その顔に似た誰か
『もう だいじょうぶ ここにいるから』
『もう おやすみなさい またあした』
『もう だいじょうぶ あなたとともに』
『もう おやすみなさい このうでで』
誰かが、手に持った槍を落とす。
「いい子です。そう、もう寝ていいのですよ。」
戦場を呟くように唄いながら、歩く白い外套を纏った人物が、そう、すれ違いざまに語りかける。
『もう だいじょうぶ ここにいるから』
『もう おやすみなさい またあした』
『もう だいじょうぶ わたしとともに』
『もう おやすみなさい このむねで』
スラールの兵士、衛士たちの猛攻が、加速度的に沈静化していく。
やがて足を止める。
足を止めて、胸の奥から響き続けた、あの詩が小さくなっていくのを感じ始める。
足を止めることなく、背を向けて走り去っていく新カルネリアの兵たちを見届け、あたりの惨状を、サウザンドは眺める。
狂気の溢れた戦場が、耳鳴りのような詩が、突如として、鳴りを潜めていく。
彼女の視線の先に、その中を静かに歩く不似合いな姿を確かに見やるも、意を決して、再び西に向かって走る。
幢子の事が気になった。
ただ、その一心だった。
鉄剣を納刀したジエが、視線の先の王兄衛士の下へ駆け寄る。
「コヴ・トウコと、詩魔法師エルカに、何か?」
彼の問いに対し、ジエは首を横に振る。
「詩を終えて、倒れたとは聞いています。ですが、その後は。」
その返しに、王兄衛士は即座に駆け出し、ジエもまたその背を追う。
衛士たちもそこへ合流していく。
膝をつくバルドーの民兵がいた。荒い息で立ち止まる民兵もいた。
或いは過呼吸で倒れ込み、仰向けとなる民兵もいた。
耳元で、胸元で、心を破裂させそうな詩が、小さくなっていくのを誰もが感じ取っていた。
「いい子です。さぁ、もう寝てもいいのです。」
近くを歩く誰かが、そう優しく呼びかけて回っている。
空を、黒い大きな塊が飛んでいる。
見上げれば、それに誰もが気づいた。
それが上を通り過ぎると、金色に輝く光の粒が、ゆっくりと空を降りてくる。
戦場を、這う何かに気づく者も居た。
倒れて動かなくなった、新カルネリアの兵士に、それは群がっている。
或いは、つい先程まで一緒に戦って、今はその場に倒れ込んだ、そんな民兵に群がっている。
「おい!おい!起きろよ!どうしたんだ!」
その異変に気づいて、誰かが叫ぶ。無数の虫が群がっている、そんな同僚に、焦って呼びかける。
「もう寝かせてあげて。」
誰かが言う。だが彼は受け入れられなかった。必死に声を掛ける。つい先程まで、傍で戦っていた、顔も知らない誰かを揺り動かす。
「綺麗。」
詩魔法師エルカは空から舞い降りる、光の粒に自然と手をのばす。
意識が次第にはっきりしてくるのを感じ、エルカは身を起こす。
草糸織の敷物に寝かされていた彼女の側で、幢子もまた、寝かされて空を見上げていた。
「トウコ様?」
横になったまま、空を見上げていた幢子に、彼女は声を掛ける。
「詩がね、聞こえるんだ。誰かが唄ってる。」
そうして、空を見上げたまま、幢子は、意識を失う前の記憶を手繰っていく。
詩魔法は成功した。それは間違いなかった。
けれど、今、静かに響く詩が、それを打ち消していく。
そんなことを漠然と理解しながら、幢子はただ空を見ていた。
「戦場は、どうなった?」
枯れた声でそれを問う幢子を見下ろし、エルカは首を振る。
「そう。綺麗だね、この光。」
幢子もまた、舞い降りる光に手を伸ばし、それを掴もうと身を起こす。
誰かが駆けてくる。
そんな気がして、そんな音が聞こえて、幢子は辺りを見回した。
由佳は、戦場が落ち着いていくのを見て、気が逸り、駆け回った。
そうして、その惨状を見て回りながら、まるで答えを探すように、兵士や衛士たちの顔を確認する。
「なにやってんだよ。こんな所に出てきて。」
そう声をかけられて、由佳は足を止める。
「探してたんだ。おせっかいで、かっこつけで、自分勝手なヤツ。」
「なんだそりゃ。」
リオルがそう呆れ気味に吐き捨てると、由佳は目元から次々に溢れ出す涙を必死に拭って、背を向けたままで居る。
「戦いが終わったなら、はやく帰ってくればいいじゃん。こんな所で何やってるんだよ。」
泣き声を押し留め、震える声で言う彼女に、リオルは苦笑いを浮かべる。
「見知った連中を探して声かけて回ってたんだよ。できる限り連れて帰らねぇと、誰かさんが泣き出して大変なんだ。」
「もう泣いてるっすよ、心配させた誰かさんのせいで。」
そういって、由佳は背を見せたまま駆け出していく。それをリオルは呆れ顔で見送った。
『もう だいじょうぶ ここにいるから』
『もう おやすみなさい またあした』
『もう だいじょうぶ いるからここに』
『もう おやすみなさい このうでで』
白い外套の誰かが、呟くように謳いながら、ゆっくりと歩いていく。
その視線の先で、サウザンドが幢子の頬を叩いていて、その剣幕に、エルカが慌てている。
その三人がどんな関係かも判らない、けれどもその人物は確信を持って、静かに一歩一歩、そこへ歩み寄せていく。
「貴方が、貴方達が、あの詩を謳ったのですね?」
確かに、そうはっきりと声をかけられ、三人がその人物に顔を向ける。
導師が、フードを脱ぐ。
色の抜けて白く、銀色にも見える、肩まで伸びた髪がこぼれ落ちる。
その顔には、額、左目、左頬を丸ごと覆うような、広く黒ずみ、深いケロイド状の痕が広がっていた。
しかし、三人にとって、その顔は、まるで、見覚えのある「その人」と同じ様に思えた。
「ニアさん。どうしたの?その顔の、火傷?の痕。」
幢子が、思わずそれを問う。
「ニア?」
彼女から、それを理解できない様子で返ってくる。
四人は、その場で静かに視線を交え、やがて、「ニアに似た」その顔は、首を静かに振る。
「私は、イザワ・ユメコ。遠い東の国から来ました。その、ニアという人物ではありません。他人の空似でしょう。」




