも見えていないし、声も届かないし、触れられない。歯がゆい思いで周囲を見渡すと、お付きの女性騎士が一応ドレス姿だったのか、うまく舞踏の輪の中に紛れ込んでいた。そしてフィリアに近づこうとしていた。どうするつもりなんだと見ていたら、彼女は踊りながらそっと何かを転がした。少し大きめの腕輪のようだが、ころころと転がる行方を見ていたらうまく二人の足元に転がりこむ。
「あっ」
しかしながら、腕輪に足を取られたのはフィリアの方だった。彼女は小さな悲鳴を上げてオルフェリウスの胸に飛びこむような形で倒れこんだ。それをやはりというか当然彼は抱きとめる。
あちゃー、逆効果じゃない! と私が頭を抱えている前で、オルフェリウスは王女を腕に抱いたまま舞踏の輪から外れる。多分、あの女性騎士はオルフェリウスに買収されていたか、何かだ。
「フィリアリーゼ王女、ご気分でも?」
「いいえ、何でもございません。失礼をいたしました」
フィリアは離れようとするが、彼の腕は意外に強かったのかその戒めから逃れることが出来ない。
「お顔の色も悪い。どこか風のあたるところで休まれた方がいい」
「大丈夫ですから……」
強引なオルフェリウスに必死に抵抗しているみたいだったが、実際気分も悪かったのだろう。ほとんど抵抗らしい抵抗もできないまま、彼女は中庭に連れ出されてしまった。
ちょっと、ここの警備はどうなっているわけ、私が怒鳴ったところでどうにもならない。見ればここは社交場なんだからあちらこちらで愛の駆け引きを行う男女だらけだ。王女の件もその仲間にされているみたいだから、警備兵も見て見ぬふりだ。役立たずな!
「わたしの気持ちは何度もお伝えしたと思います、どなたか心に決めた方でもいらっしゃるのですか」
二人を追って中庭に駆けつけると、オルフェリウスがフィリアを口説いている真っ最中だった。
懇願するような切なげな表情はたいていの令嬢ならころっと落ちてしまうんだろうけれど、王女はなかなか手ごわいようだ。
「私は王女ですから、お父様の命じられるところに嫁ぐだけです」
「陛下は貴女をとても愛していらっしゃる。貴女が望めば叶えてくださるのではないですか」
「お気持ちは光栄ですが、私は自らの立場を弁えています」
「美しい方、貴女のお気持ちはどこにあるのでしょう」
「私の気持ちは――――」
「フィリアリーゼ様!」
突然割って入った声に、はじかれるように振り返るとそこにはアレスディールが立っていた。
黒の騎士の正装に、腰には彼の愛用の長剣が差してある。何故彼がここに現れたのか分からなかったが、突然の闖入者にオルフェリウスが動揺した隙をついて、フィリアはオルフェリウスの腕から離れた。
「無粋な!」
「失礼をいたしました。会場でお姿が見えず、参加者に聞くとこちらに向かわれたと伺いまして」
怒りに青筋を立てるオルフェリウスを無視して、騎士は王女に膝をついた。
「いいえ、何か御用でしょうか」
「陛下がもうすぐこちらに入られますので、その件で」
「まあ、お父様が来て下さるの?」
初めは体調不良を理由に欠席すると話していた国王だったが、やはり愛娘が心配なのか途中参加することにしたという。嬉しそうなフィリアとは対照的に、場を奪われたオルフェリウスはこれ以上この場にいることが難しいことを悟ったようだった。
「名残惜しいですが、今日のところはこれで失礼をいたします。ですが殿下、わたしの心は変わりませんから、どうか御心に留めていただきたい」
オルフェリウスは去り際に、往生際悪くもそう言い残していった。どう考えても伯爵にフィリアの心はないのはさっきの対応をみれば明らかなのに、よほど自分に自信があるのか諦めが悪いのか。
「あの女性騎士は伯爵に買収されていたようです。申し訳ございません」
深く頭を下げるアレスディール自身、相当憤っていたようで握りしめた手が白くなっていた。
「今回は貴方のおかげで事なきを得ましたが、あれが暗殺目的であれば今宵のようにはならなかったでしょう。以後厳重にお願いします。あと処分についてはお父様に」
「は、かしこまりました」
その場の安全を改めて確認したアレスディールはフィリアとともに会場へと戻っていく。
会場では父である国王が席に着いたことでさらに賑わいを増していたが、その後父娘の話し合いの結果、フィリアは国王と入れ替わりで会場を後にすることにしたようだった。
部屋に戻る際は、場の流れでアレスディールが護衛に付くことになった。
アレスディールは惜しまれつつ会場を出る王女に随伴した。思わぬ人並みに戸惑う王女の手を取ると、その手が酷く冷たく、震えていることに気づく。
彼はその華奢な手を強く握りしめると群がる参加者を払うために前に進み出た。




