救出
「か、かかかか考え直しませんかっ!?ハルベルト殿下!」
「考え直さないよ」
「私重いですって!」
「この中で一番軽いのは君だ」
「殿下のお手を煩わせる訳には……!」
「婚約者が怪我してしまう方が問題だよ」
くっ、何言っても響かねぇこの王子!うんともすんとも言わねぇ!
どうして主人公であるアイルを目の前に差し置いて、私を抱き抱えるという選択肢をとってしまうのか。いや、客観的に考えて婚約者同士がこのようにするのは不思議ではないのかもしれないが、相手にしているのはこの世界の絶対的ヒロインのアイルだ。そこは主人公補正とかなんとかでハルベルトはアイルを抱き上げたいと思うようにならないのか。
「全く……君は変なところで頑固だね。昔はこんなこと無かったのに。……一体、何が君をそうさせてしまったのかな」
ギグゥ。早くもリリクの様子が変だと思われている。いや、ハルベルトとリリクの過去なんて知らないよ。ゲームにそんなこと一度も記載されていなかったもん。だから疑いの目を向けるのはやめて!
「………ハァ。まあ、今はそれとして。このまま駄々を捏ねていたら授業に遅れてしまうよ。ただでさえ遅くなっているというのに」
「う……」
確かに、変に私が講堂に残っていたせいで、しかも道中にアイルと出会ってしまったせいで、当初の到着時刻を大幅に超えてしまっている。さっさと子猫を救出して、教室に急いで向かった方がいいだろう。
「が、頑張ってください!お二人とも!」
私たちの背後で、胸の前に拳を作ってこちらを応援するアイル。あなたの居場所はそこではないのに、私が奪ってしまったせいで攻略対象と最も遠い場所へ追いやってしまった。代われるものなら今すぐ代わってやりたいが、この頑固な王子様が許してくれそうにない。
「さ、アイルも応援してくれているみたいだし、早く子猫を救出しよう」
「はい……」
半ば諦めモードで私は慎重にハルベルトの肩に手を置いた。
ハルベルトの機嫌が少しでも悪くなってしまえば、私は即刻死亡ルートに行ってしまうので、絶対に彼の邪魔をしないという気持ちでおそるおそる身を任せた。
──ふわり、と身体が何の隔たりもなく浮き上がる。
日頃から鍛えているハルベルトにとって、モデル体型を維持してきたリリクの体重は毛ほども重くないらしい。
「相変わらず君は軽いね。ちゃんと食事はとっているの?」
「と、とってます」
「今にも折ってしまいそうな腕だよ」
「折らないでください……」
いや怖っ。普通折れそうだなと思っても口には出さないだろ。怖っ。
集中力が切れてしまいそうだ。反対にハルベルトは私を持ち上げている時でさえ笑顔のままで、心なしか先程よりも笑みが深まっている気がする。
私は下からの横槍を遮断して、子猫の方へ意識を向ける。
子猫は身体がギリギリ乗せられる程度の枝に乗っており、子猫が動く度にプルプルと枝が揺れている。今にも折れてしまいそうな挙動だ。
「おいで。こっちだよ」
極力優しく語りかけたつもりだったのだが、なぜか子猫はこちらにやって来ない。寧ろ、瞳を鋭くして明らさまにこちらを警戒していた。
もし、持ち上げられていたのが私ではなくアイルなら、動物に好かれやすい主人公補正を備えたアイルに子猫は喜んで近づいただろう。
けれど、私は違う。そんな彼をいじめるモブ悪役令嬢には、動物に好かれやすいという特性なんて持っていない。
「リリク嬢、子猫は確保できそうかい?」
「そ、それが、全然こっちに来てくれなくて……」
手を伸ばせば届く距離にはいるのだが、無理矢理手を伸ばしたら確実に引っ掻かれるのは目に見えている。
「くすっ、リリク嬢は動物に嫌われやすいみたいだね」
「…………」
──今、この王子私のこと馬鹿にした?
確かにモブ悪役令嬢である私は動物にも人にも嫌われやすいのかもしれないが、それは元々の運命であって、好きで嫌われ役をやってるんじゃない。だから、馬鹿にされる筋合いはない……と言いたいところだが、相手はこの国の王太子兼攻略対象。変に文句を言えば首を刎ねられて終わりなので、言いたい気持ちを抑えて無言を貫く。
というか、今はハルベルトのことなんてどうでもいい。早く子猫を救出しないと、枝が折れてきている。
「お、おいで〜……怖くないよォ〜……」
子猫相手にビビりながら手を伸ばす様は、傍から見ればよほど滑稽であっただろう。あの『完璧令嬢』が子猫相手に怯えているなんて、何も知らない人が聞いたら耳を疑いそうな内容だ。
下から時々聞こえる笑い声に知らないフリをしつつ、私はそっと子猫の体に触れる。
「ニャッ!」
「っ」
ぺシーン!と猫パンチをされたが気合いで我慢して、そっと子猫の体を持ち上げた。子猫を持っている間もHP10くらいずつ減りそうな猫パンチをくらいながら、ハルベルトに下ろして貰った。
「ニャァッ!」
「っわ!ちょ……!」
子猫を地面に下ろそうとした瞬間、ようやく解放されたと思った子猫が一目散に走り出していき、アイルの元へ飛びついた。
「わっ!……ふふ、良かったぁ……もう登っちゃだめだからね」
子猫の頭にすりすりと頬を寄せて、天使のような笑みで子猫を抱えるアイル。なんだ、あの目の保養スチルは。子猫と天使が組み合わさったら神しか生まれないだろう。
「無事に救出出来てよかったね」
「はい!ハルベルト様とアンシュリー様のお陰です!ありがとうございました」
「ううん、大したことないよ。……おや、リリク嬢。手に血が滲んでいるよ」
「え?」
アイルと子猫に癒されていたせいで自分の手から血が出ているなんて気づかなかった。見ると、手の甲に複数の引っ掻き傷がある。
「これは……猫の引っ掻き傷だね」
「あぁ……無理矢理持ち上げてしまったので……引っ掻かれたとは思っていましたが、まさか怪我まで負うなんて」
「早く医務室に行って、保健医の先生に見せてもらった方が──」
「え!?アンシュリー様、お怪我されたんですか!?」
ズイ、とアイルが私に近寄り手の甲を覗く。あまりにも突然の行動過ぎて反応が遅れてしまった。
「あわわわ……すみません、僕が頼りないばっかりに、アンシュリー様の綺麗なお手を傷つけてしまって……!」
アイルは、怪我した本人よりも青ざめた顔であわあわと焦っていた。ただのかすり傷だし、こんなの唾つけとけば治るだろう程度なのだが、アイルの反応が重症患者に接するそれで何だかこっちが申し訳なくなる。
「だ、大丈夫ですよ、これくらい。そんなにお気になさらないでください」
「アンシュリー様……でも、アンシュリー様は高貴なるお貴族様で、体に傷がついたら国際問題にまで発展するかもしれないって、母が……!」
いや、ならないならない。ハルベルトが怪我するならまだしも、モブ悪役令嬢である私がこの程度の怪我を負っただけでそんな大層な問題には発展しないだろう。ゲームで死んだ時でさえ、吹き出し数三つで終わったんだから。
「一体どうしたら……───あ!そうだアンシュリー様、少しお手を借りてもよろしいですか?」
「え?は、はい……」
手を出せと言われたので、アイルに向かっておずおずと手を出すと、アイルの白い手が私の手に触れて、ぽう、と不自然な温もりを与えた。
直感で、アイルは治癒の魔法を使っているのだと分かった。
そしてその直感は正しく、私の手の甲についた傷がみるみるうちに癒されていく。春風のような温かさが私たちを包んで、アイルの周囲がキラキラと輝き出した。
その神秘的な光景に私はアイルから目を逸らせず、しばらく見惚れていた。
「あの、アンシュリー様、ご気分はどうですか?気持ち悪くないですか?」
「きれい……」
「えっ」
これが、アイルの魔法……温かくて、まるで天日干しされた布団の中にいるみたいだった。傷だけでなく、心までも癒されていくのがわかる。
何より、女神のように優しく微笑むアイルが美しくて、他のものなんて目に入らないくらい見入ってしま───。
「はい、ストップ」
「ひぇ」
女神の光を遮るように、悪魔みたいな笑顔をしたハルベルトが私とアイルの間にヌッ……と入る。悪魔、といっても一瞬そのように見えただけで、ハルベルトはいつもと変わらない、美しい営業スマイルのままだった。おかしいな、一瞬背筋が凍りそうになるほどの圧を感じたのに。
「アイル……先程僕が言ったことをもう忘れたの?」
「へ?……──あ!す、すみません、魔法の私的な使用は禁止でしたよね!?あわわ……また僕やらかしちゃった……!」
ハルベルトは再びアイルに向かって厳しい目線を送る。その視線を受けたアイルは怒った飼い主に怯えた子犬のようにビクリと反応した。可愛い。
「そうだよ。全く……君には監視が必要みたいだね。規則破り常習犯なんて汚名、君も嫌だろう?」
「うっ……すごく嫌です……申し訳ございません……」
「謝って済む問題じゃ──……いや、いい。リリク嬢の傷を治してくれた功績に免じて、今回は規律違反を許そう。でも、三度目はないからね」
「は、はい……!ありがとうございます!」
……アイルとハルベルトの初対面の会話、こんなにお説教ばかりだったっけ。いや、確かに私的に魔法を使ったことは良くないことだが、それは私なんかの為に治療してくれたアイルの優しさの表れでもあって、攻略対象ならそれを美徳として評価するべきだとも思う。こう、なんて言うか、アイルに対する言葉が少し攻撃的というか、刺々しいというか。「君って優しいんだね。だからこんなに魔法も温かいんだね」みたいなことを言っても良いと思う。
「それじゃあ、問題も解決したことだし、急いで教室に向かおうか」
「はい!」
……もしや、私がこの場にいることでゲームの展開を邪魔してしまった?ハルベルトの側に私がいなければ、抱き上げられていたのはアイルだったし、ハルベルトに心配されたのもアイルだった……?
「リリク嬢?教室、行かないの?」
不思議そうにハルベルトに顔を覗き込まれて、思考していた脳みそが一瞬で霧散する。
「え?……あっ、ただ今参ります!」
私は駆け足で二人の元へ向かった。




