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(番外編)

龍二の母タエの生まれ故郷、今帰仁運天には源野為朝の上陸碑がある。


源 為朝とは!


保延5年(1139年)は平安時代末期の武士。源為義の八男、兄に源義朝、義朝の子に義経(牛若丸)がいる。

為朝は七尺程(2m10cm)の大男

弓の名手であり、鎮西(九州熊本)で暴れて鎮西八郎と称する。


保元の乱で父為義とともに崇徳上皇方に属して奮戦するが、敗れて伊豆大島へ流された。流刑地の伊豆諸島でも暴れて国司に従わなかった。たため、追討を受けて自害した・・・?。


ところが、為朝は大島では死なず、琉球(沖縄)へ渡って琉球王の祖先となったという説がある。

八丈小島を船で出発して間もなく、為朝の船を暴風雨が襲う。

しかし,『運は天にまかせる』で流れ着いたのが琉球の今帰仁の港だった。

運を天にまかせてたどり着いたので、以後そこを「運天港」と名付けた。


後に為朝は王朝時代の始まりでもある北山王となるが、三山統一により中山王尚巴志に滅ぼされた。

しかし三山統一以前の資料は残っておらず、それらの出来事は現在でも伝説とされている。


為朝は琉球南部の領主、大里按司の妹を妻として2人の子供をもうける。その子に為朝は為敦ためのりと名付けた。

為朝→尊敦そんとん

尊敦は22歳のとき、王位につき舜天しゅんてんと号した。


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