エンカウント
目の前にいる圧倒的美の象徴に私は体の痛みさえ忘れて思わず見入ってしまっていた。
「あ、あの、大丈夫ですか?お怪我はございませんか?」
「な、なんて……」
「え?」
──なんて可愛いの!!
大きな琥珀色の瞳は今にもこぼれ落ちそうだし、この子だけハイライトが人より多い気がするし、なんか焼き菓子みたいな甘くて良い香りがするし、空から落ちてきたせいで、少しだけボサボサになっている綺麗な黒髪も全部かわいい!守ってあげたくなる!天使!!
内に秘めるセイバラのオタク魂が喜びに叫んでいる。興奮で口元を覆いそうになったが、グッと堪えた私は偉いと思う。
「あ、あの……──」
「二人とも、会話をするのは構わないけれど、一先ず退いてくれないかな」
「「!?」」
下から不満そうな声が聞こえたと思ったら、ハルベルトが私の体の下敷きになっていた。驚きで「ぎゃあ!?」という叫び声と共に飛び退いてしまう。
わ、私、ハルベルトの上に伸し掛っていたの!?というか、倒れた衝撃が柔らかかったのって、ハルベルトが私の背中を庇ってくれていたからだったの!?
「も、申し訳ありませんハルベルト殿下!ま、まさかハルベルト殿下を下敷きにしているなんて、思いもよりませんでした」
「僕もすみません!風魔法の練習をしていたら、勝手に体が浮いてしまって、お二人の頭上で魔法が解けてしまいました。どんな罰でも受けます!本当に申し訳ございません!」
二人してハルベルトに向かってペコペコ頭を下げている。というかアイル、あなたそういう経緯で飛んでいたのね。落ちた先が心優しい殿下とセイバラオタクの私で良かったけど、別の貴族の元だったら不敬で首をはねられていたかもしれなかった。これが主人公補正というヤツなのだろうか。
「そんなに必死に謝らなくても大丈夫だ。リリク嬢、怪我は?」
「ございません!ありがとうございます!」
「……そう。なら良かった。君は?随分派手な登場だったけれど」
「ぼ、僕もお陰様で大丈夫です!ありがとうございます!」
「………そう」
おおお、すごい!生で攻略対象と主人公が話している。一ファンとして、こんなにも素晴らしい光景を生で見られるなんて奇跡に近いだろう。これを見るために生きてきたまである。まだ三日しか経ってないけど。
隣でニヨニヨしながら会話を聞いていると、私を見るハルベルトの顔が怪訝なものになる。しかしすぐに逸らして、今度はアイルに向かって厳しい顔つきを向けた。
「ジーニアス魔法学園では、授業以外での私的な魔法の使用は禁止されている。何を考えて風の魔法を使おうと思ったのかは知らないけど、入学早々、規律を破るようなことはしない方がいい」
流石優秀で真面目なハルベルト殿下。主人公のアイルに対してもちゃんとした注意をしている。
「す、すみません……そんな規律があったなんて知りませんでした。憧れのジーニアス魔法学園に入学できて、どうしても使いたくなってしまって……次からは気をつけます」
「知らなかった?大体の生徒は事前に学園での規律を耳が痛くなるほど聞かされているはずだが」
「あ、ハルベルト殿下、それは……」
アイルは貴族ではなく平民。しかも突然入学が決まったのだから、規律が全て頭に入っていなくても仕方ないだろう。
それを全てハルベルトに伝えると、なぜかとても意外そうな顔をされた。
「………まさか、君が彼を庇うなんて思わなかった」
「え?」
庇うも何も、これが事実だ。
というかそんなことで意外に思われるなんて、以前のリリクはどれほど他人に厳しかったんだ。確かに以前のリリクなら、今この状況でアイルに対し普通に接することはなかっただろう。なんならブチ切れて魔法でアイルを縛り上げていそうだ。まあ、そんなことをしたら将来私が縛り上げるよりも酷い目に遭うだけなのだが。
「……今回のことは、大目に見てあげよう。だけど、君は特待生としてこの学園に入学してきたんだ。学園の規律を乱す為じゃない。これからはその自覚を持って行動するように」
「は、はい!ありがとうございます……!」
ハルベルトの寛大な心によって、アイルはホッとしたように何度も頭を下げた。彼は続けて空気を変えるように、コホンと咳払いをした後、アイルに向かって手を差し伸べた。
「僕はハルベルト・アンスリウム。名目上、一応この国の王太子だけど、この学校では身分なんて関係なく接して欲しい。君の名前は?」
「ぼ、僕はアイルです!特待生としてこの学校に入学してきました。お、王太子であるアンスリウム様とお話できるなんて光栄です……!」
「あはは、アンスリウム様だなんてやめてよ。ハルベルトでいいよ。よろしくアイル」
「は、はい!」
アイルとハルベルトの間に和やかな雰囲気が流れる。なんと素晴らしい。ゲームの内容とはちょっと違うけど、液晶越しに何度も見た自己紹介を生で見ることができている。こればかりは、転生したことに感謝する他ない。
部外者のつもりで二人の会話を聞いていると、ピタリとその会話が止まる。どうしたんだと見ると二人分の双眸が私を見ていた。
「………えっと……?」
「自己紹介、しなくていいの?」
「…………あ!すみません!」
そ、そうか、自己紹介!二人の会話に聞き惚れていたせいですっかり自分の分を忘れていた。
「私はリリク・アンシュリーです。よろしくお願いします、アイルさん」
「よろしくお願いいたします!アンシュリー様」
ニコニコと天使のような笑みを向けるアイル。それだけで私の疲弊した心が浄化されたような気がした。微笑むだけでこの威力。世界平和は彼が笑うだけで達成出来るんじゃなかろうか。
「平民のアイルにはこれから大変なことがたくさんあるかもしれないけれど、一人で抱え込まず、是非僕たちを頼って。そうだろう?リリク嬢」
「…………え!?あ、は、はい!もちろんです」
私もその枠組みに入ってるんだ。アイルには申し訳ないが、私のことなんて忘れて是非ともハルベルトを一直線に頼ってほしい。なんなら私を頼ってきたらハルベルトにさりげなく押し付けるのもアリだ。
「はい!お二人とも、ありがとうございます」
「構わないよ。さ、リリク嬢。教室へ急ごうか」
「え?は、はい」
え、アイルとはここでお別れなの?一緒に教室に行かないの?というか、なんで私の方を誘ってくるの?
アイルの方をチラリとも見ないハルベルトに代わって、私がアイルの方をチラリ……というよりほぼガン見しているレベルで見ていたが、ハルベルトは颯爽と先に行こうとしてしまう。
ちょ、ちょっと!将来の伴侶になるかもしれない相手に向かって、そんな態度をとっていたら後悔するかもしれないよ!今からでも遅くない、振り返って「やっぱり一緒に行こうか」って言うんだ!ついでに私を置いていけ!
先に歩き出してしまったハルベルトに焦って、私がアイルを誘おうと口を開きかけた瞬間、私よりも先にアイルが声を上げた。
「あの!ちょっと待ってください!」
グイッ、と私の右手が割と強めに引っ張られる。「ぐえ」と変な声を出しながら体の重心が後ろに傾きかけたが、すんでのところで立て直した。意外と力強いのねアイル……。
「す、すみません!で、でも、助けて欲しくて……知り合ったばかりで大変恐縮なのですが、頼ってもいいですか?」
「……え?」
なぜか背後から、少しだけ冷たい空気を感じたのは気のせいだっただろうか。
*
立派な一本の木の上から、にゃあにゃあと子猫の声が聞こえる。それはこちらに助けを求めているかのようで、何度も鳴き続けて止まることがない。
「講堂に行く途中、猫の鳴き声が聞こえて……近づいてみたらこの木の上に子猫がいたんです。どうやら自分で登って降りられなくなったみたいで……」
なるほど、と隣からハルベルトの声が聞こえた。
アイルが講堂に来なかったのは、この子猫を助けようとしていた為だったのか。流石、心の優しいアイルらしい欠席理由だ。そして、先程風魔法を使おうとしていたのも、あの子猫を助けるために使おうとしたに違いない。先程アイルは『魔法を使ってみたかったから使った』と言っていたが、知らなかったとはいえそれだけで規則を破るとは思えない。誰かを助けるために手段を選ばないのも実に彼らしい。
「僕だけじゃどうしても背が足りなくて……お願いします、どうかあの子猫を助けてあげてください」
深々と私たちに頭を下げるアイル。たかが子猫のために、ここまで頭を下げるというのは、彼がよほど謙虚で礼儀正しい証だろう。
「僕は別に構わないけれど、リリク嬢は──」
「え?私も別に構いませんよ。子猫を無事に救出しましょう」
すると、なぜかハルベルトの目が大きく見開かれる。え?何?私なんか変なこと言った?そんな過剰な反応をされると、間違った答えを言ってしまったんじゃないかと不安になる。
私たちの間に流れる変な空気を掻き消すように、アイルが嬉しそうな声を上げた。
「本当ですか!?良かった……!はい、無事に救出しましょう!」
アイルの言葉にハッとしたハルベルトが、慌てて「あ、ああ……」と返事をする。なんだ?ハルベルトの様子がおかしい。アイルの笑顔に見惚れていたのだろうか。
「それじゃあ、僕がアンシュリー様を持ち上げるので、アンシュリー様は子猫を抱えて頂けませんか?」
「え?」
「だ、ダメでしたでしょうか!?す、すみません、よくよく考えればすごくはしたないですよね、もっと別の方法を……」
「い、いえ!少し驚いてしまっただけなので大丈夫です。分かりました、私が子猫を捕獲します」
驚いた。まさか、アイルから私に対してそんな提案を持ちかけてくるなんて。ハルベルトがアイルを持ち上げて子猫を救出するなら分かるけど、アイルがそれを提案して、しかも持ち上げる相手が私というよく分からない状況になっている。
「ほっ……良かったです。じゃあ僕が持ち上げるので、アンシュリー様はこちらに……──」
「待て。アイルだときっとリリク嬢は持ち上げられない。君は小柄だし、身長もリリク嬢の少し上ぐらいだ。持ち上げられたとしても、転んでしまう確率の方が高いだろう」
だから、とハルベルトは不自然に言葉を止める。すると今度は私の方へと顔を向けた。
その顔は先程の驚いた表情と打って変わって、ため息が出るほどに美しい営業スマイルだった。
──あ、なーんか嫌な予感。
「だから、僕がリリク嬢を持ち上げるよ」
……──いや、どうしてそうなるの!?




