薄曇りの神社の石段
「なんで生きないといけないんですか?」私は唐突にそういうことを聞く。高校の春、天気は薄曇りで暗く、木に囲まれたこの境内にはそよ風が抜けていく。
「生きなくてはいけない、か」そう私の言葉を復唱するのはこの神社の神主を務める人だった。
「生きるのは苦痛かい?」
「いえ」
「生きるのは空虚かい?」
「どちらかといえばそうですね」
『何故、人は生きるのか』これは私の小さな思想だった。誰にでも相談できるわけでもなく、答えがないのも知っていて、かと言って聞かせられない人がいる。
「家族が生きて欲しいからとかは?君はこれを家族には話してはいないのだろう。それはつまり気を遣っている」
「自分が生きる理由に人が来るのってそれこそ無理ありませんか?」
「では、何かしたい事は?」
「無いです」私は専ら、これが全ての答えであると知っていた。自分を形作るものがない。だから、崩れそうになる自分を毎日押し固めている。ただ、焼き付け方を知りたいのだ。
「押し付けられる未来は嫌ですか?」
「嫌です」
「しかしながら、崩れそうになる自分を他人からの圧力は自分の形を約束してくれる。それが仕事をする、社会に出るということだと私は思います」
無論、嫌々をあなたが言っている訳ではないとも神主は付け足す。その柔らかな言葉は私を救う事はなく、下を向かせる。石段の石。これらは出来方は様々だろうが地球規模の圧力で押し固められている。
四角いバラバラ。
「自分の形は自分で決めたい」
「えぇ、多分、みんなそう思っていると思います。その上で、今の社会構造、仕事場で得られる形をそもそも良しとしている人間の方が生きやすい。皆があなたの様に思っている訳では無いけれど、だけれど確かにそう思う様に育ったあなたが甘えているとも思いません」
どんな風を選んでも石は石なのですよ、そう神主は言った。私はただ石を見つめているだけのまま、神主は何も言わなくなった。石もまた。私もまた。




