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「すごい……ちくちくしているのに……痛くない……可愛い」
「でしょう? ほんと不思議だよねん。こいつら」
丸太を半分に割り、中身をくりぬいて木くずを敷き詰めた容器の中で、丸まっているそいつらを二人してつんつん触る。
触られ過ぎて、すっかり文字通り人間に手懐けられているのか、お椀の中にすっぽり収まっているそいつらは身動きしない。むしろマッサージでも受けているように気持ち良さそうに伸びをする。なんやお前らかわええなぁ。
翌日。
流ちゃんが私の家を文字通りお忍びで訪れた翌日。
土曜日。
私と流ちゃんは、前々から流ちゃんが誘ってくれていた、ハリネズミカフェに来ていた。
針千本と言うのはもちろん安全ピンを私に突き刺すことではなく、半分冗談で、残りの本気の部分もハリネズミの針で、ということだった。チケットというのも、ハリネズミカフェのクーポン券で、安全ピンはそのクーポンを止めていただけだ。
金を払えば針の付いた獣を触り放題になるという、文章にすれば、いったい何がいいのか分からない行為だったが、しかし、流ちゃんが取材し、絵の題材にするだけあって(あんまり関係ないかもしれないが)、こいつらは可愛かった。もう、具体的な描写などできないほど、とりあえず可愛いのだった。
「どう? 少しは元気出た?」
「うん。すごい可愛い。……でも、どうして? 私はその……流ちゃんを……」
情けないことに、その先は口にできなかった。
悲しい思いをさせて、しかも、その傷つけた相手に逆に気を遣わせて。
でもそんな最低な私相手でも流ちゃんは、察してくれて、しかも――
「とうあんのことが好きで、友達だから」
「っ……!?」
——そう、笑いかけてくれた。
「でも……私は」
「駄目? 私は確かに振られた。でも、私はとうあんが好きなの。そして、恋人にはなれなくても、友達ではいたいと思ってる。友達なら、助けるのは、普通でしょ? それとも、私は、友達じゃない?」
「……そんなことないよ! むしろ友達でいてほしい!」
私は流ちゃんの手を目一杯握った。
こんなに素敵な子が友達でいてくれようというのだ。私にはもったいないくらいだ。
流ちゃんは急に手を握られたことが気恥ずかしかったのか、少し居心地悪そうに身をよじっている。頬も少し朱色を帯びているような気がする。
「……いや、別に気恥ずかしいんじゃなくて……その、急に手とか握られると……アレっていうか……いや、もちろん、とうあんが求めてるんならやぶさかでもないけど」
「さっきの感動を返して」
私は慌てて手を離した。どうやら危なかったらしい。主に貞操とか。
流ちゃんは「冗談だよ冗談」と言って、肩を竦める。それから「で、何があったの?」と訊いてきた。全く冗談に聞こえなかったが、それは目を思いっきり瞑ることにして、私は、この前私の家で起こったこと、いや、それ以前の彼女との過去も含めて全てを流ちゃんに話した。
時折冗談めかしながらも真面目に、私の拙い語りを聞いてくれた流ちゃんは、
「なるほどねぇ。それで元気がなかったのか。さっきは庇ってくれたけど、やっぱり私のせいだったんだね。ごめんね」
と言ってくれる。
「違う。流ちゃんのせいじゃないよ。どのみち、こうなってたと思うし」
私はおわんの上で転がるハリネズミのお腹を撫でる。触られるのが嫌だったのか、ハリネズミは腹を隠して、針をこちらに向けて丸まってしまった。これでは触れることができない。
きっと、前に流ちゃんが言っていた通りなんだと思う。
擬態はバレるから擬態なんだと。
お互い納得しないまま仲良しの振りをしても、結局それは偽物で、本物になることはないのだと。
たまたまその絶対的な結末の過程に、流ちゃんが入ってしまっただけだ。
「まぁ、とうあんを好きな私が謝ったところで、説得力ないだろうけどね。客観的に見れば、私は、とうあんとあの子が離れてくれた方がいいわけだし。……でも、だから、あえて訊くね。あの子のこと、どうするつもりなの?」
「……! ………」
「……まさか、このままのつもり?」
私は視線をハリネズミに落とした。たぶん苦笑を浮かべていたと思う。
「うん。だって仕方ないでしょ? 確かに私達は一緒にいたかった。中学の時みたいに仲良くしたかった。好きだった。だけど、私達は一緒にいるだけでお互いを傷つける。勝手に互いに嫉妬し、傷ついてしまう。なら、離れるしかない」
きっと私達はずっと、昔出会ったあの頃を夢見てたんだ。見続けたかったんだ。
互いに憧れていた人物と仲良くなれた、あの運命みたいな瞬間を。
互いに足りない部分を持っている相手に尊敬しかなかった、あの頃を。
だけれど、仲が深まる度、好きになる度、友達になる度、お互いを対等だと思う度、憧れは好意へ、好意は友情へ、友情は嫉妬へ、嫉妬は憎悪へと変貌していった。
ただ、お互いの、昔みたいに戻りたいという願望を残して。
それは鳥や魚の帰巣本能を連想させる。
元居た頃の楽しい巣が残っている保証など、どこにもないのに。
「そっか」
流ちゃんは、一言だけ、そう呟いた。
顔を上げてないから分からないが、きっと、私の決断に同意してくれたのだと思った。
だって、優しい声音だったし、何より流ちゃん自身が、擬態はいつか壊れるものだと言っていたのだから。
だから、そう思っていた。
けど――
「私は、そういうの、嫌いだな」
「………へ?」
きっとこれまで、入学式で出会って以降、おそらく1デシベルも聞いたことないであろう、低い声に、私は反射的に顔を上げた。
聞き間違いだと思った。
きっとこの瞬間だけ、流ちゃんと誰かが入れ替わってそんな声を出したのだと思った。
でも違った。
違ったと分かった。
だって、そこにはこの上なく澄んだ――しかし、表面が穏やかであればあるほど、中は激流である川のように澄んだ、流ちゃんの真顔があったのだから。
「嫌いって……どうして? 流ちゃんだって、擬態はいつか壊れるものだって言ってたじゃん」
そして案の定、その川に踏み入れてしまった私の足は、流れにさらわれてしまう。
「確かに擬態はやめた方がいいよ。必ずボロが出る。この世界に全く同じものは無くて、あったとしたら、それは嘘だから。だけど、私が言っているのはそう言うことじゃない。私が言っているのはーー少しも、争おうとしてないところだよ」
「……争おうと、していない?」
私には分からなかった。
だって、争うことは、悪いことのはずだからだ。
それなのに何故、流ちゃんはそれを嫌いと言うのか。私はどうしても分からず、訊き返そうとした。
だが、私がそれを訊こうとした直前、流ちゃんの次の台詞が聞こえて来て、上げた驚きの声と共に空中に溶けて行った。
「私ってさ。最低な人間なんだ」
「……は?」
最低、……どういう意味だ? 流ちゃんは最低なんかじゃない。ちょっと変なところはあるけど。可愛いし。面白いし。何より優しい。
「うーん。なんて言えばいいのかな。人ってさ、嘘を吐けるじゃん? 誰かを立てたり、気遣ったり。私はね、昔からそれができなかったんだ。誰にでもずけずけ本音を言って、思ったことを口に出して、思い通りに動いてほしくて自己中にお願いしてた。まぁ、そんなんだからいじめられたんだけどね。……でもね、私は思うんだよ。私ほどじゃないにしても、そんなこともできない、されない2人は、果たして友達なの?」
「ーーーー!?」
「ねぇ、とうあんはあの子と、たとえ昔、一瞬だけでも、友達だったんでしょ? 友達に戻りたいって思ってるんでしょ? なのに縋って、誤魔化して、それのどこが友達だって言うの?」
「……でも、これ以上、一緒にいたら私はまた麗華を傷つけてしまうかもしれない。後悔するかもしれない」
「確かに失った時間は取り戻せないかもしれない。けど私は、人間っていうのは、誰かを傷つけ、傷つけられるものだと思う。親友や恋人っていう何物にも代えがたい関係って言うのは、その上で、それを当たり前に受け入れたうえで、成り立つものなんじゃないの?」
「お互いが、お互いを傷つけあう……」
「そう。本来そういうもののはずだ。でも、皆逃げるんだ。誤魔化すんだ。仲良しごっこを演じて。傷ついていない振りをして。気遣った振りをして。そして相手のいないところで文句を言う。傷つくのが怖いから。傷つけられるのが怖いから。……私は、そんな偽物を受け入れることができなかった……。まぁ、それでいじめられちゃってた私が言っても、説得力なんてないんだけどね。ってこれじゃあ、アドバイスじゃなくて失敗談か。ごめんね」
「流ちゃん……」
私は瞑目して考えた。
じゃあ、どうすればいいのだろうか。私は麗華とどうなりたいんだろう?
仲良くしたい。でも一緒にいると麗華が傷つく。それでも、私は麗華と一緒にいたい。
だとしたら、理由が必要だ。
流ちゃんは、人は本来一緒にいるだけで互いを傷つける生き物だと言った。だから一緒にいてもいいのだと。私もそう思った。でも麗華は違う。麗華はそうは思ってくれない。
だから、傷つけてでも、一緒にいられる理由が必要だ。彼女が私を傷つけてでも、自分を傷つけてでも、私と一緒にいたいと思ってくれる理由が。そしてそれは、生半可なものじゃいけない。『好き』とか『ずっと一緒にいてほしい』とか、そんな言葉じゃあ、きっと麗華は振り向いてはくれない。
何だ、それは? いったいなんだ? ある。きっと私の中に答えはあるはずなんだ。
「…………?」
と、瞑目していると、指にちくっとした感覚があり、私は瞼を開いた。
見ると、よじ登ってきていたハリネズミが私の机に置いていた指にぶつかってきていた。
ハリネズミは二匹いて、彼らは体を寄せ合っている。
いや、違う。寄せ合っているのではない。ただ、お互いの針が刺さってしまって身動きがとれなくなっているだけのようだ。二匹は痛みからか、身を震わせている。それでも、何故か二匹は一度離れても、また針が刺さる可能性もあるのに一緒にいた。もしかしたらカップルなのかもしれない。
そして、それに気付いた瞬間、
「……ああ、そっか」
私は思い至った。
ああ。そうだ。何でこんな単純なことに気が付かなかったのだろう。
思い出す。あの心理学用語を。
あの時、流ちゃんの部屋で見た絵を。
そうだ。
そうすればいいんだ。
お互い、勝手に嫉妬し、離れてしまうのなら。
ーー離れないように刺さってしまえばいいんだ。
このハリネズミのように。
あの、針の多い動物のように。
「…………」
私は、絡まる二匹のハリネズミを両手で救って持ち上げた。
未だ、彼らは離れようとしない。
むしろ、お互いに近づいている。
それは、まるで――
——まるで互いの傷を舐め合おうとしているかのようだった。
ご一読ありがとうございました。




