6
「えっと。つまり、そっちから声をかけるためにいつもより遅い時間に家を出て私を見つけたまではよかったものの、何故か今日に限って私がありえないくらい自転車を飛ばしてて、それを追っかけていたせいであんな風になっちゃってたってこと?」
「そうよ。ほんと、何であんなに飛ばしてたのよ……」
まさか、高校生にもなって自転車を全力で漕ぐなんてことがあるなんて思いもしなかった。
と、麗華はめずらしく、普段から定規を服の間に差し込んでいるんじゃないかと思うほど反っている背中を丸めて、そう溜息を吐いた。
さっき出会って、再び自転車を漕ぎ始めてから五分くらい経っているけれど、まだ若干息が上がっている。
そういえば麗華は、頭はいいけれど、運動はあんまりだったっけ。
中学で出会って、シャトルランでペアになった時のことを思い出した。
四十回ほど走ったところで麗華は計測していた私の所に倒れ込んできて「救急車を呼んで……」と言って来たのだ。
麗華には悪いけれどあの時は、普段のクールな麗華からは想像もつかないような態度と台詞にちょっとだけ笑ってしまったことを覚えている。
もちろんすぐに麗華を救急車、ではなく保健室に運び、容態もみるみる内に回復したのだけれど。だけど、その後、割と真剣に麗華から「何で救急車を呼んでくれなかったの」と怒られたことは今でも信じられない。
「何? にやにやして。人が苦しんでいるのが、そんなに嬉しいわけ?」
「ごめんって。別にそういうわけじゃないよ。ちょっと昔のこと思い出してただけ。それより、何で私に声をかけてくれようとしてたの? ほら、昨日は、あんなに怒ってたのに」
「う……」
私がそう言うと、麗華は露骨に狼狽えた。
メッセージアプリのスタンプとかに使えそうなくらい、それはもう綺麗に唇を尖らせている。
だが、それも束の間。
すぐにいつもの張りつめた糸みたいな、一切の緩みのない顔を浮かべた。
そして、私を一瞥し、再び前を向くと、
「友達を作るためよ」
「……は?」
僅かに頬を朱に染め、小さく呟かれたその台詞に、私は気付けば反射的にそう返していた。
返すしかなかった。
だって意味が分からなかったから。
流石張りつめた糸の麗華さん、その言葉の意図するところも掴めない、なんて、わけわからないことを考えてしまうくらいには、意味が分からなかった。
「えっと……」
「だから友達よ。私昨日、まだ高校で友達ができてないって言ったでしょ。だから、その練習のために藤愛を使いたいってことを伝えようと思ったのよ。朝、こうして私の話し相手になってほしいの」
「……ん? あ、ああ。そういうこと」
視線が合わせられることなく告げられた台詞だったが、私はようやく合点がいって、頷いた。
つまり、自分も新しく友達を作りたいが、しかし、いきなり新しい子と話すのはハードルが高い。だから、まずは見知った相手との会話、つまりは練習で経験を積んでから本番に臨みたい、ということだろう。
確かに、一見すると悪い方法ではないようにも見える。
瀬城高校は、瀬山高校に次いで二番目に、私達の通っていた中学校に近い高校だ。麗華にも、中学からの顔見知りくらいならいるだろう。
だが、それはあくまで顔見知り。練習台になってくれそうな子とまでは言えない。それに……昔と比べて私が麗華と仲が良すぎない、という点も練習台としては向いていると言えるのかもしれない。
ただ。
ただ、それって……。
「それ、本末転倒になっちゃうんじゃないの?」
「……っ! うるさい!」
どうやら、麗華にもその未来が見えていたらしい。 これまでたくさん聞いてきた麗華の声の中でも三本の指に入るほどの大声を麗華は上げた。
私と喋っている内に、つまりは練習だけで満足してしまい、他の子に話しかけなくなるという未来が容易に想像できた。
「それに……そんなにすぐ前みたいに仲良くなれるとも思ってないわ」
「…………」
麗華の顔はさっきまでのマグマみたいな赤色から一転。同じマグマはマグマでも、冷え固まったマグマみたいな顔色へと変貌した。
……まぁ、それもそうか。
今はこうして普通に喋れているけれど、私と麗華の確執は完全になくなったわけじゃない。
むしろ訊かなければならないこと、確かめないといけないことはまだまだ残っている。
例えば……何であの日から、話しかけてくれなくなったの、とか。
とか、そんな微妙な空気になりかけたところで、いつの間にか私達は互いの通学路が分かれる緩やかな坂の上に着いていた。
私達はどちらからともなく自転車を止める。
麗華はここをまっすぐ、私は左に坂を下っていけば高校だ。
麗華は一度小さく溜息を吐くと、
「それじゃ。行きと帰り、これから一緒に帰ること。行きはいつもの合流地点で、帰りはここで待ってること。もし遅れそうな場合とかは、Lineで連絡すること。いいわね?」
「え? 帰りも?」
「何? 文句あるの? いい? これは昨日、私を怒らせたという罪に対しての罰よ。罪人は、罰を受けなくちゃいけないの」
「控訴します」
「え?」
「嘘だよ。ほんと麗華って真面目だよね。あだっ」
無表情で振り下ろされた手刀を頭に食らい悶絶する私。むう。こういうところは全く真面目じゃない。人を殴るとか。いったい罪人はどちらなのか。
「藤愛でしょ。人をからかうからこうなるのよ。はぁ……とにかく、今日から帰りはここで待つこと。いいわね? 藤愛は罪人なんだから」
「……罪人なら、仕方ないね。償わなくちゃ」
「そう。これは仕方ないことなの」
そう呟いて、麗華はここでやっと小さく口角を上げ、私を見た。
そしてガンッ、と勢いよくペダルにローファーを叩きつける。
「……それじゃあ、私、そろそろ行くわね。その……また、放課後……」
「……うん。またね。嵐さ……ううん。麗華」
「……! ええ、また」
『た』を言い終った直後か、あるいはその寸前で麗華は走り出してしまった。
よほど急いでいるのか、ぐんぐんとその背中は遠ざかっていく。
私は肩を小さく竦めた。
まったく……人を呼び止めておいて、挙句拒否権のない命令まで与えてきて、自分はそそくさと去っていくとは。
「罪な女だぜ」
犯罪級につまらない台詞を一度呟いてから、私も自転車のペダルに足をかける。
ペダルを回し、前へ。
坂だったからだろうか。
ぐんぐんと。
自転車はとにかくスムーズに進んでいった。
ご一読ありがとうございました。




