真夜中の踏切の合図
踏切が降りる。カンカンカンという音と共に降りる虎色のバー。車たちはそれに付随してブレーキを順々に押して行く。
僕はその10m先から赤い光が右左に惑うのを見ていた。汗にまみれたシャツ、色々な人間の匂いが狭い空間で染み込んで、僕が誰なのか曖昧になる。脇に挟むスクエアバッグの中にはスマホが入っている。そこには答えがある。名前も何もかも。
僕はそれをもちろん知っていて、中を見ようとはしない。脇からバッグを下ろす様な事もしないし、消えゆきそうな僕の存在を改めて認識しようなどとは思わない。
ブレーキの赤、踏切の赤、僕はそれらから身を隠す。暗いスーツは夜の溶け方によく似合う。残り5m、踏切に止まる車の側面が見える。乗っている人間の姿形が向こうから来る電車の光で輪郭だけ透けている。
肘を置いて、スーツの姿で、顔は分からなくて、ただ疲れている。それだけは分かる。
多分長蛇の列はそれの連続である。肘を置いていたり、スーツがラフである可能性はあっても、疲れているのは分かる。排気ガスの溜息、虚なハイビーム。
僕はそれを知っている。だから、その前にある横断歩道を渡る時、その今は。この世で僕が1番可哀想な人間である様な顔をする。誰でもない僕のまま、顔を沈めて。ゆっくりとゆっくりと睨みつける様な連続を感じながら。頭を深々と下げて。
踏切は上がる。赤い光が僕を見つめなくなる。その瞬間、僕はスマホを取り出す。明かりをつける。そして、光に目が慣れる頃、僕が2人の父であったことを思い出す。
そのまま、失くしたものと失くせないものを抱えたまま。生きねばと僕は強く息を吸う。




