ならない防犯ブザー
「マスターいつもの」
「はい」と小さく言葉を返すマスター。私は2人の会話を聞いている。カウンターテーブル、高そうな腕時計。頼んだカクテルの名前とその由来を彼は語り始める。私はこくこくと頷いて、その言葉を頭で理解して、即席の質問を返す。
シェーカーを振るう音が耳に入る。店内に流れるジャズと組み合わさって大人っぽい雰囲気をこれでもかと演出する。アルコール、タバコ、香水、色香、その交わりをカウンターテーブルの木目は吸って吐いて、誘い込む。
出されたカクテルを口に含みつつ、この男の人の名前は何だっけな、と思う。先ほど聞いたカクテルの名前もその由来も覚えているけれど、私は彼の名前を思い出すことが出来ない。知らない人だ、今日で3度会っただけだもの。
彼の話は聞くことができる。無理のない範囲の知識と彼よりも余程若い人が放つよりもずっと甘い言葉と抑揚。それが子供っぽくないを演出している。
「じゃあ、そろそろ行こうか」彼は腕時計で時間を確認する。
動きについて回る香水の匂いがやけに甘い。控えた甘さの布巾で絞った栗きんとんが食べたいと頭で思った。
手が掴まれる。ピリリと皮膚が感じる。知らない人にはついていかない。そんな言葉が掘り起こされる。胸中鳴り響く音がある、私はそれをクラクションとネオンライトに渡して痛む心を愛でる。
大人なのだ、真っ赤なランドセルはもう無い。




