剥がれかけたステッカー
この腹痛に私は思う。
毎度、この痛みが来る時、私は自分の人生というのは何で不幸なもので、こんな痛みを味わうくらいなら人生というのは何と苦しいものなのだろうかと思う。
脳内イメージするのは、爆撃機が格納する爆弾を打つ前の予備動作、がっぱりと左右に扉を開けて、内側からのものを出そうとする。けれど、私の体はそのような即座的に必要が迫られても対応が出来るように整備を怠っていない鉄の体ではなく、血と肉と皮で出来上がった生身の柔らかい人間の体である。それでいて、整備は怠っていて、健康度外視の生活は体をいとも簡単に錆びつかせる。
その結果がこの痛みなのだろうと思う。万人、千差万別の痛みを疑わない。私1人の体ですら、痛みの強弱がDJブースのフェーダーさながらに揺れる波。常に凪の者もいるらしいが、私は大抵の場合荒い濁流を思わせる。
ビリビリと割れるような痛みを下腹部に感じながら、脂汗の額がクローゼットに貼られた推しのステッカーに向く。
剥がれかけのステッカー、貼付の素材と相性が悪いみたいで。痛みはその推しと私との関係をまざまざ見せつける気がする。痛みは現実だ。彼だって現実にいるはずだ。けれど、リアルが無い。
ステッカーは時間に曲がる。私も時間と痛みを這わせる。




